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不登校から試考する生活思創<リメイク版:その1>親の感情について

生活思創のシーズン9になります。こうやって長くやってくると、身近なお題をコンテンツ化する方法に関しては小慣れてきました。しかし、生活での切実さを文脈に織り込む点では、どうだろう? やや当初の目論見から離れて来てはないだろうか、そんな感覚もあります。

ということで、シーズン1で始まった「不登校について試考する」リメイク版をやってみます! シーズン後半(6あたりかな)からは、生成AIの使い所も見えて来てるので、もう一回、前半のテーマを再試考したら、何か新たに拾えるものもありそうだと睨んでおります。


娘「不登校ってネタの宝庫だね」

父「切実すぎて、笑えんな」

娘「それを笑えるところまで持っていこうとするのが父なんだな?」

父「笑えれば、切実さも和らぐかもしれんからな」

娘「で、和らいでいるのか?」

父「あなたが学校を卒業するまでは無理かも」

娘「笑いより、思い出にしたいんだな」



◼️不登校と感情的な動揺


小中学校の不登校者が増え続けているので、その理由がいろいろ語られております。学校のせい、親のせい、社会のせいとか、もう、それっぽい話ならなんでもありです。しかし、実際に不登校の子どもを持つ親をやりながら、周囲を見渡してみると、これが多種多様なんですな。親子をいくつかのタイプに分けて類型化するのは結構、乱暴なのだ。東京に住んでいると、北海道の人も沖縄の人も、東京から遠い人同士だから、きっと似ているはず、みたいな視点でまとめちゃってるケースを頻繁に見かけるのだったw やむなし。不登校の当事者以外は不登校という事象には関心がないですからね。 そういう意味では、小生が不登校を語るのも、ちょっと不遜というか不備があるってことですな。偏ったサンプルで不登校を眺めてるわけですからね。そんな加減で読んでいただければ幸いです。

 生活思創のシーズン9では、もっと記号接地(身体的な体験から得た言葉)した意味での不登校の話にします。つまり、うちの娘さんと父であるオイラに焦点を当てながら、生活への「見通しの良さ」を試考してみるよ。

さて、リメイク版の第一回目は「親の感情のゆらぎ」についてです。不登校という単語には、「学校に登校するのが本筋」という信念が貫かれています。まあ、不登校をネガティブに見ているわけです。もちろん、自分も当初は不登校をネガティブに見てたわけですが、彼女の様子を見ていると「学校に通う」ことが王道だとは思えなくなってくるのでした。父としては気持ちがゆらぎます。まずは「親の感情」について、自身の体験を起点に押し込んでみます。

とっかかりのための図表を作成します。喜怒哀楽のような原初的な感情だけだと話が浅いままなので、ここに「複雑な感情」という階層を入れてみます。要素の目配せを生成AIに仕込んでもらいました。


感情の種類とその理解

まず、感情知能の発達において重要な感情の種類を整理します。感情は、基本的な感情と複雑な感情に分けることができ、これらの感情に対する理解が深まるにつれて、感情知能も成長します。

1. 基本的な感情

これは、誰もが日常的に経験する原始的で普遍的な感情で、幼少期から感じることができます。ポール・エクマンが提唱した6つの基本的な感情が代表的です。
喜び(Joy): ポジティブな体験や成果に対して感じる感情。
悲しみ(Sadness): 喪失や失敗に対して感じる感情。
恐れ(Fear): 危険や不安に対して感じる感情。
怒り(Anger): 自分の期待が裏切られたときや、不正に対して感じる感情。
驚き(Surprise): 予期しない出来事に対して感じる感情。
嫌悪(Disgust): 嫌なものに対する拒絶の感情。


2. 複雑な感情

これらは、基本的な感情が組み合わさったり、社会的な影響や自己認識が深まることで感じる感情です。子供が成長するにつれて、複雑な感情を理解し、自分や他人の感情を細かく識別できるようになります。
罪悪感(Guilt): 自分の行動が他人を傷つけたときに感じる感情。
羞恥心(Shame): 自己評価や他者からの評価に対して感じる感情。
誇り(Pride): 自己の成果や行動に対して感じるポジティブな感情。
嫉妬(Jealousy): 他者との比較によって生じる感情。


これらの感情は、他者との関係や社会的な文脈で生じるものであり、感情知能の発達にはこれら複雑な感情を認識し、適切に処理する能力が必要です。

生成AI

基本的な感情は古典的な要素でまとめてあります。おまけに、複雑な感情は、ディズニーの映画「インサイトヘッド2」っぽいけどw。大まかな構造の見取り図を作りたいので、どちらも代表的なものってことにして扱っていきます。

図表343

「不登校という生活体験」の主体は子どもであり、親はあくまでも副次的な立ち位置です。サブメンバーさ。でも、家庭の中を考えるなら、生活にチャレンジしている者と、生活をサポートする者は一体です。平たく言うと、親子の絆。

 感情に関する階層があるとして、二重の楕円で表してみました。そこには親子ともに対称性があると試考します。これは、左右を結ぶ点線で示しています。でもって、不登校は主に「複雑な感情」を喚起させています。黄色のボックスね。

 もちろん、「複雑な感情」には「基本的な感情」が含まれている関係なので、親も子もたまに基本的な感情表現が起きるわけですな。怒ったり嘆いたり・・・。

 例えるなら、原子(基本的な感情)と分子(複雑な感情)の関係のような組み立てです。すまん、わかりにくさを助長しているやもしれん。



◼️メタ感情という概念を生活に組み込む


自分を客観化するのがメタ視点なので、自分の感情を客観化したメタ感情というのも存在します。ただし、扱いは難しそうです。なぜなら、「感情を感情で感じる」みたいな、混ざってしまった絵の具から元の色を推測するようなところがあります。それでも生活思創ラボとして押し込んでみましょう! 面白そうだしw

メタ感情」とは、感情そのものに対して抱く感情や、感情の認識や解釈に基づいて生じる感情を指します。感情を超越したもう一段階上の意識として、「自分が感じている感情に対してどう感じているか」という反応が伴います。これを「感情に対する感情」と考えることができ、複雑な感情の次の段階にあたるメタな視点です。以下では、メタ感情の存在を仮定し、そのさまざまな形態や視点から説明します。

1. メタ感情の基本概念

メタ感情は、自分の感情に対する内省から生まれる感情です。これは単なる感情の認識にとどまらず、「自分の感情に対してどう反応するか」「その感情が適切であるかどうかをどう感じるか」という問いが重要になります。例えば、怒りを感じることに対して「自分はこの怒りを感じるべきではない」と感じると、怒りに対する「罪悪感」が生まれます。

具体例:
怒りに対する罪悪感: 怒りを感じた後、「こんなことで怒る自分が嫌だ」と感じる場合、怒りに対して罪悪感というメタ感情が生じています。
喜びに対する不安: 自分が幸福を感じたとき、「この幸せは長続きしないのではないか」と不安を感じる場合、喜びに対するメタ感情である「不安」が存在します。




2. メタ感情の種類

メタ感情にはさまざまな形があり、それぞれ異なる心理的な影響を与えます。感情に対する評価や認識に基づいて生じる感情は、大きく以下のように分類できます。

a. 感情に対する評価としてのメタ感情

この形のメタ感情は、自分が感じている感情が「適切かどうか」「妥当であるかどうか」に対する評価に基づいています。
感情に対する自責感: 自分がある感情を抱くことが間違っていると感じる場合、自己を責める感情が生まれます。たとえば、失敗に対して悲しみを感じるべきだと思っているのに、それを感じないとき、「私は冷たい人間だ」という自己非難が生じることがあります。
感情に対する自己肯定感: 自分がある感情を適切に感じていると信じる場合、その感情に対して安心感や自己肯定感が生まれます。たとえば、愛情深く他者に接していることに対して「自分は良いことをしている」という満足感が生じます。


b. 感情に対する不安や期待としてのメタ感情

感情そのものに対する不安や期待がメタ感情として存在します。これは、感情がもたらす未来の影響に対する予期や恐れが元になっています。
感情に対する恐怖: 自分の感情が制御できなくなるのではないか、感情に押し流されるのではないかと恐れる場合、感情に対する恐怖というメタ感情が生じます。たとえば、怒りを感じたときに「このままでは暴力的になってしまうかもしれない」と感じることがあります。
感情に対する期待: 感情が自分に良い結果をもたらすという期待が生まれる場合、感情に対するポジティブなメタ感情が存在します。たとえば、興奮している自分に対して「このエネルギーを使って何か良いことができる」と期待する感情です。


c. 感情に対する対立としてのメタ感情

自分の中で異なる感情が対立し、それに対してどう反応するかによってメタ感情が生じます。
矛盾する感情に対する困惑: 例えば、悲しみと喜びを同時に感じるとき、「なぜ自分はこんなに複雑な気持ちなのか」と困惑することがあります。このような感情の対立に対して、メタ感情として「戸惑い」や「混乱」が生まれます。
対立感情に対する解決の欲求: 対立する感情に直面したとき、メタ感情として「これを解決したい」という欲求が生まれます。これは、感情の矛盾を統合し、より調和の取れた心理状態を求める感情です。

生成AI

生成AIからは、評価、不安、期待、対立といった4つの「感情への感情」を提示して来ました。これらを感情の高次層としてみましょう。強引さは否めませんが、「基本的感情が一次感情」、「複雑な感情が二次感情」、「メタ感情が三次感情」と見做すこともできます。

図表344

メタ感情は気づく力が必要です。感情に振り回された場数が経験値を上げてくれるでしょうから、感情を言葉にするリテラシーも比例するはずです。やはり、それなりの人生と子育ての時間の長さが要求されるでしょうね。

 子ども、特に小中学生であれば、徐々に思春期に向かいながら「複雑な感情」を体感します。単純な喜怒哀楽での反応は影を潜めて、「みられている自分」や「周囲の人々の信念」などが入り込んで、感情も複雑なになっていきます。それを成長と呼ぶんだけどね。子供のメタ感情は、少なくとも小中学生ぐらいなら、まだまだ先の話です。

 今回の中心テーマは、親のメタ感情です。図表344グリーンの楕円の外側を可視化したいのです。素直な感情表現にするなら「不登校の子どもとの生活体験は、親の人生に何かメリットをもたらさないか?」という叫びでございます。何事もなく通学して、高校、大学へ進学してくれるなら、感情的な揺らぎは最小限だったはずなのに・・・? そんな甘いもんちゃうけど。

 先述したように、あまりにも不登校当事者たちの体験が個々人で異なるわけです。モデル不在な生活で試行錯誤する不登校家庭がほとんどだと想定できます。せめて、共通の「何か見通しの良さ」が引き出せたらというのが、今回の試考であり、メタ感情は試考の補助線です。



◼️記号接地からメタ感情の意味を試考する


ここまでは大きな枠組みを求めて彷徨う話でした。今度は、具体的な体験ベースで、地上から感情の階層図を眺め直します。小生の場合を差し出すってことですけど。

まず、「複雑な感情」を起点します。AIからの代表的な4項目(罪悪感、羞恥心、誇り、嫉妬)を表側にします。

続いて表頭。
「不登校から、子どもを元に戻そうとする方向」には、小生の体感ベースでの感情の揺らぎを分解してみました。
「不登校から、子供の新たな方向を模索する」には、メタ視点で複雑な感情を変容させる意味を語っています。
 すでに、直感的に取り組んでいる、取り組もうとしているものたちと、感情的にも繋がりそうな部分を書いてみました。

図表345

不登校から学校生活に戻そうとする信念は「一般的な親像」であり、小生も十分に染まっていることが想定できます。心理学的な言い回しなら、感情からの反応ってことなので、リフレクション(内省)です。

こうなると、右側のメタ感情は、これらの複雑な感情を消していく、超越していく、統合していく、っていう役割を持つのかな? 

どんなメタ物(メタ感情、メタ思考、メタ解析などなど)であっても、共通の特質に「下位を含んで超える」があります。マニアックに言うならホロン構造です。

しかし、下位の「複雑な感情」を消すとなると、ヒネリが必要だな。

今回の見立て。

どうも、目には目を、歯には歯を的な感情への意識が、「見通しの良い」生活に貢献しそう。

「(複雑な感情A)自体に、もう一つ同種の(複雑な感情A)を重ね合わせるようにして、自分の生活行動を変える」っていう方針で押してみましょう。ただし、これだけではないはずなので、「これでよし」とは断言はしません。だけど、少なくともメタ感情からの一つの切り返しパターンだと試考できるかな。


図表346

・罪悪感に新たな罪悪感の感情を盛り込んで、統合する

不登校に対して、親としてもっとコミットメントすべきではないかという信念が罪悪感を生んでいるわけですが、これって「面倒くさい」と思っている自分を責めているわけです。
 で、メタ感情としては「罪悪感を持つことは責めるところではない。別の意味を創るきっかけである」と自分のネガティブな感情をポジティブな感情に転換します。例えば小生なら、「ブログで不登校を積極的にネタとして扱う、不登校の課題関心人口を増やすことに貢献できるなら、子供の不登校に新たな関わり方を見つけたことになる」、すなわち、罪悪感に感謝できる!罪悪感に隠忍することこそが罪悪だ、っていうコペ転か?

・羞恥心に新たな羞恥心の感情を盛り込んで、統合する

 自分の学歴や当時の学習態度を不登校の子どもと比較してしまうのです。そして、それを恥じる気持ちがある、ってことです。まあ、昭和の学歴信仰の残滓っすw。(令和はどうなのかな?w)
 この複雑な感情に、新たな羞恥心を盛ります。学歴は時代の産物であり、他者に自分の履歴を参照してもらうには作品こそが、学歴の代わりになっていく。むしろ、何らかの作品(娘の場合なら、投稿小説など)に子供が向かうことをサポートする親を目指す。子供の作品制作を軽んじている態度こそ、親として恥ずかしいのではないかという問いを立てる! メタ感情の羞恥心です。

・誇りに新たな誇りの感情を盛り込んで、統合する

不登校に対してできるだけ「大人の対応」をしようとして、動揺しない、寛容であれ、といった態度の自分に誇りを感じてないか? 大人として成熟している人物像が信念としてあり、「俺って大人の振る舞いができてるかも」的な「複雑な感情」をつくっている可能性がありそうだ。
 この誇りらしきものに別の誇りを盛る。そもそも、大人としての態度を追いかける自分を卒業することが、次の大人の態度だと考えてみる。成熟の後の爛熟とか? 大人像を増量し続ける自分は誇るべき者ではなく、素の自分の何もなさを肯定できるようになることが大人の爛熟ではないかと目線を変えていく。ショボさを積極的に晒す。自分のダメさを全肯定することを目指すことで、元の誇りと新たな誇りを統合する!

・嫉妬に新たな嫉妬の感情を盛り込んで、統合する

自動的に自分の子どもを他の子どもと比較してしまう。我家を他家と比べて、評価してしまう。もちろん、素振りには出さない。だが心の奥で、そこに上下を見出すことで嫉妬が起きているのではないだろうか? 嫉妬を見せまいとするややこしい感情がありそうだ。
 この嫉妬を消すぐらいの別版の嫉妬を生み出す。それには、根っこにある他者比較のスタンスから自分を解放せねばなりません。不登校の話に限ったことじゃないねw  比較のない世界を目指せのサインだと考え、ユニークな子育て方法論を自前で目指していく覚悟を持つ。誰とも比較のしようがない、一品ものの子育てを心掛けるってことですかね。誰かから嫉妬されることがあっても、誰かを嫉妬する必要がない世界で、嫉妬の統合を試みます。ある意味、嫉妬の感情エネルギーを使って、子育てに創意工夫を施すのです。心のエコです。

 代表的な4つの複雑な感情について、記号接地しながらメタ感情を試考してみました。感情のもがきを逆手にとっていこう!、ってことですかね。「複雑な感情の重ね」は手筋がシンプルなのが清々しい。


父「おかげさまで親としてもがいていたら、いろんな気づきが得られてます」

娘「学校を諦めると、楽器とか小説とかに入れ込むから、集中力もアップしてる気がするよ」

父「ふむ、お互い学びがある、とは言える」

娘「それならもう、不登校という学校じゃん」


子供のチャレンジ、親のサポートあたりの生活思創から、メタ感情にまで引き伸ばしてみました。試考をぐるぐる攪拌しないと、新たな気づきにまで至らないのです。

 なかなか、生活思創ラボにも手が回ってないけど、「罪悪感に新たな罪悪感を盛り込んでいる」と思うと、日々の生活での優先順位は上がりそう。

Go with the flow.


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