日本憲兵外史⑨                軍服を着た猿の大群

軍倉庫が開放され、二日間にわたって在留邦人に衣料、食糧が支給された。
 八月二十二日午前九時、奉天憲兵隊からの電話連絡で、鎌田浩憲兵大佐の凄惨な自決を報らせてきた。しかも、奉天市内は暴徒の乱入となって大騒乱の最中であった。憲兵たちが表情を暗くしたのはやむを得ない。
 そして正午、遂にソ連軍が四平街に進駐して来た。早速、ソ連軍による猛烈な略奪行為が開始されたが、それはまさに軍服を着た猿の大群であったという。
 関東憲兵隊司令部は、ソ連軍の指示も干渉もないままに自発的に武装解除を行ない、四平憲兵分隊はそのまま市内の治安維持に当たった。
 昭和二十年八月二十七日午後十一時三十五分、ソ連軍の命令によって、大木繁憲兵隊司令官以下の憲兵が集合し、四平停車場から列車に乗車させられた。関東憲兵隊司令部の憲兵も、これから他の憲兵同様に凄惨なシベリア抑留生活をおくることになる。

 最後に前掲宮本著書から、日本語の堪能なあるソ連少将との対談の一節を紹介する。
〈「貴国ソ連はドイツに勝利し。偉大なる国ではあるが、その軍隊は、いかにも見すぼらしい」
➡ ⑩へ続く

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