ご先祖様を知りたい(父方)
はじめに
ご先祖様のこと、父方のルーツを辿り、その記録や課程を物語として、エッセイにしたいと思っています。
この記事は2024年12月6日に有料記事として、公開しましたが、費用の目処が立ったので、無料記事に変更しました。
#ご先祖様を知りたい
#藪内家 #藪内 #ルーツ #家系図
#戸籍 #エッセイ #歴史 #歴史調査
今回は2018年に行った香川県の旅を記事にしました。父方の祖父が丸亀市出身なのです。
表題の写真は2018年10月📷
香川県丸亀市の丸亀城。お城から瀬戸内海が見渡せて、とても美しい風景が広がっています。
#香川県 #丸亀市 #丸亀城 #瀬戸内海
長年の難病生活
私は #潰瘍性大腸炎 と #クローン病 という病気を患っていて、15歳の頃から入退院を繰り返していました。
2018年は忘れもしない、この病気との付き合いが一番辛かった時期であり、1月~4月まで自宅で寝たきり5月いっぱい入院し、6月に退院しても回復せず、9月までほとんど外にも出ず自宅療養をしておりました。
もちろん仕事も出来ませんでしたから、日々の生活費にも困り家族・親戚からの援助とクレジットカード💳で借り入れをし、何とか食いつないでいた時期です。
歩くのもしんどく、走るという体力と筋力がありません。
お年寄りがゆっくりでしか歩けない様子を知っていると思いますが、体力と筋力がないと本当に早く歩くことも走ることも出来ないのです。
当時は名古屋市に住んでいましたが、地下鉄までは1.5キロくらい離れたところに住んでおり、病院🏥までは車で行ってました。
生活保護に頼ってもおかしくない状況でしたが、車を手放すという選択肢が無かったので申請はせず、希望も持てず日々過ごしていたのです。
普段から割りとポジティブな思考をする方ですので毎回、長期の入退院を繰り返していても平気でしたが、この時ばかりは一向に回復をしない体に絶望感を感じ、亡びたいと思っていました。
私は20歳より武道を習い名古屋では自身の主宰する道場(崇真舘)を開くまでになっていたのですが、ポジティブな精神を支えていたのは、武道による心身の鍛練もあったのだと思います。
しかし、この時期ばかりは、蝕む病になんともならず。普段より、折れも曲がりもしない心の中にある刀が、イメージの中で粉々に砕けちり灰になってサラサラと飛んでいったのです。
そこから、
「いらない、いらない…全ていらない」と物も縁もプライドもどんどん手放し断捨離していきました。兎に角、誰とも会いたくなかった。事実、今までの知り合いと言える人物はこの年、5人も会っていなかったと思います。
藪内のルーツは?
私は札幌出身ですが、藪内のルーツは香川県丸亀市なんですね。祖父が長男ではないので、家を継ぐことなく北海道に移住して結婚したという流れです。
藪内という名字は、調べてみると大阪や丸亀に多いようで、私は名古屋に就職が決まった時から、自分のルーツを調べたいと思っていました。
名古屋に来たのは2008年ですが、当初は京都にある 武家茶 藪内流 (やぶのうち)に注目しておりました。実際に京都に行き、藪内流を訪ねました。また何年間かは賛助会員として、燕庵の修復を見守っていた時期があります。
私は武道には長く取り組んできましたが、茶道に触れたのは初めてのこと。お茶の作法も知らず、お茶を出された時にどうして良いか分からず固まってしまい、少々恥ずかしい思いをしました。今では知らない文化を知れた良い経験です。
藪内流の初代 剣仲は、戦国時代の人であり、千利休の弟子であり古田織部の妹を娶ったなどのエピソードがあります。
今現在、私が住んでいる地域の偉人である古田織部との繋がりがあって、とても嬉しい気持ちです。
藪内流の家紋は卍と聞きました。
札幌のお墓にある家紋とは違うので、藪内流との関連の方向は一旦、考えるのを止めました。
#京都 #茶道 #武家茶 #藪内流 #藪内剣仲 #燕庵 #千利休 #古田織部 #家紋
そして香川県丸亀市へ
実は本気で移住しようかと考えました。
先程のエピソードに戻って、その年、1年の3/4を病で寝たきりで過ごしていたのです。
また名古屋には10年以上住んでいました。その時は本当に辛く、何もかもリセットして、新しい気持ちで新しい土地でやり直せたらと考えていたのです。
2018年10月に香川県に足を踏み入れました。事前に香川県の移住の資料なども取り寄せていました。
9月までは不調だったのですが、10月に入ってようやく体力が回復してきて、今しかチャンスはないって思ったんです。
なけなしのお金を集めて、旅費とガソリン代を計算して2泊4日の日程で向かいました。🚙💨
というのは、名古屋から夜のうちに出て、お金がないので極力 高速は使わずに下道で走り、一泊だけホテルに泊まり、あとは車中泊です。
もともと病み上がりなのに、よく強行したなと我ながら思いました。(笑)
今は多分もう出来ません。
初めての土地に行ったらまずは、その地域の一宮神社⛩️に参拝するようにしています。
2024年の今年は辰年ということで🐲田村神社⛩️の龍の写真📷
金運が上がりますように🙏
さて、香川県の移住に関しては結論から言うと駄目でした。
移住に関する相談ができる機関にも行きましたが、生活に関することや住居、病院、そして仕事も名古屋に比べて少なく、斡旋も難しいと言われてしまいました。
1年後には名古屋から岐阜県多治見市に移住しているので、地縁はそちらにあったのでしょう。
1日目は名古屋から香川県入り、高松市内を観光。ホテルに泊まりました。
2日目は観光の続きと移住の相談。車中泊をしました。
3日目は丸亀市に移動し、観光。そして名古屋に向けて下道で帰ります。
4日目の朝に帰宅🏠🚗💨爆睡です。
それにしても、香川県は「うどん県」とも呼ばれているじゃないですか!?
本当にビックリしました。
Σ👀えーーー!!
1.うどんの店が多い
2.うどんが安い
3.うどんが旨い😋
#うどん県 #うどん #讃岐うどん
それまでは、うどんなんて どこで食べても一緒だろと思っていました。
イヤもう、本場のうどんを食べたなら…。
どこに行っても香川クオリティは、凄いもんねって刷り込まれました。
本当、衝撃的でした。
金毘羅山は、体力が衰え、筋力の低下している足腰には正直キツかったです💧
でも頑張って一番上まで登りました
江戸時代は一生に一度🙏
伊勢参りと金毘羅山に行くのが庶民の憧れだったそうです。
この眺めも祖父も見ていたのかな?と思うと感慨深いです。
伝統工芸品の丸亀うちわ。
金毘羅山のお土産に江戸時代から地元の人が制作していたと聞きます。
今もほとんど手作りなのだとか…。
藪内の先祖も作っていたのかもしれません。
おわりに
藪内家が侍の出だったのか、町民だったのかは定かではありません。
これから戸籍調査が出来れば…
しかし、戸籍は古い記録から、どんどん失われて行くので早めに着手しなければなりません。
なので、とても急いでおります💦
私の父が亡くなってから、来年で23回忌を迎えます。父はクモ膜下出血で倒れ、そのまま他界しました。その5年前から真面目が取り柄の父は不況の波に合いリストラされ、家庭も複雑な状況になり、壊れてしまいました。父は鬱が激しくなりました。
その当時から、冒頭の潰瘍性大腸炎という難病で、入退院を繰り返していた私は、就職も上手く行かず、経済的な力もなく、父を支えることも出来ませんでした。
そんな父との思い出を楽曲にしたのが、GIFTERS という今取り組んでいる音楽ユニットで歌っている「そらのみち」という曲です。
生前の父には、親孝行は出来ませんでしたが、来年の23回忌に向けて、受け継いだ姓に形のある恩返しが出来たらと思い家系図を作りたいと思ったのです。
高松市の平家物語歴史館に行けたのは良かったなって思っています。
私は平家物語の詩がとても好きで、特に「強きものもついには滅びる ひとえに風の前の塵に同じ」の描写が気に入っています。
人はいつか亡び忘れ去られます。
最近、特に思うのです。
有名人・芸能人など偉業を成した人でも亡くなれば忘れ去られるのは早いと思いませんか?
そして、語られる人生は短い文章です。
一般人ともなればもっと短いでしょう。
人生は砂で作った城のようなもの⏳🏯
波にさらわれ消えていく。
一生を掛けて作ったものも、人に託せること、託せず潰えてしまうこともあります。
災害などにより、突然消えてしまうことも…。
だからこそ、少しでも長く残るように家系図を作りたいと思っています。
そして、調査の課程と結果をエッセイにして、人の目に触れるようにできれば幸いです。
私の拙い文章で、あなたの 琴線にほんの少しふれることが出来たなら、とても嬉しいです。
この記事を最後まで読んで頂き誠に有り難うございました。
藪内 崇視
追記
家系図を作るための戸籍を辿るのに、6万円~20万円以上の調査費(調査の深さによる)が掛かります。
この記事は、2024年12月8日に有料記事として公開しましたが、12月22日にパトロンが現れた為、無料記事に設定し直しました。
ありがとうございました。