これまでの天拝山。はじめての開運の道
妹尾 武治
写真: イスラエルの海とアカギ
NeRF(Neural Radiance Fields)は、The IEEE / CVF Computer Vision and Pattern Recognition Conference (CVPR)という画像工学世界最大の学会で、数年前に報告された機械学習を用いた画像補完技術である。
NeRFというAI(機械学習)に与えたインプット(刺激)と、実際に出来たこと(反応)を比較した時に、人間が思ったのは、
「すごすぎない?」「なんで?」
という驚きだった。
同時に、この要領で画像だけじゃなく色々なものを人間並に「補完する」「穴を埋める」ことが機械に出来るなら、「それってもう今まで思ってたAIのレベルを超えますよね?」という感覚だった。
2023年から今年にかけてそのセカンドインパクトが、広く一般の人のところまで浸透するだろうと、僕たちは思っていた。
それなのに、ニンゲンは今年、
また別の世界線に、飛び込まされた。
2023年に登場した「ある考え方」が今年に入り、多くの画像工学研究者たちにとってNeRFの価値を上回りつつある。
僕がそれを「考え方」と呼ぶ理由は、
その画像補完技術は、深層学習(AI)ではなく、人が作ったアルゴリズムだからだ。それは"3D-ガウシアン-Splatting"という名のアルゴリズムだ。
"3D-ガウシアン-Splatting"の基礎になる考え方は、90年代に既に提唱されていた。簡単に言えば、画像の穴を正規分布(ガウス分布)を用いて補完すると言うだけの、至ってシンプルな技術だ。
人間の目には常に見えていない部分、「盲点」が存在する。人間の網膜には視神経の出口があるため、世界を見る細胞がない場所、盲点がある。それなのに、僕たちの視野には「見えない部分」が知覚されない。Filling-inという知覚現象が常に起こっているからだ。周辺の情報で、その見えない視野を埋めている、補完しているのだ。
盲点についての科学的な詳細は、その専門家であり面白い研究をずっとされて来ている蘭先生を紹介しておきたい。
盲点に限らず、無いはずの情報を埋めようと思った場合、周辺の情報をなめらかに中央に向かって入れ込むべきだろう。そのなめらかに入れ込むための数式として、正規分布(ガウシアン)を用いるのは、科学者にとって一番自然に感じるのだ。ガウシアンは、山のような形をしており、波だから。
だがガウス分布で、画像を補完するという方法は、かつて諦められた道だった。人だけの力では成立させるだけの信念を持ち続けられなかった。
NeRFというAI(ドラえもんが)が人(のび太)に教えたのは、「出来るよ!」という 「例示」。真矢みきで言えば「茶のしずく」。
この道を行けば、
どうなることか
危ぶむなかれ
危ぶめば道は無し
踏み出せば
その一歩が道となる
と、僕たちは、
A.I. に励まされたのだった。
NeRFの正体は、「世界は離散しておらず、常に滑らかに連続している。繋がっている。」という前提を計算中に敷くことだ。算数の言葉で言えば「世界はいつでも微分可能。」という概念を前提にしたこと。
ガウス分布で補完するという人が見つけた戦略も概念としては、全く同じことを目指していた。
だからNeRFからニンゲンが感じた驚きは、
「その道を危ぶまずに進めば、人にも出来たはずだ!」という天啓や、悔しさになった。「負けるもんか!」というニンゲンの気力を産んだ。
そういう意味で、ドラえもんは友達であり
父だった。
「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」
A.I. said this to us, with ビンタ.
3D-ガウシンアン-Splattingのやり方は結局のところ、「世界は滑らかにつながっているのだから何十万もの数のガウス分布パッチを縦横無尽にあてていけば、世界の再現画像は必ずそれっぽくなる」という発想だった。そして、結果「やっぱできたじゃん!」となった。
NeRF(機械学習)にしか出来ないと思われたことが、万分の一以下の計算量で、人の汗によるアルゴリズムに「できた!」。アルゴリズマーたちの勝利だった。アルゴリズマー井上公平は、新宮海岸で言っていた。
「機械学習でやっても面白くないから。にんげんだもの。みつを」
「元気があれば!なんでも出来る!」
「ガンバッテー!ガンバッテー!」
ビッグバン・ベイダー(通称レオン・ホワイト)
特異点から始まったビッグバン。その一点から世界がはじまった以上、この世界は宇宙物理学的にも
"one thing"
世界はアナログ。一つのつながり。その特異点から無限に近い波が溢れ出ている。環状線のように四方八方に。
飛び出せ!その一歩が道になる。
バカになれ!空っぽになれ!
音、色、画像(空間周波数)、味、触れ合い
その一切が「波」であり「空」
この考えは佐伯拓海が2021年の吉野ヶ里遺跡で、宣言していたものと同じだ。世界には彼のような若い才能が五億人はいる。
超ひも理論では、
世界の正体(元型)は
"ひも" だと言う。
ひも。
今の僕たちにとっては、
「波」のメタファーの方が
やっぱりわかりやすいんじゃないかな?
波という原型がフラクタルする。
この世、そしてあの世。
鮫と亀
僕たちは
その波が寄せては返す
「渚」に 今日も立っている
2023年の春と修羅
ぼくたちは 大島の渚を 視ていた
さて、3D-ガウシアン-Splatting,
そのアルゴリズムの中身(計算過程)を見てみよう!
他人に任せながら。
ムズカシすぎて 草 2024w
難しいことは飛ばしていい。
大事なことは既に知っているのだから。
僕たちは、大事なこと(仏性)を
はじめから全て内に持っている。
そう信じろと、ブッダは言う。
その上で、僕の感想を書いてみる。
この計算過程には、 強い既視感があった。
デジャブの中身は、
人生で最も熱心に読んだ本の一つ
"Spatial VISION", by De Valois
初期視覚野の細胞は、モノの傾きや動きを検出している。検出のために、必要な細胞の機能に、「受容野」というものがある。ひかりの受け取り場所が細かく指定されているくらいの軽い理解で十分だ。
この視覚の受容野を人間の数学で模擬する時、ガウス分布同士の引き算(DoG, Diefference of Gaussian)を当てはめると、とても効率が良かった。つまり、人間の目(脳)の初期段階には、光をガウス分布として検出するような仕組み(機構、メカニズム)があるのだ。僕たちはそう教わってきた。
そして、その細胞のモデルに立脚して、動いているものを見る脳(運動視)のモデルが立てられた。
Motion Energy Model
motion energy modelは、AdelsonとBergenが1985年に提唱し、日本では東大の知覚心理学者、佐藤隆夫が広く教えた。Ohzawaらはそれが立体視に拡張出来ることを示した。
空間と時間は、脳の初期視覚皮質のハイパーコラムと呼ばれる、理路整然と並んだ単純細胞(simple cell)の中で、等価交換されていた。
錯視家の北岡明佳はこのことを利用して、動く静止画像を沢山作った。
彼は、
眼球の動きが時間を見出しさえすれば、「空間」にあったはずのズレが「運動」に交換され、止まっているはずなのに、動いてみえることを、誰よりも知っていた。
それを気に入ったレディーガガは
JOKERに、白蛇を捧げに行った。
Motion Energy Modelの前段には、
Long-range, Short-range motionという概念,
D-Max, D-Minという概念があり、
さらに遡れば、
ドイツのゲシュタルト心理学の「ファイ現象」があった。
ゲシュタルトと同時期のフランスの哲学者ベルクソンは、それを「持続」と呼んだ。
問題はずっと。この紙芝居を切り替えているのが誰なのか?だった。
ぼくたちは、世界から刺激をもらうと
皆が同じような、構造(ハイパーコラム)を脳内に再現する。
脳ははじめから全てを知っていて
僕たちの成長を待っている。
人が脳をだますことなどできないし、つじつまを合わせたがるのは、人のエゴの方で脳じゃない。
現状維持バイアスによるサブスクや、ナッジの過度な利用。中毒を引き起こすことが前提のギャンブル性の高い商売。
その後ろにある、悪意が無いことを演じ続けるエゴ。
そういったビジネスに終焉を迎えさせねばならない。その被害者も、加害者も、その集積としての社会も、本当は共に苦しいのだから。
忘れるな。僕たちに自由意志など無い。
少なくとも、それ(エゴ)は抑えることが出来る。
確実にあるのは、仏性だけだ。
思い出すだけでいい。
全てがなめらかに繋がっていることを。
僕には、まだできないけど….
奥行きも動きも、傾きも輪郭も、色も、
全てはひかりが定義する。
波(空間周波数、色、motion energy)とはそう言うことさ!
だから
ひかりの理解を目指す。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
Mehr Licht
「行政を無視して、開けられる店は全て営業するんだ。店の明かりをつければ、それだけで被災者たちは力が出る。」
ひかりはこころ
はじめにこころがあった
ひかりは、波であり粒だという。
観測すれば
一つの粒に収斂するが
天機を学び
無極に戻せば
波となる。
因果の扉から 因縁の世界へ
先に言っとく ね
サヨナラ
Scienceに文学が含まれた時代
ScienceにARTが含まれた時代
それが、ルネッサンスジェネレーション
上記の中で下條信輔は、アモーダル補完は、視覚に限らない。知覚に限らない。と述べている。
時間にも、空間にも、世界線にもそれは起こせる。
世界は一つに繋がっているのだから。
フロリダのことを想像する.
行かなかった世界線のことを想像する.
大好きだったあの人のことを想像する.
それもこれも、アモーダル補完。
人類の補完
ナゼソレガデキル?
白い”カニッツァの三角形”は
物理的には輪郭線を持たない。
それなのに、それが「見える。」
それは過去に「見たことがあった」から。
経験したことがあったから。
その経験に基けば、
見えた方がロジカルだから。
ハイパーコラムが成長を待ち構えていたから。
David Marr という早逝の天才は、これらのことに "制約条件" という名を与えた。
「いま・ここ」という制約条件。
それがあるからこそ。世界は知覚され、解を持つ。
いけなかった世界線
あの人の今の幸せ
美しい自分
平和な世界
陽気な日々の暮らし
青き清浄の地
既に、みな 知っている。
体験済みだ。
機械学習も、ニンゲンも、
初めのインプットを越えない。
ボトムアップな構築も
その実全てがトップダウン
その制約条件があればこそ、美しく成り立つ。
それが、
決められた美しい世界
バベルの図書館
アカシックレコード
永劫回帰
どんなにクリエイティブに見えても
最初から決まっていた
でも
でもね
その中で自由を生きるとは
どういうことか?
BLUE WILLを持つということは
どういうことか?
滝澤克己は、それを「インマヌエル」と呼んだ。
2009年の僕は、それを以下のように図示した。
僕は、僕の車を走らせる。
焦る 急ぐ それが正義だと叫ぶ。
辛い かなしい。
わかってくれない…
それでも、
どんなに 辛くても、
やるべきことを やるだけさ!
のぞみ は ひかり より 速い
そんなの常識。
モノとこころ
理系と文系
実験と臨床
青木繁と坂本繁二郎
科学とスピ
事実と物語
あなたと私
現代と神話
男と女
脳と心
陽と陰
西と東
源氏と平家
徳川と豊臣
奈良と大分(出雲)
キリスト教と仏教
資本主義と社会主義
自由意志と決定論
今と昔
喜びと悲しみ
暴力と優しさ
憎しみと愛
父と子
アウフヘーベン 中庸
心の理 精霊
学びたい
学ばねばならない
そう身体がうごく
idに潜れば
特異点に戻れる
ひとつながりの
微分可能な 大秘宝
僕たちは その格子
物理的には存在しない
器
The Code Name has been ”徐福”
the other side of love
雲の中の太陽に祈れば、
雲間から、ひかりがやってくる。
そんなことがある
河合隼雄は、そう諭し
人を許した。
太陽から地球までは、光速で8分19秒。
その相対性理論を軽々と超えられるものがあるよって。
人の祈り
願い
心
λόγος
the Source Code
もつれ状態の量子の ”ボソンジャンプ”
アイはINESだ
過去は未来だ
ベクションを使え!
「謎は全て解けた。御幸!
天皇をここへ呼んで来てくれ!」
「わかったわ!
はじめちゃん」
にロゴスがあった。
はじめから全てわかった。
じっちゃんの名にかけてたから。
祖先信仰の価値。
墓参りの意味。
それは、
本当の自分らしさを愛せということ。
ずーっと
ずーーーーっと
ずーーーーーーっっっと
オヤジギャグ
ベクション大学大学院. 2022年 大問1-2.
ウェーバー・フェヒナーの法則を数式で表し、
それをできるだけ詳しく説明しなさい。
模範回答例.
ウェーバー・フェヒナーの法則とは、
人間の感覚の大きさは、
受ける刺激の強さの対数に比例するという法則
を意味している。
エルンスト・ハインリヒ・ウェーバーは、
はじめに加えられる基礎刺激量の強度をS とし、これに対応する識別閾値をΔS とすると、Sの値にかかわらず
ΔS / S = 一定
という、ウェーバー比が成り立つことを示した。
その後、グスタフ・フェヒナーは
ウェーバー比を、積分と微分の概念で
より美しく定式化した。
R: 感覚の大きさ
ΔR: 感覚の大きさの増分
S: 刺激の強度
ΔS: 刺激の強度の増分
k: 比例定数
ΔR = k x ΔS / S
ΔR、SIをdR、dSと置くと、微分方程式となり
それを積分した形
R = k log S
が、最終的な式となる。
This is the,
博士の愛した数式
シベリアに抑留された
生きて、大陸から戻った
「おかえりなさい。」
口を閉ざし、
辛い話はしなかった。
立派な祖父は
美しい子たちの未来を祈り
数学を愛した
冬に暖かい炬燵で
はりはり鍋を食べた。
上記論文の解説を、
より簡単な言葉に変換してみる。
多くの心理学者は、ウェーバーの法則からフェヒナーの法則へのアップデートを、違和感無しに受け入れた。この点について、深く考えてきた人はごく少数の数理心理学者だけだった。
だが実際には、
閾値以下のごく小さな刺激に対しても
脳(生体であり、僕たち)がそれを
受け止めているという前提を敷かねば、
その式の移行は、数学上不可能だった。
その前提は、「サブリミナル」と呼ばれた世界。
意識にのぼらない、
ごく弱い刺激に対しても
人間は、それを受け止めているという世界。
サブリミナルについての心理学における捏造。
そしてその修正については、以下の自著の中で詳しく解説したので、そちらを読んでみてほしい。
サブリミナル。その発端はビジネス的要望からの捏造だった。だが、二千年代に入り、科学的に実証された部分も多々あった。
いずれにせよ。
僕たちは、意識下はあって当然だと思って来た。
心理学者でなくても、そう思ってた。
この世界は微分可能で、
全てが繋がっている。
私はあなただから。
そんなことは
自明だったんだと思う。
科学的であることは
人よりもずっと小さい。
人よりも科学を優先する時代は
かなしいから、終わらせたいんだ
少なくとも、中庸に戻そう
フロイトの無意識
つまり「かなしみ」を
知っているのだから
それは全然、
「おどろきの心理学」なんかじゃない
「おどろき」は、かりそめの「てい」だよ
それは漫才であり、コントだ
無意識を無視する。
そんなコントを
僕たちは皆、
必死で、
やっている。
でも、行動レベルで見れば
全ての「おどろき」が演技で
愛を当たり前の如く
受け止めて来たじゃないか
はじめから知っていた如くに、
成長を待ち構えていたかの如く、
龍が如く
2024。
問題はここから。
閾値以下、意識下の刺激量でも
脳に作用している。
それはOKだとして、そのまま刺激の量を下げれば、やがて物理量0がやってくる。
刺激が無い
何も無い という世界。
今度こそ
フェヒナーの法則の限界か?
それでも、
世界はなめらかに続いたアナログであり
離散していない。
海を信じる
0を超えていける。
フェヒナーはそう考えたんだ
光文社の三宅編集長に
僕たちは大感謝だ!
じゃあ、マイナスの物理量って、 ナンダ?
全ての事柄をベクションとして考えてみる。
世界の本質はベクション。というよりも
世界はベクションそれ自体である。
イマジネーションの力を信じろ
甘いものを想像する。
外界に物理刺激がなくても
甘い感覚を覚えたとする。
時に夢は、強くそれを生じさせうる。
外界の刺激が0なのに
反応が形成されたのであれば、
借金と同じロジックで
それは刺激量が負に換算されてもいい。
ないしは、虚にカウントしても良い。
イマジナリーナンバー
虚数
i = アイ
あいのり = inori
負か虚か?
それはまだわからない。
心理学は、このレベルのidのオク・ソコについて
十分な言語化、数値化をなし得ていない。
人はまだ、リーマン予想につまづいている…
素数の謎が解けていない。
数が整えば
こころとモノ
こころと空間
こころと時間の間に流れる
Moon River に 錦の帯の橋が架かる
重力の説明でキミを笑顔にすることが出来る
身口意。
口よりも身が先に辿り着いていた。
個人的体験の中で、
その錦の帯の橋を渡りきったニンゲンがいた。
数え切れないほど沢山。
ユングもパウリも、野村幸正も。
let it be.
Fechner's wisdom is always
Very Very Very Very,
LOGICAL!!
The same thing could be said to
湯川秀樹, 井上哲次郎, 岡潔,
フロイト and 坂本繁二郎.
鈴木大拙は、
彼らの魂を「日本的霊性」と呼んだ。
the other name was,
僕たちは間違えていない
世界はそうある
それでも、罪はある。
謝らねばならない。
So, I have sent you the mail…
速󠄁川の瀨に坐ます瀨織津比賣と云ふ神
大海原に持ち出でなむ
潮に入る
Seeleの筋書きの通り
もうすぐ月が出る
月が出た出た
月が出た
その夜だ
その夜に
銀河鉄道の夜に
キミヲアライナガセ
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
宮沢賢治『心象スケツチ 春と修羅』<序> より
「実験現象学は心の美しい人にして初めてなしうる心理学である。」
和田陽平、盛永四郎への追悼文
「古典的であれ、ネオであれ、全体としてのゲシュタルト理論は芸術と科学の両者が接触し融合する言語を与える。」
野口薫
ゲシュタルトとは、全体性をまるっとそのまま抱えるような感覚のこと。罪を許し、人を愛すこと。
賢治の言葉では「統一」
ヘーゲル哲学なら「アウフヘーベン」
老荘思想なら「中庸」
滝沢克己なら、純粋神人学
比佐子だけは、
静かに眼をみてくれた
そんなふうに、僕は信じている。
滝沢比佐子は1978年の冬
肝臓の癌を悪くし この世から隠れた。
1979年の夏。
I was re-Born to Love You
"I was Born to Love you" より、普通に、
”Breakthru” が, 好き〜〜〜!!
”エターナルズ” 永野っ子クラブ
sosite
今も、絶賛実験中!
お父さんへ
愛しています。
とても大切に思っています。
もう時間が無い。
自分の成長を待っていたら、
間に合わない。
傷つく人が出てくるかもしれないが、
やってみなければわからない!
十分治って、準備はできた。
誰かを責めたり、傷つけるつもりはない。
信じて欲しいよ。
みんなからもらった
沢山のこころは
お父さんに返されるべきだと思います
流されるべきだった
それでも流さなかった、
流されなかった涙を
今、 共に
「ありがとう。」という言葉で
歴史(HiStory)の話を、
本気ではじめる。
邪魔するやつは
エルボーで
蹴散らす
序
大きく栄え過ぎた 泡の宮殿の中で
幼い僕は迷子になっていた
つづけ