メビウスの輪のように循環する生と死
「命のバトンをつなぐ」よく耳にする表現だが、ともすれば対象が肉親に限定されるような危うさを個人的に感じる。世間的な名声を得ず、子を持たずに世を去るからといって、何も残さないわけがない。故人の言動を思い返すひとを通じて、意識のDNAは受け継がれていくのではないだろうか。本書の主人公・ナスミと生前に関わりのあった、姉妹や夫、友人たちのように。
14話で成り立つ物語には、病室で死と向き合うナスミと彼女の周囲の人々、それぞれの人生が描かれている。2話以降を主人公抜きで進む展開は読者を戸惑わせる一方で、突然の「喪失」に揺れる登場人物への連帯感を育むようだ。いつしか私は、ナスミの消えた、その後の世界を生き続ける彼・彼女らに心を寄せていた。
各々が人生の岐路に立つとき、ナスミの放った言葉は光を帯びて甦る。
「生きとし生けるものっていうのはさ、自分も入ってるんだよ」
「お金にかえられないものを失ったんなら、お金にかえられないもので返すしかないじゃん」
残された人々は葛藤や罪悪感を抱えながらも、ナスミとの記憶に導かれて
自分の選んだ道を歩んでいく。「もどりたいと思った瞬間、ひとはもどれるんだよ」と、家出を決行しようとしていた中学時代の同級生の妻にかけた
ひと言が、とりわけ私の心に沁みとおった。
成長する過程で、柔らかな心を踏みにじられまいと、いつしか見えない鎧を纏うようになった。身を守る武器を獲得したら、ここではないどこかを目指すようにもなった。
でも年を重ねると、防御も過ぎれば相手を傷つけることに気がつく。
世界も自分も満ち足りていたとわかった今は、死にゆくナスミのように、
私も無防備でいたい。
臨終間際にナスミは「若いころ、あんなに探して、でも見つからなかった
本当の自分にもうすぐ会えるのだ。この世でやってきた全てを取っ払った、生まれたてのときと同じ、すべすべの私」と求めていた自分との再会を予感する。
死とは嘆き悲しむためだけにあるのではなく、形を変えた誕生であり、祝福につながる通過儀式なのかもしれない。
「喪失」から始まる物語の、その先に私は希望をみた。
#読書の秋2020 #『さざなみのよる』
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