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憑いて回った兵隊の成績
徴兵検査を受け、甲種合格のうえ、くじにも当たってめでたく現役兵として入営した兵隊さん。2年間の現役生活の成績や取り組みは、それぞれの市町村役場に伝えられ、保管され、異動するときにはついて回ったようです。長野県の下高井郡高丘村役場(現・中野市)で作成した「陸軍下士官兵在隊間成績調書」でみてみましょう。
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こちらの調書、表紙と中ほどに「兵秘」とあり、兵事係以外に見せるなという意味かと思われます。最初に高丘村からの現役兵を順番に記したとみられる名簿があり、69番から180番まで、112人分の名前が記載されていました。
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実際に調書が残っているのはこのうち72番から178番の84人分で、1924(大正13)年から1941(昭和16)年までに徴兵された人の分が残っています。数が番号より少ないのは、転籍すると新しい市町村へ移したためです。
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調書には、徴兵時期などの記載とともに、品行や成績などが載っていて、精勤章などの表彰も記載しています。だいたい「諸事熱心にして表裏なし」などと悪いことは書かれていませんが、「射撃剣術は石板工兵を命ぜられ…同年兵中下位」など、しっかりと書き込まれ、兵の様子がなんとなく伝わってきます。
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しかし、中には徴兵検査に合格し、村民に盛大に見送られたであろうに、現地に到着して部隊の軍医の診断で兵役を免ぜられ、即日除隊という例も、至急の判の付いた調書で残されていました。当時、こういう場合に帰るに帰れず行方をくらます例や、ひどい場合は自殺者も出たようです。この方は、気分を切り替えて帰郷されたでしょうか。そうであってほしいものです。
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この調書は1941年徴兵分までですので、その先、こうした調書が作られたかは定かではありません。特に臨時召集令状(赤紙)で召集された未入営兵の場合は、入営期間が極端に短いため、書類としても残したかどうか。戦争の激化は、おそらくこうした通常の兵事事務も、非常事態に即応するものに変えていったことでしょう。
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徴兵関係の書類たちは、個々の兵の取り組みの記録であるばかりでなく、その時代も記録する資料となっています。ただし、二度と兵事書類が必要な時代がこないよう、強く願っています。
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