中国と戦争始まり、たちまち軍需中心に。民間は綿花や羊毛の代わりに木材を原料とするステープル・ファイバー(スフ)を利用せよと政府のお達しに反応は
1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件から本格的な戦闘になだれ込んでいった日中戦争。たちまち軍事特別会計が設けられ、物資も軍需優先の体制となります。綿花と羊毛は輸入頼りで、戦争当事国となると増やすどころかいつ規制されるか分からない(だから戦線布告なしの事変と言いつくろった)。そこで、1908年にフランスで発明され、日本でも大正時代から研究を進め商品化されていたステープル・ファイバーを衣類に大々的に使用することが考えられました。まあ、スフの原料はパルプなので、今度は紙の製造が窮屈になるのですが…
そんな事情から、商工省は1937年12月27日、「綿製品・スフ等混用規則」を公布し、一般の綿製品にはスフなどの人造繊維の30%混用が義務付けられました。そして長野県では、学生の制服にスフ混入品着用させるよう各校長に通牒したほか、1938(昭和13)年2月25日、学校職員、官庁職員、公共団体制服は2割以上のスフ混用を、綿糸を使うなら3割以上の混用をしたもので作るよう学務・経済両部長名で通牒を発しました(1938年2月26日信濃毎日新聞朝刊)。
さて、そのスフですが、これは綿よりも羊毛よりも短い短繊維でできていて、水に弱い、強度が不足する、もみあらいすると破れる、といった弱点を克服しきれていませんでした。そこで、政府は生まれたばかりの内閣情報部編集「写真週報」第3号(1938年3月2日発行)で、5ページを使って特集を組みます。
「耐へよステープル・ファイバーに」というタイトルが不安なんですが、良い点は強調し、弱点は示しつつも「一般の認識不足から特に誇張されている傾きが多く」と、まるで庶民の方が悪いと言わんばかりですが。それならこのタイトルは何かー我慢せよ以外のどういう意味に取れというのか。「国民精神総動員の本義から言っても国民各自の尊い義務」と、最後は精神論で片づけます。
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写真週報ではスフを使えとしか言ってくれませんが、そこは時代に敏感な主婦之友社。1938(昭和13)年9月1日発行の九月号に付録「ス・フの和服仕立ての秘訣集・(付)ス・フの洗濯と扱い方と手入法一切」を付けます。
また、三越の通信販売も、規則もあって、国策に沿いスフ製品を扱います。1938年10月1日発行の「三越第百五十八号付録」では、防空演習が盛んな時代に合わせ、空襲に備える防護団服と婦人用防護服に「国防色ステープル・ファイバー」を使った商品を揃えます。
しかし、防空に水はつきものなのに、水に弱い、というところをどう克服したか、興味があります。
このように、とにかくスフを使わねばならない時代。アイデア商品も登場させます。こちら「トゥニチ圧洗器(せんたくき)」。正しい選択法として、微温湯で叩き洗いをすると、ここは普通の説明をしています。
「揉まずこすらず引っ張らず玉を自由自在に回転せしめて圧し洗い、握りにて叩き洗ってください」と。
これ、デッドストック品をまとめて入手したんですが、売れ行きはどうだったのでしょうか。
確かに、それまでの洗濯は段々の付いた洗濯板でごしごしやるというのが普通ですから、これを切り替えていくのは大変だっただろうなと思います。それでも無茶でも押し付けるのが国家なんです。
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