【自己紹介】2度の休職を糧に、自分の人生を生きたい。│はじめてのnote
はじめまして。
適応障害で2度目の休職中の繊細メンタルうまりん。です。
休職して毎日を過ごすなか、
「復職?転職?私、この先の人生どうする??」と焦りに焦り、
絶賛、自己分析&自己啓発本を読み漁ることに夢中になっています。
ただ、それも「自分の人生を、自分の生き方を変えたい」と切実に思ったゆえの行動。
「このまま会社に戻ったほうが安泰だよ」
「今後の人生を考えたら安パイだよ」
理性はそう囁いて、原状復帰を勧めてきます。
会社に守られて、自分を殺して生きていくほうがいいんだろうか。
でも、心が「もう戻りたくない」と言っているのが聞こえてしまったんですよね。
また同じ環境・同じ状況に戻ったら、たぶんまた自分は同じ末路をたどる。
未来が見えすぎました。
なので、33歳、ここで人生を仕切り直したいと思っています。
自分を見つめなおして、自分がどんな人間なのか理解して、対話して。
就活時代にやった「他人ウケする“自己分析”」ではなく、
自分の人生を自分らしく生きるための「自分が納得できる“自己分析”」。
少しずつ、自分のやりたいことや、生きたい自分の人生が見えてきたような気がしています。
そして、未来に少しずつ光が灯りそうな今、
もし私と同じように悩み、苦しんでいる人がいるならば、一緒に前を向いて歩いていけるように、私のやってよかったことや読んでよかった本を紹介してお裾分けしたい。
そう思って、noteを開設しました。
私の初めてのnote。
私自身がどのような人間で、どのようなことを書いていきたいのか。
私の文章を読んでくれた方にどんな気持ちになって、どんなことを得てほしいのか。
ぜひ、お話させてください。
1.自己紹介
1991年生まれの33歳。神奈川県出身。
幼少時代には親の仕事で海外生活を経験した帰国子女。慶應卒。
新卒で入社した大手企業で、正社員として働いて11年目。
営業→マーケティング→広報と、色々な仕事を経験してきました。
ここまで書くと、スペック自慢かよって感じですよね。
ただ、社会人になってから、人生の順調路線が怪しい雲行きになります。
<新卒・営業時代>
営業職として初期配属。片道2時間の鬼通勤。
免許取り立てのひよっこドライバーながら、常時30~40店の担当をもち、営業車でルート営業。
コミュ障だったのに、良くも悪くも口が達者に。
<マーケ時代>
入社理由でもある「モノづくり」に携われる念願の部署に異動!
新人に戻ったつもりで、「早く一人前になりたい、戦力になりたい」とがむしゃらで必死に頑張る日々。
でも、想像以上の激務で、チームの先輩の当たりもすごくキツい。
睡眠時間も取れず、「今帰って朝イチ会社にまた来るくらいなら近くに泊ったほうがよくない?帰る時間無駄じゃない?」と真剣に考えました。
「会議で発言しなきゃ給料泥棒」「適当な仕事をするな」と罵られ、
ついにはチームのメンバーを足蹴りするのを目の当たりに。
毎朝その先輩社員が出社してくるのが本当に怖かったです。
失敗続きで、先輩社員からも散々言われるのは、自分の頑張りが足りないからだ、もっともっと頑張らないと、と自分で自分のお尻を叩いて3か月。
ベッドから起き上がれなくなりました。
何もしていないのに涙があふれて、ごめんなさいという気持ちで胸が苦しい。
うつ病を発症し、1年半休職。まさか自分が。。
<広報時代>
やっと復職できる!しかも広報ってなんか楽しそうな仕事!頑張る!
「復職ハイ」になりつつ、ちょうどコロナ禍で在宅勤務の働き方だったこともあり、楽しく仕事ができました。
私の人生、また順調に走り出してる!
そんな中、2年経つ頃に自分の仕事ぶりや手掛ける企画内容を見て、新設のポジションで一緒にゼロベースで頑張ってくれないか、と声が掛かります。
これまでにやったことのない、企画職としての抜擢でした。
ただ、心のうちは「もう異動?これ、断れないんだろうな…」。
内心めちゃくちゃ嫌でしたが、これまでの仕事とは全く異なる毛色の仕事ながらも、やってみないとどんなものかわからないしやってみよう!そう思って前向きに頑張ってみました。
ただ、自分の仕事の具体的な成果物がなく、貢献度もわからず、「私のやっている仕事って、誰の何のためになってるの?」「私って必要?」と、徐々に自分の存在意義がわからなくなりました。
そして毎年やってくる評定・キャリア面談。
「次どこに行きたいですか。どんな仕事をしたいですか。」
私は、全く自分のキャリアを描けず、この会社でやりたいことも思い浮かばない。キャリア迷子でした。
「これやって」と回される仕事には不平不満を言い、
「じゃぁ、どういう仕事をしたいの」といわれると明確なビジョンもない。
そんなわがままなことをいう自分が本当に嫌で、自分自身がすごくストレスでした。
その状況下で、不妊治療。
1年自然妊娠できなかったら、不妊治療にステップアップしたほうがいい。
そんなネットの言葉を知って、病院に通うようになりました。
タイミング法を試みるも、結果は出ず。
人工授精を勧められ、4~5回挑戦しましたがうまくいきませんでした。
そんな時、同期の女子社員が産休で休職。
同年代の男性社員は育休取得で休職。
通勤道中、マタニティマークを付けて同じように働く女性がやたら目について、
「なんで私にはできないんだろう、何が悪いんだろう、なんであの人にはできて私にはできないの」
そんな答えのない、誰が悪いでもない疑問が頭をグルグルして、すごく悩んで悲しくて、やるせない気持ちでいっぱいになりました。
キャリアも、不妊治療も、
周りと比較して「なんで自分にはできないの」と自分を責めて、
もっと自分が頑張らないといけないんだ、耐えるしかないんだと追い打ちをかけて。
そうしたら、もう頑張れません、となりました。
前回の休職を教訓に、
「小まめに不安なことがあれば上司と相談しよう」
「何かあればヘルプを出そう」
もう二度と自分が苦しまないように、工夫してきたはずでした。
精神科へ行き、適応障害の診断。まさか2度目の休職に陥るなんて。。
仕事と不妊治療のストレス、まずは双方から距離を置きましょうとなりました。
そして、休職し、今ここです。
2.なぜnoteを始めるのか
私は休職中、冒頭にも書きましたが自己分析と自己啓発本を読むことにたくさん取り組んでいます。
「やりたいことを見つける方法はないか」
「私がもう悩まず、苦しまずにできる適職ってなんだろう」
そんなことを考えながら、すがる気持ちで本屋に行って、たくさんの書籍を買いました。
いろいろな角度から、様々な人が提唱する考え方やメソッドを試してきて、自分という人間を自分が一番よく理解できるようになる努力をしています。
その中で、少しずつ自分という人間が分かってきて、どう生きたいのかということが見えてきたような気がしています。
私自身、まだまだ完全復活できている状況にはないのですが、
もし、私と同じように、真面目に頑張って生きているのになんだかうまくいかなくて、自分が嫌いで、自分の人生こんなもんだ、と思っている人がいるなら、私にとって「これは使えた」「これは勧めたい」という本や考え方を共有して、一緒に自分で自分の人生を描いて歩んでいけるように手を取り合えるといいなと思っています。
そして、私は自分で深く考えて、文章としてまとめることが好きなので、noteはすごくいい表現の場なのではないかと思い、ここで発信していこうと決めました。
3.どんなことを書くのか
私の苦難の日々をちょこちょこ綴りつつ、「自分らしく自分の好きなことを貫いて自分の人生を歩む」、そのために取り組んでいることや参考になった書籍などをご紹介したいと思います。
そして、私のペンネームの由来でもある「馬が好き」「馬と関わる仕事がしたい」という“33歳の将来の夢”の実現に向けてやりたいこと、取り組んでいることなども、つらつらと書いていきたいなと思っています。
私の経験、知見を皆さんに共有して、
そしてこれからの私の奮闘ぶりも見守っていただきつつ、
そんな皆さん自身も「自分の好きを軸に自分の人生を歩みたい、歩もう」と前向きになれるような拠り所になっていければと考えています。
ここまで、長文を読んでいただきありがとうございました。
もし興味を持っていただけたら、以後の更新も楽しみにお待ちいただけると嬉しく思います。
繊細メンタルうまりん。