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昭和15年12月、全国の役場に届いたDMの中身はー確かに戦時下のものでした

 1940(昭和15)年12月、1937(昭和12)年から始まった日中戦争は終わりが見えず、前の年にはヨーロッパで第二次世界大戦も起こっている戦時下で、料金別納で山梨県のある町役場に届いた名古屋市の印刷・紙加工品・防空用品メーカー「三友社」の封筒、今風に言えばダイレクトメールですね。 

封筒にぎっしりと

 いっぱい入っていますね。「警防団」という防空組織あてでもあるので、防空用品の紹介もあります。日本も重慶爆撃を繰り返していましたし。また、前の年の国家総動員法に基づく価格等統制令で、公定価格があらゆる商品に付けられてきているので、そのステッカーもあります。まあ、もともとは上の写真の右下隅にある、お酒のラベルやふたを主力商品にしていたのですが、このご時世です。とりあえず紹介といったところでしょうか。

標語のサンプルも豊富

 標語ステッカーもつくっていて、見本だけでもいろいろな種類があります。何しろ国民精神総動員の戦時下です。人々の心を動かす名標語が必要ですから、力を入れたのはさすが、慧眼。しかも2000枚以上の注文だと、オリジナル標語も作ってくれるとのことです。

1ページ目は防空用品主体

 商報もしっかり見ます。一面は、やっぱりはやりの防空用品です。ハンドル折り畳み式の携帯サイレンとか、確かに防空演習の映画などで使われている場面が出てきました。演習時の毒ガス実験用「催涙棒」とか、どんなでしょう。イペリットやホスゲンの臭気習得訓練用品なんてのも。
 団用防毒面とは、軍用より少し性能が劣りますが、警防団などで使うには手ごろな値段に設定したのでしょう。ただ、実際の戦闘で毒ガスは日本が中国で使ったぐらいで、第二次世界大戦では主力兵器としては使われませんでしたが、第一次世界大戦のように使用される想定が防空訓練でなされていた上、気分を引き締めるには外見も異質で良かったかもしれません。
 そして本職の醸造関連商品も載せ、防空用品と共に問い合わせしてくださいというあたり、まだ、そういう需要があり、それに対応できたことも示しています。

見開きも防空用の商品が主力

 見開きを見ます。家庭の防空といえば、夜間の空襲の目標とならないよう、光を漏らさない灯火管制用の黒幕。事業所などでの窓を覆う黒幕も用意し、紙製品メーカーとして力が入るところです。また、やはり国民精神総動員のための国民儀礼章とかもあります。お酒関連商品は最下段になっていますが、やはり欠かさないのは注文がそれなりにあったからでしょう。

最終ページは酒のほうが目立ちます

 さて、役場は酒屋じゃないから、酒の箱とかは関係なし。ファイバー製メガホン、防火用かぶとあたりは必要なところ。
 防空とは関係ありませんが、ものの価格は停止令以前からあったもの、その後に付けられたもの、それらが改訂されたものと、くるくる変わりましたし、定価表示も義務付けられたので「新制定・マーク・正札」は商店には不可欠なものだったでしょう。

注文の注意書き

 役場職員「では、皆と相談してちょっと注文しましょうか。備えあれば憂いなし。おっと、注意書きが。…ふーん、せちがらいからね。前金か。予算確保しないと」。
 こんな会話が、全国津々浦々で交わされたのではないでしょうか。まだ代用品の時代に入り始めたとはいえ、金さえ出せばモノが手に入った時代の、最後ぐらいになる戦時下DMでした。

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信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
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