映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』は、鹿野氏の生き様から学ぶことがたくさんある素敵な作品です
もう一度久しぶりに観たくて、ずいぶん前に録画したままになっていた映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』をようやく観ました。
この映画の主人公は、12歳のときに「筋ジストロフィー」と診断された鹿野靖明氏。彼は障がい者でありながらも、自宅でボランティアの人たちに助けられながら「自立生活」を送ることをモットーに生き続けた、実在した人物です。
映画の中では、ボランティアの人たちに対しての鹿野のわがままぶりが描かれていきます。映画のタイトルである『こんな夜更けにバナナかよ』は、ある泊まりのボランティアの日、鹿野が突然「腹減ってきたな。バナナ食べたい!買ってきて!食べなきゃ寝れない。バナナ」とボランティアの人にわがままを言ったのがタイトルになったようですね。
手足が不自由な「重度障がい者」で誰かの手を借りないと生活できないならば、もう少し謙虚な姿勢でいるのが普通だと思われます。鹿野はそういう点では、かなり”型破りな障がい者”のイメージです。
映画の中でも、高畑充希演じる美咲が次から次へとわがまま言い放題の鹿野に「鹿野さんは何様?障がい者ってそんなに偉いの?障がい者だったら何言ってもいいわけ?」とブチ切れるシーンがありました。観ている私でさえあまりのわがままぶりに少々頭にきて、振り回されるボランティアの人たちがかわいそうに思えてきたりもしました。
でも鹿野はシンポジウム等で「俺がわがままに振る舞うのは、他人に迷惑かけたくないからって縮こまっている若者に、生きるってのは迷惑をかけ合うことなんだって伝えたいからなんだ!」と発言しているように、自分の命を懸けた生き様を通して、時には思いきって人の力を借りる勇気も必要で、人と人とのぶつかり合いの大切さを身をもって教えてくれているような気になってくるから不思議なものです。
鹿野の夢は「英検2級を取って、アメリカ旅行に行きたい。エディ・ヤングというアメリカの障がい者活動家に見込まれて自立生活を始めたこともあり、アメリカの『自立生活センター』を見たい。有名になりたい。最終的には『徹子の部屋』に出たい。日本の福祉を変えたい」。
つまりは自分がモデルケースのようになって障がい者が生きやすい社会を作ることで、誰もが生きやすい社会を作ろうという大きな夢を持っていたわけです。
最初は鹿野のボランティアも、医師を目指す恋人の三浦春馬演じる田中がやっているからと、流れのままに参加することになった美咲。でも鹿野の夢やその"人となり"を知るにつれ、彼の自分に正直な生き方から学ぶことも多く、その考え方が変化していく過程が丁寧に描かれていました。だからこそ、美咲の心の変化が自然に受け止められました。
元気なように見えても、鹿野の身体は少しずつ悪化していきました。心臓がかなり弱っているので、心臓の負担を減らすためにも「人工呼吸器」をつけることに。声帯が圧迫されるということは、すなわち声を失うということ。
「人工呼吸器」をつけると気管や肺にたんが溜まりやすくなってそれを吸入しなければならず、ボランティアの人たちは病院に泊まり込みでナースコールを押したり、寝返りの手助けをしたり…。
そんな中、美咲が「人工呼吸器」をつけていても声を出せた人の資料を見つけ、主治医や看護師には内緒で声を出す訓練を開始。訓練の甲斐あって、鹿野は声を取り戻しました。このまさに”不屈の精神”こそ、鹿野の生き様そのものですよね。
たん吸入は医師や看護師にしかできない医療行為ですが、家族だけは許されていました。鹿野はボランティアは家族同然と周囲を説得し、ボランティアの人数を集め、たん吸入の講習会を経て自宅に戻ることができました。”鹿野ファミリー”の結団力恐るべしでした。
ただ田中は退院パーティーに誘われても断り、ボランティアも辞めて、医者になることもあきらめると。鹿野はそんな田中に会いに行き「何がしたいんだよ。何が大事なんだ。何かあったら相談しろよ。俺たち友だちなんだから。言いたいことあるなら言えよ。本音で話せよ。正直に生きてるか?」と伝えます。田中は「正直がそんなにいいことですかね。振り回される側の身にもなってくださいよ!」と言葉をぶつけて走り去りました。
退院パーティーでの鹿野の言葉は彼の素直な気持ちそのもので、普段は悪態ついていても、ボランティアのみんながいなければ生きていけないことへの精一杯の感謝の気持ちが込められた素敵なスピーチだったと思います。
このパーティーで鹿野は美咲にプロポーズをしますが、見事にフラれます。美咲の言葉で、美咲の好きな相手が田中だとやっと気づいた鹿野。
美咲にフラれてすっかりおとなしくなってしまった鹿野は、主治医から「今のうちにやりたいことを全部やらせてあげてください」と言われたボランティアたちの提案で美瑛に旅行に出かけました。
旅行を楽しんでいた鹿野が突然倒れ、田中と美咲に連絡が入り、二人は美瑛にかけつけました。椅子から崩れ落ちるように倒れた鹿野を見たら、これはとうとう…と思ってしまいますが、実はこれは二人を仲直りさせるための鹿野の演技でした。
夜中に美咲が目を覚ますと、外で話をしている鹿野と田中の姿が。鹿野は田中に「人はできることよりできないことのほうが多い」と励まし、美咲はまだ田中のことが好きだと。その言葉を受け、田中は自分の気持ちに正直に生きて、医者をもう一度目指すと告げました。そんな二人のところに美咲も…。三人で見た美瑛の朝日の美しかったこと!
そして七年後、鹿野は亡くなりました。田中は医者になり、美咲は小学校の先生に。二人は結婚しました。
この映画では、鹿野と母親の関係性がしっかり描かれていたのも印象的でした。我が子が筋ジストロフィーと診断された時「一緒に死のうか」と言った母親に「絶対死なないからね」と言った子どもの鹿野。
障がい者の子どもを持つ母親は「自分が健康に産んであげられなかった」と必要以上に自分を責めたり、世話を焼こうとする…それが分かっていたからこそ鹿野はわざと母親を拒絶し、憎まれ口ばかりをたたいてきました。「親には親の人生を歩んでほしい」それが鹿野の願いであり、最期までその姿勢を貫きました。
それでも「人工呼吸器」をつける手術を終えた鹿野が目を覚ました時に、目の前にいた母親に「お母ちゃん」と出ない声で伝え、母の手を握り涙を流したシーンはジーンときました。なんだかんだ言ってもやっぱり親子なんですよね。
この鹿野靖明という役。わがままで自由奔放で…なかなかの個性的なキャラクターです。でも映画を観ていくうちに、どんどん魅力的で愛すべき人間に見えてきます。それは鹿野氏ご本人もそういう方だったと思いますが、演じた大泉洋のなせる業といいますか、大泉洋がそもそも持っている明朗活発なイメージと、鹿野氏の夢を持ち続けて生きる前向きな姿勢が重なるところがたくさんあったからではないかと感じます。大泉洋の演技力、もっともっと高く評価されていいと私は思っています。
500名を超えるボランティアの方たちが鹿野氏を支えた…この事実は、鹿野氏の生き方や考え方に共感した人たちがたくさんいたことの現れでしょう。もちろん、鹿野氏と同じ障がいを抱えた人すべてが同じように生きられるわけではないと思います。
でも障がい者たちが「自立生活」を送れるような世の中になってほしいという鹿野氏の願いが、いつか叶えられるような時代が来てほしいと私も願わずにはいられません。
映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』は、鹿野氏の生き様から学ぶことがたくさんある素敵な作品です。またいつか観直したいと思います。
長い文章最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?