戦国大名の二つ名 その3
前回に引き続き、戦国武将の二つ名について紹介します。
今回でいったん最終回です。
そんな今回は九州の武将の二つ名を紹介します。
【風神】高橋紹運
「高橋紹運」(たかはししょううん)は北九州を治めた大友氏に仕えた武将です。
大友氏のナンバー2であった立花道雪の部下として戦術を学び、道雪亡き後も大友家を守りました。
そんな彼は【風神】と呼ばれています。
立花道雪に師事した紹運は、のちに道雪と並び立つほどに成長します。
その結果、道雪と紹運は「大友家の双璧」とまで呼ばれます。
道雪は【雷神】と呼ばれており、それに対をなす存在である紹運が【風神】と呼ばれるようになったのです。
ちなみに立花道雪がなぜ【雷神】と呼ばれているかは、以前紹介していますので是非読んでください。
【肥前の熊】龍造寺隆信
龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)は現在の佐賀県と長崎県を治めた戦国大名です。
もともと小さな家であった龍造寺家を、周囲の戦乱を利用することで戦国大名にまでなり上げた人物。
そんな彼は【肥前の熊】と呼ばれています。
私が考える隆信が【肥前の熊】と呼ばれる理由は主に4つ。
1つは体格が良く、大柄だったから。
2つ目は1、代で勢力を拡大した実力者だから。
3つ目は、隆信が疑心暗鬼になりやすい冷酷な人物だったため
4つ目は若いころに肥前を追われ、その後肥前を取り返しているから。
熊は非常に執着心の強い動物で、隆信に似ているところがあると個人的に思います。
戦国武将の二つ名の多くは、後世でつくられたものがほとんどです。
後世でつくられたものも、戦国時代当時から言われていたものも、現在の武将のイメージやキャラクターの形勢に大きな影響を与えていると思います。