「防諜」を理由に写真撮影もがんじがらめー国策追随で息をつなぐ様子がひしひしと
写真月刊誌アサヒカメラの1940(昭和15)年12月号(朝日新聞社発行)。表紙の写真は子どものスキーの様子ですが、右下に「法を守って楽しくパチリ」なる言葉が入っています。
これは、日中戦争開戦を受けて、軍事機密の撮影や20㍍以上の高さから市街地の写真を撮ってはいけないと規制され、アサヒカメラが公募した「写真と防諜の標語募集」の一等の作品でした。
どんな規制があったか。「郷土ニュース縮刷版」コーナーで一端を見ますと「内務省では防諜の材料となるような写真は新聞、雑誌、絵葉書、展覧会、ショーウインドその他各方面の公示(掲示、公開の意味)を一切禁止することになった。これには、一、離宮、皇族御殿 二、軍関係建物、工場、水道施設、主要官公署 三、無線電信局、放送局、主なる郵便局 四、鉄橋、トンネル、操車場、機関庫、主なる駅 五、発電、変電所 六、港湾施設 七、人口五万以上の都市の大部分を表すもの、など空襲の目標になる内容をすべて含んでいる。今までは軍事保護法施行規則によって特定地域での水陸の形状、または施設、物の状況を二十メートル以上の高所から撮影することを禁止していたのを適用範囲を広げ「公示禁止」にまで進めたものである(大阪・昭和15年9月8日)」と。風景写真撮影がかなり厳しい。
こうした規制について、カメラマンらの座談会でも話題にしています。基本的に、禁止物件の明示と広報、理由の提示などを求めています。
一方、戦時下の生き残り策として、戦争を後押しする企画も多数あり、紀元2600年に合わせた1000年後に伝える写真にも、そうした考えが表れます。
◇
戦争のため一方的に規制を図る軍と政府、迎合して生き残りを図る雑誌という雰囲気ですが、迎合も後押しにすぎないのです。標語募集も応援です。こうしたさまざまな形で戦争の歯車は前にしか進まない。戦時体制は、規制・統制からやってくると、過去の雑誌が示してくれます。