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やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㉕~いい事ばかりでは・・・

前回まで

今日は2023年1月1日。新年最初の投稿になります。今年も毎週日曜日に(時間不定期)アップしていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

さて、はれて常勤として採用していただくことができました。
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㉔~追い風が・・・|せっと|note
わりといい事が多かったのですが、実はそれだけというわけでもなく、難しいな、ということや大変だと思うことも当然ありました。
今回はその辺のことについてお話ししていこうと思います。

無力な自分・・・

いいことと同じくらい大変だったことや苦労したこともあって、自分自身も支援を受けていた経験があるし資格も取ったので、ある程度の知識はあったつもりでしたが、実際に業務についてみると現場のこと、制度のことや社会資源のことなどは知らないことや初めて聞くことなども多く、はじめのうちはどう動いたらいいか、どこに聞いたらいいか、そもそもなにから聞いたらいいかなどわからないことだらけでした。

自分の無力さを感じて落ち込んでしまったり、自分より全然年若い周りのスタッフや関係機関の方々が活躍している姿を目の当たりにして自分と比較してしまいとてもまぶしく見えたり感じることもしばしばでした。
精神保健福祉士としてのスタートを切るのが遅かった自分にとって、早く彼らに追いつかないと、といったような焦りを感じることも多かったですね。

「支援者?」、「仲間?」


また、自分の当事者経験の使い方についても悩むことが多かったです。
自分も精神疾患当事者であるということで、入居者の方々が語る困りごとや生きづらさについて共感することがとても多かったのですが、共感しすぎてしまうといいますか、彼らの痛みをわかったつもりになってしまっていたのでしょう、それを自分の痛みとして感じてしまうことも多く、そのことで苦しくなってしまうこともたびたびでした。

しかしながらクローズで採用されている自分は、彼らにとっては「支援者」であります。
支援者としてはどのようにかかわっていったらいいのかといった思いと、彼らと同じような経験を有する「ピア」として自分の中に生じる感情との間でどう自分は彼らとかかわっていったらいいのかということについて揺らぎがありました。

結果的に自分の中では、彼らが直面する生きづらさや困りごとに対して強く共感し、「自分が何とかしてあげなくては」みたいな思いを強く抱くようになりました。そのため自分を犠牲にしてまで彼らの対応にあたることも多かったです。
夜中や早朝、休日に入った携帯への着信にもすべて自分が対応してクルマを飛ばして駆けつけたり、退勤時間を過ぎてまで相談対応をしたり、なんてことも何度もありました。

「自分以外に目の前の彼らを救える人はいない」、といったようなことも思っていたのかもしれないですね。

ちょうどいい距離感って・・・


明らかに振り回されていたのにそこに気づかず、「彼らのためなら」、という思いだけで動くことも多かったです。
彼らの要求や希望には100パーセントこたえなければ、そしてそれが支援するということ、みたいな考えもあったのかもしれませんね。

そんな風に仕事をしていたので、当然身体に無理がきます。日に日に疲弊していきました。
自分の生活は二の次にしていたようなものなので当然ですね。
この生活がこの先ずっと続くのか、と思うと途方に暮れてしまうこともありましたね。

この後にお話ししますが当時はこのような仕事上の悩みを誰かに相談できるような環境にも置かれておらず、また自分自身も相談するということに対してあまり慣れていなかったこともあり、唯一の解消法は匿名のSNSでぼやいたり、大学時代の仲間と飲みにいっては愚痴をこぼしたりすることぐらいでした。

いまでこそバウンダリー、ちょうどいい距離感が保てるようになってきましたが、この時はまだまだ駆け出しでそんなことを考える余裕はなかったんですね。
しかし今にして思えばですが、この時にとことんかかわって疲弊するということを経験できたから、のちに自分を大切にできるようになり、自分にもできないことがあってもいいと思えるようになったのだと思います。
まさに身を削って経験できたのはよかったのかもしれません。

じぶんひとり


また、私の勤務していたグループホームというのはひとり職場でした。
朝入居者を日中活動先に送り出してしまうと、それから彼らが帰ってくるまでホームの共有スペースに自分ひとり。誰と会話をするでもなく、電話もそれほどかかってこない中で何をしているかというと、ホームの環境整備を行ったり、ひとりで事務作業を行っていたりすることが多かったです。

そのため孤独感を感じることがしばしばでした。業務についてだったり、入居者の支援について感じる行き詰まりだったりといった自分のかかわりについて一緒に検討したり、相談できたりという機会や場が乏しかったこともあり余計一人で抱え込んでしまったのだとも思います。

しかしながらそのようなひとり職場であったことでひとりで内省する時間が結果として多かったため、自分の中に様々な問題意識が芽生えたり、自分なりに試行錯誤せざるをえなかったりすることとなり、それによって自分を成長させることができたようにも思います。

今回はここまで。意外と苦労することも多かった駆け出し時代です。それでも少しずつ自分にもできることが増えていきましたので、そのことをよりどころにしながら仕事を続けていけることができたのではないかなと思っています。
また、あんなに苦労して取得した精神保健福祉士としての仕事をそう簡単に投げ出すもんか、といった思いもあったのかもしれません。

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