国民の政治参加は選挙だけじゃないんだぞって、声を大にして言いたい
こちら、1929(昭和4)年6月1日発行の月刊誌「戦旗」です。労働者向けの月刊誌で、昭和恐慌で不景気のさなかの発売でした。丁寧にカバーがかけられ、保存状態良好です。
下に示ししたグラビアページには、メーデーの様子が載っています。1925(大正14)年に男子普通選挙の実現と抱き合わせで制定された治安維持法が、1928(昭和3)年には田中義一内閣の下、最高刑を死刑とする改悪がなされています。そして翌年の1929年3月5日には、治安維持法反対を貫いていた労農党代議士の山本宣治が右翼に暗殺されました。
そんな時代にありながら、各地で政府や資本家に対する抗議の行動を起こす人たちがたくさんいたのです。近年、デモをすることを忌避する傾向がありますが、これは国民の示威行動による政治参加であり、大切な権利の行使ということをあらためて強調しておきたいと思います。街頭に出るのがいやならツイデモだって、重要な意思表示です。そんな権利を行使しない手はありません。政治参加は選挙だけではないと、この時代の人たちも示してくれています。
一方、資本主義が労働者を搾取する様子を余すところなく描いたプロレタリア作家、小林多喜二の代表作「蟹工船」の後編が掲載されたのも、この「戦旗」6月号でした。このため発売禁止となったものの、間もなく単行本が発行されて、多くの人の手に渡ることになります。
そして当時、この作品は多くの人に評価され、読売新聞でも1929年度上半期の最大傑作として、多くの文芸家から推されたとしています。
ところで、この当時の紙面を見ますと、伏字がたくさんあるのが分かります。検閲対策で伏字にしつつ、それでも発禁になってしまったのです。逆に、権力者が何を恐れていたかも感じられます。
ちなみに、この写真に写っている部分の伏字は「旋盤の鉄柱に、前の日の学生が『縛』りつけられているのを見た。『首』をひねられた『鶏』のように『首』をがくり『胸』に落とし込んで」となっています。現場監督による労働者への無慈悲な暴力を描写した場面です。
小林多喜二は、今年2023年から90年前の1933(昭和8)年2月20日、街頭連絡中に警察に身柄を拘束され、その日のうちに警察署で特高警察による取り調べを受けて虐殺されました。警察は、取り調べ中に心臓麻痺を起したと説明しますが、遺体の激しい内出血などの状況から、拷問を受けた末の死亡であったことが明らかでした。なお、小林多喜二を虐殺した警察官は、いずれも戦後、何の罪にもならず天寿を全うしています。
ところで、治安維持法違反では死刑はほとんどないといった擁護の声があるようですが、取り調べと称する拷問や長期拘留による病死など、裁判を経ない虐殺が横行していたのが事実です。何しろ、予防拘禁といって、何か起こしそうだから逮捕するというようなこともできたのですから、やりたい放題です。そして最初に目を付けていた共産党組織が壊滅したら、次は合法の無産政党、それもなくなったら自由主義者へと、次々弾圧の幅が広がっていきました。どんな理由づけをしようとも、検閲や思想の弾圧は、とめどめなく広がることを忘れてはいけないでしょう。
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こうした権力のやり方は、いつの時代でも気を付けていないとうごめきだすものです。権力者は権力を維持するためなら手段を択ばない、ということは肝に銘じておく必要があると、多くの犠牲者たちが伝えているように思えます。近年の選挙運動でのヤジに対する弾圧や、大学解体にも匹敵する悪法の推進、関東大震災での朝鮮人らの虐殺隠蔽の動きといったことが、やがてどこまで拡大していくか。目を離している暇はないと思います。
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