Inside Rain
「傘入らない?良かったら」
と声をかけたのは僕の方だった。
偶然帰りが同じになった彼女は傘を持ってきていないようだし、ビニール傘を買おうという気も無いようだった。「じゃあまた」と言って早足で帰ろうとする彼女を僕は引き止めた。急いで帰ってもびしょ濡れになるくらい激しい雨が降っていた。
「ありがとう。じゃあ駅までお邪魔しようかな。」
バイトを初めて1年、今まで業務連絡以外殆ど話をしたことはなかった僕からの誘いを、彼女は気にもとめないように快諾してくれた。
「天気予報で降水率100%だったよ。夜方にかけて。」
「天気予報みて家出るの苦手なんだよね。」
「なんかそんな感じする。最悪買えばいいって思ってそう。」
「そう。そんなのばっかりでもうビニール傘5本は家にあるんだよね。」
寝る前にAirPodsの充電もできないような僕と彼女はきっと気が合う。
帰りがけ、方向が一緒だったため思い切って声をかけてみたが意外と彼女は気さくな人だった。シフト中は無愛想だし仕事をこなしているだけ、といった様子なのに。思えばそんなさっぱりとした性格の彼女に片想いをしていたんだと思う。当時は気付かなかったけど何かにつけて彼女のことが気になっていた。気付けば目で追っている、なんてこともしばしばだった。彼女と一緒のシフトに日は少しやる気が出るほどだった。
「出かける時は濡れたらいやだけど帰る時は別にいいじゃん、その後誰に会うわけでもあるまいし。」
そう言う彼女は遠慮しているのか普段からそうなのか分からないが、右側の僕と距離をとるように左肩を半分くらい傘から出しており、左半分のシャツの色がどんどん濃くなっていっていた。
「ごめんね。傘が小さくて。濡れちゃうでしょ。」
「ううん、全然。助かったよ本当に。君こそ濡れないようにもっと入りなよ。右肩が濡れてるじゃん。」
もっとこっちに来なよと口が回るほど僕はプレイボーイでは無い。会話がなんとなくぎこちないのも強い雨の音のおかげで和らいでいるような気がした。
「良かったらこの傘もって帰ってよ。僕は最寄りから家近いし。」
「いや私も近いしなんか返せなさそうだしいいよ。それに雨で風邪をひいて君が欠けたら来週のシフトも大変だし。明後日なんか休まないでよ本当に。」
彼女は距離を詰めようとする僕の1枚上を行くかのように笑いながら言った。
駅が近付きはじめ、周りも電灯で明るくなり始めていた。
少し間を開けて彼女が言った。
「それに私今月末で最後だしね。来月から留学に行くの。」
「え、そうなの?」
僕は耳を疑った。
「うん。だからあと3回かなシフトに入るのは。」
「そっか。それは残念だ。なかなか大変になるね、これから。」
気の利いた言葉など出て来ず、相槌を打つのが精一杯だった。社交辞令のような言葉で返す僕と彼女は気付けば駅まで着いていた。
「じゃあまたね。気をつけて帰ってね。」
「うん。ありがとね。」
そう言って別れようとする彼女は、帰ろうとする僕に別れ際、
「これで7回目なんだよ。雨の日に帰りが同じだったの。一緒に帰ろって誘ってくれたのは今回が初めてだけど」
と言っていたいけな表情で笑っていた。
なんと返せばいいか分からないまま僕は手を振って彼女とわかれた。
彼女と僕のシフトが被った最後の日、生憎の晴天にみまわれてしまい彼女と一緒に帰ることはなかったが、もし雨が降っていれたらどうすればよかったか、と未だに悩んで寝れないでいる日がある。