紙製の国民帽も登場した、戦時下の代用品生活
空襲対策のバケツですら、ブリキやトタンではなく木製、はては紙製が登場する戦時下。さまざまなものが原料不足から代用品を導入しています。
まずは、蓄音機の針。鋼鉄が1937(昭和12)年の日中戦争開始とともに軍需優先となったため、国内向けの蓄音機と鋼鉄製針が1938年10月に製造中止となりました。このため登場したのが、竹針と竹針をカットして再利用する専用のはさみ。竹張りはこれはこれで良いという人もいたとか。
皮革製品も軍需優先で民需の生産に制限が出ます。代用品として、布や紙を古布などの繊維を処理してつくるファイバーで固めたものが登場し、申し訳程度の何かの皮が付いた代物に。所蔵はしていませんが、竹製のランドセルも作られています。
紙製品はほかにも応用されています。こちら、紙製の塵取りで、先端に申し訳程度の金属片が。また、慰問袋も紙袋が登場するようになりました。そして国民帽も紙で作られたものが出てきています。
そして、マッチ不足が、古い道具を見直させます。こちら、附木です。薄い木の板の端に硫黄がついていて、まだ熱いおき灰に近づけると燃え上がり、マッチ替わりにするというもので、天手古舞で生産しているとの新聞記事もありました。
そして、木製品としては戸車の木製代用品が作られています。強度はともかく、丸い物に加工するには向いていたでしょう。また、生活用品がこんな状態ですから、子どものおもちゃも木製品になっています。
以前、貝でつくったしゃくしも紹介させていただきましたが、帽子も紙製品で代用というのは驚きでした。しかも、蓄音機製造関連は日中戦争から1年で停止とか、それでよく新しい戦争ができたものです。いや、物質的に追い込まれたから新しい戦争の火だねを起こしてしまったというのが本当でしょう。
軍優先で物事を進めるようになっては、こうした末路が待って居るのです。今の日本の姿はどうでしょうか。軍人と家制度維持のためなら何でもするとなっていないでしょうか。