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もっと早く自分の障害に気付いていたらもう少し生きやすかったのに
こんにちは、カニンヘンです。
現在、43歳です。
41歳のとき、適応障害を発症し仕事を休職、その後退職。
42歳のとき、軽度のADHDと、統合失調感情障害と診断され、精神障害者保健福祉手帳3級を取得しました。
43歳の現在は、失業手当をもらいながら、就労移行支援事業所に通い、障害者雇用枠での再就職を目指しています。
今回は、自分の障害に気付くまでのあいだ、多くの仕事のトラウマを抱え、今もそのトラウマから抜け出せずに苦しい、という話です。
大学を卒業して就職した2003年4月から、適応障害になった2022年12月までの約20年、無職の期間はあったものの、基本的に何かしらの仕事をしていました。
その20年間、軽度ADHDや統合失調感情障害があることに自分が気付いていなくて、人よりもミスや失敗が多かったように思います。具体的には、注意散漫、無気力、無関心、易疲労感です。でも、当時の私にとっては、この状態が普通でした。
そのため、これまでの20年で、
土下座をしないと許してもらえないことが二回ありました。
正社員で二回、アルバイトで二回、連続でクビになったことがありました。つまり連続で四回・・・
仕事ができないせいで、組織から疎まれることも多々ありました。二十代後半からは、年下の人からも馬鹿にされ、挨拶をしても無視されたりしました。
システムエンジニア時代の客先常駐では、いくつかの常駐先の顧客から「何かあったら出入り禁止にする」と言われ、怯えながら仕事をしていました。
あまりにもミスが多かった客先からは、上司二人が呼ばれ、「カニンヘンの後任の人材をすぐに配置し、後任の引継ぎが終わるまで、カニンヘンには社員との一切の会話を禁止する。カニンヘンが社員と会話しないよう、あなたたち上司二人が日替わりで見張りに来い」という話がありました。そして実際に引継ぎが終わるまで、後任の人以外とは会話させてもらえませんでした。
そのようなことを20年、繰り返していました。
それでも私は、「自分の努力が足りないだけだ」と思い、どうにか現状をよくしようと頑張りました。
しかし、障害の特性のため、ミスや失敗は減りませんでした。
どうして私は、他の人のように上手く仕事ができないのだろうか・・・。
そうして失敗体験を重ねることで、いくつかの体験は、忘れられないトラウマとなり、私の心に傷跡を残すことになりました。
こうしたトラウマが積み重なっていくうち、自尊心や自己肯定感がボロボロになっていき、ついに41歳のとき、適応障害を発症しました。
適応障害で休職しているあいだ、いくつかの精神科病院、心療内科で、軽度のADHDと統合失調感情障害を診断されたのですが、ここでようやく隠れていた障害が見つかったわけです。
障害が見つかった当初は、なかなか障害を受容できなかったのですが、受容できるようになったころ、こう思えるようにもなりました。
「これまでミスや失敗が多かったのは、自分の努力が足りないだけじゃなかった。障害のせいで、どう頑張ってもどうしようもない部分もあったのだ」
皮肉にも、この事実に気付けたことで、自尊心と自己肯定感が少し回復したのです。
他の人よりもハンデのある状況のなかで、自分はあきらめず、あがき続けてきたのだと。
しかし、できればもっと若いうちに障害に気付けていればよかった。そうすれば、無駄にトラウマを増やすこともなかったろうに・・・。
とにかく、これ以上、仕事を通じて新たなトラウマを抱えるようなことはしたくありません。なので、私は障害に配慮を受けられる障害者雇用で働こうとしています。