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ドラマ『放課後カルテ』は、ほっこり癒やされて涙活もできる素敵なドラマでした!
松下洸平、地上波連ドラ単独初主演だったドラマ『放課後カルテ』。最終回も感動の嵐で、最後の最後まで心温まるヒューマン・ドラマが堪能できました。
「保健室」は「保健室登校」しかできない児童も多い昨今、その役割は重要です。だからこそ、本来はそこに居る「保健室の先生」は包み込むような優しさが必要とされると思います。
松下洸平演じる牧野はその点ぶっきらぼうで愛想もなく、最初は生徒たちにとってただの怖い先生でした。
学校における、専門医の試験配置のモデル第一号として派遣された牧野。赴任した最初の頃は「なんで俺がこんなところに…」という気持ちからなのか、明らかに不機嫌そうなオーラを放っていました。
でも実は生徒たちが的確に訴えることのできない“SOS“を鋭い観察眼によって感じ取り、その痛みを癒やしていくという“小児科医“ならではの経験と知識が非常に役に立っていたのではないかと感じました。
このドラマを観ていて、ドラマ『ザ・トラベルナース』で中井貴一演じる静さんがいつも口にする「医者は病気を見つけて病気を治し、ナースは人を見て人を治す」という言葉が浮かびました。
牧野は「自分は医師である」という想いが強く、病気さえ治せばいいというスタンスでこれまで”小児科医”という仕事をしてきたと思います。たまたま自分の向き合う対象が子どもであって、子ども目線で応対することはしてこなかったのではないかと…。
だから患者の心に寄り添うことが苦手で、牧野に人の心を考えられる”小児科医”になってほしいという想いから、田辺誠一演じる小児科医局長の高崎は牧野をあえて「保健室の先生」として赴任させたわけですね。
牧野は「保健室の先生」になってから「病気を見つけて病気を治す」医師として、さらに「人を見て人を治す」ナースのどちらの役割も果たせる“無敵の存在“になれたような気がします。
産休から復帰する養護教諭の岩見先生が「保健室」に挨拶に訪れたとき、生徒たちと牧野の様子を見てこんな会話のやり取りがありました。
「お医者さんが学校にいてくれて、子どもたち安心だったでしょうね」
「俺は養護教諭じゃないので。医療行為はできても『保健室の先生』としては…」
「でもさっきの二人、今は病気やケガで来て来ていたわけではないですよね?ここに来れば安心できる…そういう場所になってるように見えました」
牧野はいつの間にか少しずつ、きちんと「保健室の先生」になっていたんですね。
最終回のストーリーの中心は、牧野が病院にいたときに確執があったと思われる樫井と真琴親子。真琴が胸を押さえて辛そうにしていることがあるらしいのに、検査をしても胸の痛みの原因になることが見つからないと今の主治医の咲間先生は牧野に言いました。
牧野は真琴が「身体症状症」(患者の自覚症状に見合う身体的異常や検査結果がないのに、痛みなどの身体的症状が長い期間に渡って続く病気)という“心の病気“ではないかと推測します。
「病気になったら母親と同じように病院から帰れなくなってしまう…。そう思うから体の不調を認めず病院を嫌う。病気になってはいけない。その想いが強すぎてないはずの痛みをあるように感じてしまってるんじゃないでしょうか?」
牧野は完全な自信はないけれど、樫井親子のケアを高崎に願い出ました。
呼吸器疾患で入院した妻がそのまま亡くなり、コロナ禍で死に目にも会えずに遺骨だけ戻ってきた…妻が亡くなったという事実をいまだに受け入れたくない様子の樫井。
母親ときちんとお別れできなかったことによって、真琴が苦しんでいると牧野は樫井に言います。「病院は死ぬために行くところではなくて、生きるために行く場所だということを知ってほしいんです」
母親は入院前「真琴も元気にしててね。約束ね」と真琴に言い、真琴はその約束を守ろうと必死で生きてきました。樫井はその約束が希望になると思っていたけれど、その約束こそ真琴が苦しんでいる要因のようでした。
「保健室にはなるべくこないでもらいたい」
牧野が赴任した初日に生徒たちにこう言ったのは、篠谷先生が言っていた通り「病気やケガに気をつけてほしい」という意味。真琴の母親が言っていた「元気にしててね」は「病気になっちゃダメ」ではなくて「病気かもしれないなら病院に行って治してもらってね」の意味だと。辛いのを我慢しないでほしい、笑顔でいてほしいという願い…。そのことをどう真琴に伝えたらいいのか?
篠谷先生や6年2組の生徒たちが協力し、「牧野スペシャル」として学校の「創立150周年記念祭」で牧野の想いを人形劇として形にしてくれました。
それを観た樫井親子。真琴の心にも牧野の想いはきちんと届いたようでした。母親が本当にいなくなってしまったことを改めて実感して胸が痛かった、寂しかったと泣く真琴。「お母さんのこと、これからはいっぱい話そう。いっぱい泣いて、いっぱい笑っていいんだ」新たな樫井親子の出発です。
牧野は無事に樫井親子二人の心も、真琴の体も救ってあげることができました。これは牧野が人として、医師として成長したからこそだと感じました。
岩見先生の復帰により、牧野は病院に戻ることになりました。感動の卒業式にも顔を出さず、生徒たちからの手形とメッセージの”寄せ書き”を持って黙って学校を去りました。これはいかにも牧野らしいですね。実は涙もろかったりして…。
復帰した岩見先生が牧野の「岩見先生よろしくお願いします」という付箋を見つけてキャビネットを開けると、そこには生徒一人ひとりの名前が書かれたファイルがありました。
この生徒はこういう病を抱えていて、その病気の詳しい内容やこう対処してあげてほしいなど、牧野が生徒たち一人ひとりをしっかり見つめてきた軌跡がすべてそこにありました。これまでのエピソードを振り返りながら牧野が熱心にメモを書いている姿に、胸が熱くなりました。
「自分の体と心を大切に扱うのは、基本だが案外難しい。無理や我慢はせず、人に頼ることを恐れずこれからも健康でいてほしい」
牧野先生の願い、生徒たちにしっかり届いていると思います。
病院に復帰してからも、相変わらず笑顔を作るのは苦手な牧野。無理矢理の作り笑顔に、ますます泣く子供がやけにおかしかったです。
牧野の内面も「保健室の先生」を経験したことでかなり変化し、なんと「町の健康相談会」を学校などで開くことにしたようです。久しぶりに訪れた「保健室」。
そこに「場面緘黙」の真愛がいて、牧野に少し笑顔を見せて手を振りました。照れくさそうに手を振り返す牧野。
篠谷先生が相変わらずのお節介で、その「相談会」のポスターを作りひと悶着。牧野と篠谷先生、言い合う割には案外いいコンビなんですよね。
そこへ中学生になった6年2組の生徒たちが保健室に遊びに来て大騒ぎ。みんな笑顔が輝いています。
「入学おめでとう」最後に一瞬笑顔の牧野。最後まで泣かせてくれました。
心を病んでいる子どもたちも増えていて、日本は精神医学が先進国の中では遅れていると言われています。牧野のように専門が“小児科医“でも、子どもたちの心のケアも可能なのではと感じています。
未来ある子どもたちの心も体も、どうか健やかであってほしいと願わずにはいられません。
ドラマ『放課後カルテ』は、ほっこり癒やされて涙活もできる素敵なドラマでした!