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中将 大木繁 (22)『福井県護国神社の碑文』

福井県の護国神社に顕彰碑がある。
碑文は筆者が撮影 (2006年)
文字が読みずらいと思うので、書き起こしました。
読みやすいように、難しい字は「ひらがな等」にしました。

碑文の全文

皇軍の歴史あって80年、憲兵はその儀表兵科として、
終始 軍の健全擁護につくし、更に昭和に入り数次の事変および
大東亜戦争おこるや、軍令憲兵として作戦任務に従い、諜報
防諜戦などに、よくその本領を発揮し、多大の功績を残した。

しかるに昭和20年8月わが敗戦とともに軍は解体せられ
憲兵は、あたかも幾多の罪科を犯したごとき占領軍の悪宣伝
を受け、汚名を着せられたことは痛恨の極みである。

ひるがえって大木繁中将は福井県金津町の出身、憲兵科の逸材である。
陸軍幼年学校、士官学校をへて歩兵中尉の頃
憲兵に転科、累進して内地の憲兵司令官となり、昭和19年9月
関東憲兵隊司令官に転じて終戦を迎えた。この間
至誠一貫その職に奉じたが、終戦直前ソ連軍の満州国
不法侵入を見るや、善戦およばずして捕虜となり、シベリアに
抑留せらるること数年、ついに朔北(サクホク)の地に非命の最期を
遂げられるにいたった。

ここにおいて我々元憲兵は、将軍不朽の功績を永く顕彰
するとともに、本県出身の憲兵にして戦陣に散り、あるいは
刑死を遂げ又は死没したる幾多英霊の留魂の場として
この聖域に碑を建立するものである。

昭和58年4月
福井県憲友会長 正六位 勲三等 西澤幹雄 撰之
福井県憲友会建立

意味: 朔北 (ソクホク : 北方の辺境の土地)



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