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日露戦争中の信濃毎日新聞「生命を惜む可し」の社説を掲載ー死ぬことに価値があるのではないと、諄々と説く

 日露戦争中、長野県の地方紙、信濃毎日新聞は、日露戦争に賛成の立場であったが、中江兆民の反戦の講演会の報道もしているし、旅順攻防戦のさなかに「平和論」と題した連載も掲載し、比較的自由な報道をしているように見えます。そして、1904(明治37)年7月12日、一面の連載小説は「赤穂義士伝」で赤垣源蔵の徳利の別れの回だったこの日の紙面で、社説は副主筆佐藤桜哉の「生命を惜む可し(上)」を掲載します。赤穂浪士を引き合いに、戦死自体に価値があるあけではなく、それにより達成されることに意味があって、それは戦死しても生き残っても、等しく賞賛されることと訴えます。

明治37年7月12日、小説は赤穂浪士、赤垣源蔵のいとまごいの場面
「生命を惜む可し(上)」と題した社説ー1

 「早まった死方をし、生命の安売りするもののこれあるを見るは(略)頗る遺憾」「死其ものが目的では無い」と断言しています。

社説ー2

 赤穂浪士を引き合いに、かたき討ちという目標を達成するまで我慢を重ね、本懐を遂げたことを例に諭します。

社説ー3
社説ー4
社説ー5

「死を何とも思はず、否、最もなりとするは我が将卒の常である。ただ其余弊として余りに勇み過ぎはせぬか、死ぬことを余り軽く見はせぬか。即ち早まった死に方をするものは無いか。生命を粗末にするものは無いか。生命の安売りをするものは無いか。私はこの点に就いて少なからぬ遺憾の消息を見るのであります。」。日露戦争中、ここまで徹底的に「死ぬな」ということを繰り返した文章を、商業紙が載せた事実は重い、大事な歴史だと思います。

社説ー6

 続く13日に(下)が載ります。出だしは出征軍人の書簡で、少なくない手紙で「まだ戦死仕らず遺憾の至り」などとあることを「作り声」であり真実の言葉ではないとします。

社説ー7

 「戦死せずに偉功を奏することができれば(略)これに増したる幸いはない」「ありのまま、思う通り、幸いに達者であるから心配せずに居て下され、と書いてあるのが人情人を動かす」と。もし兵士が読んだなら、兵士の家族が読んだなら、どれだけ元気づけられたことだろうか。

社説ー8

 そして、戦死傷を名誉とする余り、「死傷者以外の功績を認めぬともあらば、そは大なる間違い」「名誉の生存者を忘れてはならぬ」と世間の風潮にも釘を刺します。

社説ー9

 そして、軍艦の艦長が、十分逃げられるのに軍艦と運命を共にするという事例を引き合いに出します。

社説ー10

 その心境には同情にたえぬ、としつつ「ぜひ助かって爾後に大なる働きを取っていただきたい」「艦は再び造ることが出来ますけれども、有力有為の人物は、そうはいかぬ」と訴えます。

社説ー11

 「大事の体、大事の命は、どこまでも愛惜して、真に適当なる死所を得て最後の運命を決せられんことを切望して止まぬのであります」「生命を粗末にするな、戦死を急ぐな、生きられるだけ生き延びて、花々しく、目覚ましき働きを取れというのであります」。これだけの正論を、戦時下によくぞ明確にしたと思います。

社説ー12

 ただ、惜しむらくはそのように作戦を立てられぬ将がいたことであり、緻密な計算による勝利が「天祐」という言葉で表されたことでした。日露戦争後の日本軍が精神主義に偏るー装備の不足を犠牲的精神で補うー戦いになっていくのが、犠牲者の過大な称揚にあったのではないでしょうか。戦死者美談は広く語り継がれ、それが軍人の姿とされる。それを太平洋戦争敗戦の41年前に警告していた、この社説は大変重要なものと思います。

 その点において、例えばミッドウェー海戦の山口多聞中将を、中の人は評価できないのです。斬り込みといえば威勢はいいが、守る側が攻める側より有利という常識を捨てた戦闘です。そして補給を無視した戦いの強要となっていくのです。兵が生きながらえてこそという、根本を忘れた軍隊に、勝利の道など開こうはずがありません。

 そして、本当に死ぬことが目的化したのが各種の特攻兵器であり、特攻戦術ー戦術というのもはばかられますがーであり、爆発物を抱いた戦車への体当たりであり、竹槍での突撃となっていくのです。中の人は、絶対死を兵士に命令する上官は上官失格であり、貴重な人材と機材を浪費した保身者であると断じるところであります。もう二度と、そんな命令に従わざるを得ない兵士を生み出したくありません。

 


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