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大日本雄弁会講談社の絵本「西郷隆盛」は、地道な学問の大切さや天皇を大切にすることを伝えつつ、大どんでん返しが
中の人の知人で、長野県中土村(現・小谷村)で小さいころを過ごした方から、大日本雄弁会講談社の絵本を大量にご寄贈いただきました。母親が教師で、講談社の絵本を取り寄せてくれていたとのことです。
その中の一冊、1940(昭和15)年発行の「西郷隆盛」が大変興味深い編集をされているので、ご紹介いたします。
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知人はまだ小さかったころで本の扱いが手荒く、表紙は無くなっていますが、ストーリー部分は完全に残っています。
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しかし、ある時弱い者いじめをしている場面に遭遇し、注意したら相手が刀を抜いたので同じく刀を抜いて撃退したけど右腕をけがします。それで武術での出世はあきらめ、ますます学問に力を入れたとします。そして、学問のおかげで奉行の書役にやとわれて家計を助けるのです。
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そしてさらなる学問、領民へのいたわり、むかしお世話になった人へのお礼と、民をあんずる性格を次々と描写します。
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そして明治維新。1869(明治2)年、西郷は参謀として宮様の御供をして江戸へ向かいます。
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この後、天皇への西郷の忠義立ての話が挿入されます。1873(明治6)年四月、明治天皇が千葉県で大演習をした時、西郷は近衛の大将としてお供をして、天皇が尋ねることに応対したとしています。下の絵はその際のもので、雨の中で夜通し天皇を護っている図としています。
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そしてこのページをめくると、いきなり「鹿児島へ帰った西郷隆盛は、武村という田舎へ引きこもって農夫のような暮らしをしました」とし、なぜ帰ったのか、その後もどうしたのか、すべて落としています。
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さあ、次は西南戦争だと、ページを開くと「西郷隆盛は五十一のとし、鹿児島でなくなりました。鹿児島市にある南洲神社は隆盛をおまつりした神社です」でおしまい…おい! ここ、決して落丁ではありません。
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天皇の忠臣だったとしておしまい。いかに子ども向けの絵本とはいえ、歴史改ざんも甚だしいでしょう。嘘は言っていない。でも、重要な事実は触れていないで、そういう虚像だけを植え付けているのです。天皇に歯向かったという人を英雄とするわけにいかないのですな。だから江戸城開城が唯一の見せ場で、あとは適当。なぜ天皇に尽くすのか、も明確でない。大変薄い内容になっていますが、子どもにそれだけの印象を与えれば十分ということでしょう。
◇
日本の歴史修正主義者も、嘘はいわなかったとしても、ポイントを外したりある一面だけを誇張したりして、権力者に都合の良い方向に持っていくのが特徴です。再び国民の手にした権利を少しづつ無効化されてしまわないよう、正しい知識やまともな人物を見抜く力が大事なのではないでしょうか。
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