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マルコ・ポーロの『東方見聞録』に触発されたコロンブスは、黄金に憧れ、地球が球体であるこ…
「不思議」とは、とても不思議である。 日頃、私たちは「不思議」という言葉をよく使う。 …
前回からの続き。教祖は、①「信じていない人」に対し、どのように導かれたかを考察して参り…
にをいがけを思案する上で、他ではなく教祖のひながたから学ばせて頂きたい。 前回の序章…
心から、お道の教えは素晴らしいと思う。 言葉では表現できないほど、教祖の教えは魅力的…
教会長の理のお許しを戴いて、はや半年が経ちます(令和5年7月現在)。 まだまだ分から…
前回まで、貧に落ちきるひながたの道を「裸になる」というテーマで思案してきました。 そして、物の裸・形の裸だけでなく「心の裸」が重要ではないか。 そんな考察を進めてきました。 では、一体どうすれば「心の裸」に近づけるのか。 私は、ひながたを思案する上で二つのポイントを見出しました。 ① 阿呆になる。 ② 欲を忘れる。 「心の裸」を目指すことは、決して簡単ではありません。 けれども、この二点が手掛かりになるのではないかと考えたのです。 そこで今回は
青年会本部の一月例会で、大亮様のお話に感激した。 基本方針は昨年と同じ。活動目標の一…
今回は、 「貧乏」という言葉について考えてみたい。 「言葉」は、それらが指し示すイメー…
今回は、ちょっと変わった視点でおふでさきを眺め、教祖のひながたについて思案してみた…
これから神様のお言葉を頼りに、ひながたの道を思案していきたいと思います。 中でも「お…
前回、ひながたの道は、人間の常識的な価値観や倫理観で解釈するのではなく、神一条のモノサシ…
『稿本天理教教祖伝』 p16 文化十三年春、十九歳の時、勾田村の善福寺で五重相伝を受け…
『稿本天理教教祖伝』 p11 教祖中山みきは、寛政十年四月十八日朝、大和国山辺郡三昧田に生れられた。(第二章 生い立ち) 教祖は、ご幼少の頃から信仰熱心なお方であった。 前川家は、代々浄土宗の檀家であったので、幼い頃からお母様に連れられてお寺参りをされるようになり、早くもお経や和讃を暗唱されていたらしい。 御年十二、 三歳の頃には、浄土への憧れがつのり、尼になることを懇願され、それが為に、縁談を断られたほどである。 「信仰」というものは、そんな幼くして