太平洋戦争下の衆議院議員選挙、権力側は、あの手この手で動員や宣伝を図るー隠れた翼賛選挙の実態
太平洋戦争下の1942(昭和17)年4月30日投開票の衆議院議員選挙は、別名「翼賛選挙」とも呼ばれました。つまり、政府に文句を言わず協力する人だけで衆議院を構成し、戦争遂行に必要な条件を一層整えるという目標がありました。長野県も既に紹介した知事(地方長官)あいさつに加え、下写真のようなステッカーを作って、「万民輔翼」など、暗に大政翼賛会の政治運動団体、翼賛政治体制協議会の推薦候補への投票を擦り込んでいました。
大政翼賛会は政治結社ではないとされていたので、直接選挙に「表向き」かかわることはできません。そこで、大政翼賛会の公報紙「大政翼賛」の号外を出して、実働部隊の「翼賛壮年団」への指示と宣伝を行いました。
この1942年3月11日発行号では「翼賛政治の本義 まつろひ精神を権限」といった記事も出ています。何のことか分からないのですが、ようは天皇を持ち出すことで、翼賛選挙の正当化を図るのが「本義」のようです。全文とも難解でして、一部を紹介します。
ほかに、やはりステッカーも作って、推薦候補当選はもちろん、とにかく棄権票を抑えて投票率を上げることも大事と力を入れています。
そしてこうした活動を地域で支えたのは、地元のさまざまな組織。こちら、長野県岡谷市新屋敷区の演説会告知文書です。運営主体に注目すると、区は当然として、在郷軍人会、翼賛壮年団が名を連ねます。在郷軍人会は政治にかかわってはいけないことになっていて、長野県では政治団体「信州郷軍同志会」という組織もあったのですが、選挙演説会の開催に堂々と在郷軍人会として名を連ねています。あくまで演説会の裏方だから良いという見方もできるでしょうが、在郷軍人会という軍組織が連名してあることは、軍の無言の圧力となったでしょう。
文言も「一億一心全能力を挙げて天皇に帰一し奉り」と天皇を持ち出して権威付けを図っています。
これらは表立った活動で、裏ではいろいろあったでしょうが、そうしたことはなかなか記録に残りません。辛うじて入手できたマル秘扱いの翼賛政治体制協議会発行「演説必携」などは、その一端を示すものでしょう。
特に慎むべき言動として「日本精神を強調する余り、科学を軽視せざるよう注意されたし」とありますが、戦争は最後まで日本精神の強調一本やりで進んでいった経過を知っていると、表向きの宣伝だなとしか思えないです。
出演心得では、出演者の議題重複を避ける、必ず候補推薦の言葉を、時事を織り込み抽象的な内容より具体的なものを、地域の事情考慮、最初に拍手を得る、とあります。「日本精神を説く場合、大阪に於いては楠公を」など、当時の雰囲気を感じさせます。
こうしたさまざまな対応で、推薦候補の当選を期して、全員与党化を図ったのでした。それでも一部の地域に根差した有力者が非推薦で当選する事例は各地にあり、長野県のように全員推薦候補というのは例外だったというのが、せめてもの臣民の意地であるように思えます。
また、警察などの選挙干渉を不満として訴えた事例があり、そのうちの一つは原告勝訴となるなど、司法にもいくらかの良心が残っていたのは救いでした。
関連記事 翼賛政治体制協議会推薦候補が圧倒的勝利の戦時下翼賛選挙
ここまで記事を読んでいただき、感謝します。責任を持って、正しい情報の提供を続けていきます。あなた様からサポートをしていただけますと、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できます。よろしくお願いいたします。