戦時下のワイン事情ー水中聴音機増産のおかげで奨励されるも、ひどい品に
戦前もワインは大黒葡萄酒、赤玉ポートワインなどで親しまれていましたが、日中戦争突入以降、果樹栽培は主要食糧の増産に転換すべきとの圧力が高まり、果樹栽培業界は危機に陥っていました。長野県のリンゴなども同様です。
ところが、ブドウとワインの生産だけは奨励されることになります。
これは、ワイン醸造の際、おりや樽の中にブドウに含まれる「酒石」が結晶となって出てくるのですが、この酒石を採取して精製するとできる「ロッシェル塩」が、敵の潜水艦などを発見するための「水中聴音機=パッシブソナー」の素材の一つとして使われるためでした。こうした背景もあり、長野県塩尻町(現・塩尻市)にあった東筑摩農学校(現・塩尻志学館高校)も1943(昭和18)年に醸造免許を取ることができたということです。近くの桔梗ケ原はブドウの産地として知られており、現在もJR塩尻駅ホームにブドウ棚があるほどの名産地です。
一方、生産は奨励されたものの、酒石を取り去ってできたワインは風味が落ちて、ひどく酸味の強いものとなってしまったということです。当時の新聞では、大量のブドウを供出して見返りにワインをもらって喜ぶ農家の報道もありますが、その味わいの問題は触れていませんでした。
そして、自由販売ができるような状況でもなく、ラベルもラベルも成分表示のような味気ないものになっています。
このように、味気ないものとなってしまいました。また、ビールも競争が消滅していたので、瓶も各社入手できたものを適宜に使っていたようです。所蔵しているこちらの品は、もともとはキリンビールの瓶だったようです。
ちなみに、この酸っぱいワインのイメージが戦時中に強く残り、本来の味わいのあるワインの理解が広がるには、戦後もしばらく時間がかかったとのことです。
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本項目を書くにあたり、塩尻志学館高校のホームページを参照しました。大変ありがとうございました。同校では現在も醸造免許を活用して醸造を続けており、毎年7月の桔梗祭ではおいしいと評判で、すぐ売り切れるそうです。
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戦争は、あらゆるものを吸い込み、破壊していくだけです。おいしいワインを飲めるのも、戦時体制にないからこそ。そのありがたさを痛感しました。
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