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谷川俊太郎さんの「言葉のインフレ」という言葉の重み

先日92歳で亡くなられた詩人・谷川俊太郎さん。学校の教科書に載っていた詩で、谷川俊太郎という詩人を知った人がほとんどだと思います。もちろん私もその一人です。

「生きる」はあまりにもストレートに心に響いてくる作品で、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」と同様、よく暗唱したものでした。

詩は簡潔な言葉とリズムでその世界観を紡いでいくので、使われる言葉一つ一つの重みが長い文章とはまたひと味もふた味も違いますよね。

厳選され尽くした言葉たちが並ぶ数行が強烈なインパクトを放ち、心の奥底を揺さぶってきます。

私もヴォーカリストの端くれで歌詞を書く人間ではあるので、詩と同様メロディーとリンクさせて言葉を紡ぐ作業の難しさは理解しているつもりです。文字数が限られるから伝わる内容が減ってしまうのではなく、だからこそ伝わる内容がより深く濃いものになる面白さがあります。

今朝の『サンデーモーニング』で、小川キャスターと谷川さんとの3年前のインタビュー映像が流れました。

その中での谷川さんのこの言葉。

「今の世の中はすごく言葉が氾濫するようになっちゃって(中略)、随分前から僕は『言葉のインフレ』ということを考えてたんだけど、今まさに本当にインフレがだんだんひどくなっていって、量ばっかりあって質がどんどん薄くなっていっている感じがしますね」

『サンデーモーニング』より

あの穏やかな優しい口調で谷川さんが語るからこそ、かえって心にグサグサ刺さるものがありました。

「言葉のインフレ」の意味は多岐に渡り、言葉が本来持っていた意味合いが薄まってしまうこと、文字だけのやり取りが中心になると、言葉本来の持つ意味が勝手に捨象されてしまうこと、誰もが自分の書いた文章を不特定多数の人間に発信できてしまうこと…どれもすべて「言葉のインフレ」に含まれると思います。

もちろん、こうしてnoteに何かしらの文章を書いて発信している私自身もまた「言葉のインフレ」を身をもって実戦してしまっている一人であり、言葉の質を下げないように心がけているつもりではあります。永遠にその力を磨き続けていかないと…と毎回悪戦苦闘しながら。

たとえば「若者言葉」、「JK言葉」…そういった新しい言葉を受け入れることは「言葉が生きている」ことの証であって、一方では必要なことなのかもしれません。

でも一方ではどんな言葉でもOKにするのではなく、よく吟味する必要性は感じます。谷川さんも、そういうことを言いたかったのではないかと感じています。

夫の仕事仲間の方がお子さんとのLINEのやり取りで、返ってくるレスが「り」一文字のことがあるそうです。「了解」の意味ですが、これを良しとするのも親子だからとはいえ、どうなんでしょう…。

言葉って本当に奥深くて難しいものですね。

言葉が氾濫している現代社会だからこそ、シンプルな言葉で構成される詩の力を感じます。谷川さんが亡くなられてから、メディアで谷川さんの詩を目にする機会も増えました。改めて脱帽というか、素晴らしすぎて言葉を失います。

久しぶりに、大好きだった銀色夏生さんの詩集も引っ張りだして読んでみました。

ああ、やっぱり言葉って、詩ってすごい!

来年に向けては詩というか、メロディーがつかないかもしれない歌詞をnoteでも書いていきたいという新たな自分の目標ができました。

そういえば余談ですが、谷川俊太郎さんの息子・谷川賢作さんは作曲家でピアニストなんです。だいぶ前の話になりますが、知人のパーティーに賢作さんがいらしていて、急遽その場のノリで賢作さんがピアノ、私が歌でホイットニー・ヒューストンの『Savlng all my love for you』を一緒に演奏させていただいたことがありました。

お父様と同様賢作さんも温かく穏やかな雰囲気の素敵な方で、私にとってはいい想い出です。

谷川俊太郎さん、素敵な作品をたくさんありがとうございました。心からご冥福をお祈りいたします。

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