戦争のため国債を発行しすぎて生まれた「国債貯金」は、払い戻しも「国債」で
「国債」も「貯金」も、もちろんみなさんご存じでしょう。では「国債貯金」となるとどうでしょうか。大蔵省が特大のポスターを作ってアピールするなど力を入れていましたが、現在では姿を消しています。
国債貯金は太平洋戦争も早期の決着が見込めなくなっていた1943(昭和18)年6月3日、国債貯金規則を交付して始まりました。通帳式での国債購入を可能とするもので、1円以上で好きな額の預け入れができました。利子は免税とし、国債よりやや有利にしているのは、この年の貯蓄目標額270億円という、膨大な金額を消化するための方策でもありました。
信州戦争資料センター所蔵のパンフレットの解説を見ますと、払い戻しは現金ではなく、基本的に「額面100円以上の国債」になります。それに達していない場合でも割引国債で払い戻しはしてくれたようですが、すぐ換金できるわけではないのです。申し込みについては、まとまった金額をすぐつくるためか、隣組や職場単位でないとできませんでした。
パンフレットによると▽少額でも国債が買える▽債券の印刷の手間がはぶける▽利子も積み立てられるので利札と交換しなくて済む―等が利点として挙がっております。戦争するにはお金がいる。基本的には戦時特別会計を作り、戦時下では軍の要求をほぼ丸のみにして全額を国債で賄うのですが、国債を印刷する紙やインクといった資材も不足、大量の国債を運搬したり蓄えたりするのも限界という中、国債を印刷しなくても国債を売ったのと同じことになる苦肉の策として導入されたわけです。
実は、センター収蔵品の長野県丸子町(現上田市)と玉川村(現茅野市)の1943年8月の「常会徹底事項」に、国債貯金が長野県内でも8月から導入されたと説明があり、それぞれ協力を求めていました。当初はこちらしか所蔵しておらず、今回、制度のパンフレットを手に入れたことで、細部が明快になりました。
丸子町の常会徹底事項に記載してある国債貯金の説明を紹介しますと…
「国債の消化は今後ますます強化されねばならぬが、先般政府においては浮動購買力の吸収を図るとともに証券の印刷や輸送、並びに保管等に費やす資材、労力、および経費の節減、事務の簡素化等を図るため、少額国債を漸減し、これに代えて国債の一部を貯金によって賄う国債貯金の制度を設けたが、本県においては来る八月からこれを実施することとなれり。従って今後は国債債券と国債貯金とに分けて割り当てられる事になるから、充分の成果を挙げるよう努めること」
債券に加えて国債貯金です(驚)
まあ、割当額の中で分けるというので、純増とはいかないでしょうが、それでも金額が上がっても不思議ではないですね。国民から戦争の資金をいかに吸い上げるか。これが、戦時の国家の姿です。
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ただ、現代も戦争をしていないのに、膨大な国債の発行が続いているという、異常事態なのですが、こちらは大丈夫でしょうか。国債貯金復活、なんてことにはならんでしょうね。政府が投資を盛んに呼びかけている段階で、怪しい雰囲気がでているのですが。