特集ドラマ『アイドル誕生 輝け昭和歌謡』は、アイドルの礎を築いた熱い男たちを描いた興味深いドラマでした
タイトルが気になって録画しておいた特集ドラマ『アイドル誕生 輝け昭和歌謡』を観ました。
伝説のオーディション番組『スター誕生』の仕掛人でもあった作詞家の阿久悠と、音楽プロデューサー・酒井政利氏とのライバル関係が軸となっていて、互いに”売れるアイドル”を世に送り出していく静かな闘いが赤裸々に描かれていました。
阿久悠と言えば日本を代表する作詞家の一人で、手掛けた作品の生涯シング売上枚数は秋元康についで2位6,834万枚だそうです。
作詞もする私にとっては雲の上の存在であり、心から尊敬する作詞家です。時代を超えて永遠に生き続ける”名曲”しか生み出してきていないのではないかと思います。
じぶんにも他人にも厳しい”孤高の人”というイメージでしたが、共に「ピンク・レディーの生みの親」でもあった年の離れた作曲家・都倉俊一とは気があって、意気投合しながらピンク・レディーというスーパー・アイドルを作り上げていったその過程が興味深かったです。
一方の音楽プロデューサー・酒井氏は南沙織や山口百恵をはじめ、松田聖子など300を超えるアイドルや音楽グループを生み出してきた、まさに敏腕プロデューサー。手掛けた作品の累計売上3,100億円にのぼるそうです。
この二人が、スターに代わるアイドルという言葉を世に浸透させたと言っても過言ではなく、その裏でうごめいていた互いへの”ライバル心”こそが日本の音楽業界の黄金時代の源だったことは間違いありません。
このドラマは実話ベースのあくまでもフィクションですが、これは真実だろうと感じたのは阿久悠が酒井氏が手掛けた山口百恵に対してずっと執着心を持っていたこと。
理由は明解。阿久悠は山口百恵に自分の作品を提供したかったのに、それが叶わなかったからです。
阿久悠にしてみれば、後にアイドル以上の唯一無二の存在へとのぼりつめることになった、まだ”ダイヤの原石”だった山口百恵の魅力をオーディションの際に見抜けなかった自分自身に対しての腹立たしさもあったのではないかと…。
ドラマの途中で都倉俊一が言った言葉が、現在まで脈々と続く日本人がアイドルに熱狂する理由でもあるのかと思います。
最近の音楽系の″オーディション番組″は練習生たちの成長や変化を見守るタイプが中心で、その手の番組が大好きな日本人非常に多いですよね。完成されたものより、発展途上に惹かれるのは今も昔も変わらないということでしょうか。
阿久悠と酒井氏が実際に直接こんな会話のやり取りをしたかどうかは分かりませんが、レコード大賞の舞台裏で、
そこで酒井氏が谷村新司に百恵への楽曲提供を依頼して生まれたのが「いい日旅立ち」。名曲ですよね。
結局翌年はピンクレディーの「UFO」がレコード大賞をとり、山口百恵はとることができませんでした。
山口百恵もピンクレディーも対極的なところにいたのかもしれないけれど、それぞれ一時代を築き上げたスーパー・アイドル。
それを生み出した阿久悠も酒井氏も、レコード売上の数字に一喜一憂し切磋琢磨し合いながら、一時代を築き上げた音楽人。
昭和はやっぱり音楽業界は特に熱い時代だったと思います。
実はドラマの最後、ガンで阿久悠が亡くなる前に酒井氏を訪ねて、
と自らの歌詞を酒井氏預けたシーンがありました。これは結局叶わずに終わったのですが、私は阿久悠の未発表、すなわち曲がまだついていない歌詞だけを集めた詞集を買ったことがあります。
不思議だったのは歌詞を読んでいると、自然とメロディーが頭の中に浮かんできたこと…。それだけ阿久悠の歌詞は、メロディーありきで作られていたということですね。脱帽でした。
このドラマ、阿久悠役の宇野祥平が雰囲気もそっくりで、都倉俊一役の宮沢氷魚も、酒井氏役の三浦誠己も好演。アイドル役の俳優さんたちも自ら歌唱していて大健闘していました。
NHK BSで再放送されたら、ぜひ観てみてください!なかなか興味深く面白いドラマでしたよ!