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【キャリアスタート】家業を継ぎました、という話

おはようございます。せんとです。

今年4月にオランダから帰国して家業である旅館「扇芳閣」を継いだことの報告です。(記事の長さ:3分程度)

改めて、自己紹介

Twitterやnoteのプロフィールにもある様に、僕は三重県鳥羽市にある旅館「扇芳閣」の五代目の経営者です。

大学時代まで遡ること5年。一般社団法人HLAB、Expedia(エクスペディア)、小布施まちDMO、そしてオランダにあるRotterdam School of Managementでの経営修士プログラム(MBA)を経て、旅館に戻ってきました。

今年、27歳で事業を本格的に継承することになりました。このタイミングが早いやら遅いやら、会う人会う人に違ったことを言われますが、自分や家族と相談して、このタイミングにしようと、決めたことです。

「昨年対比10%...?」

損益計算書を眺め、そんな驚くべき数字を見ることから、僕の経営者見習いはスタートしています(現在進行形)。

正直、コロナウイルスが蔓延して、世界経済に打撃を与えているタイミングでの事業継承は、全くイメージさえしていませんでした。過去30年間の損益計算書を見返しても、ここまで売り上げが落ち込んだ年は今までにはない。

基本が大事。まずは現場を見て、そこから問題を抽出して、少しづつ、いいサービスを作るための下地作りと、長期的なビジョンを考えていこう。そんな風に思っていました。

BUT、目の前にはいきなりのスーパー応用問題。笑 

MBAのケーススタディでも全然扱われなかったよ!というファイナンス、人事/HR、マーケティング、危機管理の課題が山積みでした。笑 

金融機関への運転資金の手当てや、緊急事態宣言に伴う休館の意思決定など、この2ヶ月は、初体験のハードシングス続きでした。

「今」じゃない?......けれどさ.....「今」なんてこないよね

ただ、少し立ち止まって考えると、人生の中で、何か準備ができる状態でスタートしたことなんて無かった、という気がします。

2013年にHLABのリベラルアーツサマースクールに大学生スタッフとして参加したときは、「リベラルアーツ」という英語の意味を「新しいアート作品?かな...」ぐらいにしか思っていないほど、英語できなかったですし。Orz

留学先のワシントン大学でHuskies(ハスキーズ)のマネージャーになったときも、マネージャーの経験もなければ、況やアメリカの生活も初めての中、カリフォルニアやハワイに飛行機で毎週、遠征に行ったり。

Expediaに入社したときも、オンライン業界やデジタルマーケティングについては、全くの素人。「コンバージョン?それ美味しいの?」というレベル。社内言語は英語でしたが、引き続き、英語はだいぶ怪しかったし。

小布施まちDMOに至っては、スラックラインのワールドカップがあり、その街や人の魅力感化されてその勢いで移住してしまって、地域で何かを興すための戦略やプランがあったわけではなかったり。

今回も、色々な人から、「大変なときに帰ってきたね」と言われます。が、僕個人としては、いつ継承しても、めちゃくちゃ大変だったと思うし、それはそれで違うチャレンジに直面していたんだなと思います。

「準備万全な状態でスタートできるなんてない」
今でも未来でも、きっと準備不足からのスタート

「できることを、一歩一歩やっていくしかない」ということ

そんな「準備不足の連続」なかで、ここまで生きてきた自分が思うのは、できることを見つけて、少しづつ積み重ねていくことの繰り返ししかない、という事。

まずは、何事も凡児徹底です。野球が上手になるためには、特別な練習をする前に、グローブやスパイクの手入れをして、怪我をしない様にしたり、グラウンドに落ちている小石を拾ってプレーしやすくするなど、プレーを始める前にやることが沢山あります。

きっと、経営も同じで、何か大きなプロジェクトや改革、戦略を実行するためには、その前段階で、道具を整備したり、小石を拾う時間が必要なのだと思います。できることを一つ一つ。凡児徹底して行うことの繰り返しだと思います。

「自分にしかできない一歩一歩は何なのかを考える事」

そんなかでも、「自分にしかできない一歩一歩はなんだろうか」と考えることが大事なんだなと思います。

実は、これは、小布施町で活躍されている大宮透さんに、旅館に戻ったことを報告したときに言われた一言です。

「きっと、せんとには、せんとにしかできない、一歩一歩があると思うよ」

事業継承して、色々な応用問題に振り回され舞い上がっていた自分は少し、自分を落ち着かせられた気がしました。

入学や転職、部署移動など、新しい環境に身を投じるときは、いつも初めは「凡事徹底」からのスタートですよね。まずは、そこにある既存の型を少しづつ身に付けるところから。だからこそ「自分にしかできない一歩一歩」は何なのか、を考えることが大事なんだろうな、と思います。

そんなときは、まず、自分が何ができるのかを自分自身がよく把握していることだと思います。「出来ることしか出来ない」のですから。自分ができることや得意なことから少しづつ始めていくことが大事ですよね。

「無いものではなく、有るものに目を向けて」

旅館に戻ってみると、本当に無いものばかりです。なんてったって「売上」がない。笑/汗

ただ、当たり前ですが、何が無いのかを数えていても、何かが増えるわけではありません。笑 幸いにも50名近いスタッフは、ほとんどが、勤続年数10年以上(長い人は40年超)で、旅館やホテルの運営について本当によく精通しています。目に見えるアセットやリソースに加えて、本当に沢山の目に見えないリソースが溢れる環境だな、と感じる次第です。

このアセットをどれだけ自分が理解し、きちんとお客様の手に届く価値にすることができるのか、それが経営者として試されているのだなと、思います。

「無いものではなく、有るものに目を向ける」
周りのリソースに感謝し、自分ができることを小さく始める

「未熟でも「当事者」になることで培われる何かがある」

未熟、準備不足だからこと「これをやり切る」と決めることが人の成長にはとても大切な気がします。一昨年ぐらいにGrit(やりきる力)をテーマにした本が出版されましたね。ちょっと似てるかもしれません。

僕自身はこれは「長く何かにコミットする」という時間の長さを表すものではなく(もちろん、結果的に長くなることも、往々にあり得ますが)

特定の事柄や部分において、自分が責任を取ると決め
誰よりも現状を疑い、良いものを作り続ける粘り強い気持ち

だと思います。今でも、思い出すのは、Huskiesでマネージャーをとして活動していた時に

"Hey coach, I determined to devote all myself for huskies!!"
(コーチ!私は、私の全てをハスキーズのために捧げると決めました!)

とヘッドコーチに伝えたことを鮮明に覚えています。はた迷惑なやつですよね。頼まれても無いのに「あなたのチームに全てを捧げると決めました!」なんて一方的に言うなんて。笑 ただ、そのお陰で英語はメキメキ上達し、海外大学院留学にも行けるレベルになりました。

もちろん、時間を捧げるだけではなく、アウトプット、さらにはその先にあるアウトカム(インパクト)に責任を持つこと(できなきゃ、報酬はいらないよ!ぐらいの覚悟)が大事です。

ただ、準備不足であっても、それをさらけ出し、あるものに感謝し、そこから何かを生み出そうともがく事で、もがいている間に、様々なことが得られるのだと思います。

...

ということで、今日は家業を継承したご報告と、家業継承に当たって、何を感じながら働いているのかという話でした。

PS

コロナの中で自粛疲れや、リモートワークなどで変則的な生活が続く方もいらっしゃると思います。Go to Travelキャンペーン(観光経済新聞)などで国内の旅行が「実質50%off」で、お得になることも予定(7月下旬から)されているので、ぜひこのチャンスに「よっ!せんと!」しに来てください〜。(Zoomでのよっ!せんと!も歓迎ですー!)

伊勢湾を見下ろす高台にある旅館「扇芳閣」

「鳥羽」は古くから、伊勢神宮のお膝元として栄た観光地であり三島由紀夫が「潮騒」などを書いたように、多くの文豪から愛された文化の町です。

扇芳閣も昭和の文豪、山本周五郎の「扇野」の舞台となった場所に館を構えております。伊勢湾と自然の風景、そして豊富な海の幸、和の風情たっぷりの温泉、露天風呂をお楽しみいただけます。ご予約は公式Webサイトこちらから。

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