学校遊戯研究会の月刊誌「最新教材 遊戯と唱歌」も、戦争に合わせて変貌をとげていきました…(´;ω;`)
大正書院が昭和の初めころから出版してきた学校遊戯研究会編集の「最新教材 遊戯と唱歌」。毎月、幼稚園から高等女学校までを対象に、歌いながら振り付けをする「唱歌遊戯」を写真や楽譜付きで、時には論考も含めて紹介してきました。
上写真の号が出た1932年は満州事変の最中せしたが、特別に愛国や軍隊をテーマにしたものはなく、身近な題材のものが中心となっています。裏表紙の広告も、特別軍国調のものは見当たりません。
ところが、日中戦争が1937(昭和12)年7月から始まると、様相が変化します。1938(昭和13)年5月号では「時局教育と音楽舞踊」といった論説や連載「時局に即した舞踊教育の展開」などがみられますが、まだ実際の唱歌遊戯では「僕のタンク」にとどまっています。
裏表紙の広告も「小学校学芸会用軍国美談劇集」となっています。実際に戦地で取材し、「童心に通ずるよう劇化」「時局に順応して少国民情操の陶冶に資する」などとして12編を紹介。ほかにも高等小学校、青年団、処女会用「愛国軍事劇集」といったものも出ていました。
そして日中戦争は大勝利のニュースがなくなり、地味な長期戦になって国内の物資の欠乏も目立ってきていた1939(昭和14)年の4月号。「日の丸弁当」「快速騎兵隊」などの唱歌遊戯とともに、「報国コンクール」の制定、「愛国軍歌振付集第三集」の紹介と、軍事色がかなり目立ってきました。特に、今後の傀儡政権設立を念頭にした「建設」という言葉が出てきたのが目を引きます。
日中戦争は「暴戻支那の膺懲」に始まったのですが、それだけでは臣民に窮乏生活を押し付けられないとして、大日本帝国と満州国、そして中国が協力する「東亜新秩序建設」が言われだしたころと合致します。いかに時流を早く取り入れていたかが分かります。
上写真、1939年4月号の裏表紙では小学校学芸会用「少国民愛国劇集」に。「事変の有無を論せずいつにても実演できる」というあたり、日中戦争の停滞感を示しています。しかし「建設部隊」と題した歌。満州も含めてでしょうが、軍隊で攻め込んで散々迷惑かけたのは棚に上げて「建設」とは、身勝手極まりますね。
こうした言いつくろいが、後の「大東亜戦争」にも通じていくのです。しかし、小さいころからこうして体で教わっていれば、疑問を持たず育っていったことでしょう。