ドラマ『不適切にもほどがある!』は、令和のテレビ業界に一石を投じたまさに衝撃作でした!
なんと喫茶「すきゃんだる」のトイレの穴は、井上くんが発見した"タイムトンネル"だった!…見事なオチ+続編への可能性に含みを持たせてくれたドラマ『不適切にもほどがある!』最終回。最後まで心から楽しませてもらいました。
ラストのテロップも最高でした。このドラマを未来で観た人たちが、今をこんな風に感じる時代がきっと来るんでしょうね。
ドラマを観てこんなにも声を出して笑ったことはないし、ホロッとさせてくれるシーンもあり、考えさせられるシーンもあり、感動するシーンもあり、気持ちがずっとザワザワ忙しかったこんなドラマ、これまで観たことがなかったと思います。
クドカン脚本ドラマはほとんど観てきていますが、このドラマは"最高傑作"に値する作品になったと感じています。もっともクドカン自身は「俺の実力はまだまだこんなもんじゃないぜ!」と思っているでしょうけど(笑)。
最終回は「アップデートしなきゃダメですか?」
市郎も令和の世界を知って、内面が「アップデート」されて変化したところが興味深かったです。初回は令和のなんでも”ハラハラ”の考え方に対して不満を抱えていた市郎も、”昭和とは異なる価値観”も知っていろいろ思うところがあったんでしょうね。
野球部でも”ケツバット”はやらなくなり、練習中に適度に水分補給をしていいと言い、「地獄の小川」から「仏の小川」に変貌(笑)。
市郎とサカエさんが昭和と令和のそれぞれの生きづらさをスマホで語り合うシーン。結局のところどちらの時代も共通なのは「寛容じゃない」。
サカエさんのこの言葉、名言でした。
「どんな時代でも、寛容であれ」このメッセージ心に響きました。
自分さえよければいいという「個人主義」の今だから、他人に優しくない!冷たすぎる!自分の意見と合わないと、とことんたたきのめす…。本当に「もっと寛容になりましょう!」と言いたいシチュエーションは山ほどあります。♪寛容は肝要!大目に見ましょう!
ドラマの後半戦では市郎と渚はもちろん、渚と純子の関係性もより深く描かれていたと思います。
クドカンが『伊集院光&佐久間宣行の勝手にテレ東批評』という番組にゲストで出演したときに言ってましたが、渚と純子の関係性をここまで描くつもりは当初なかったそうです。ドラマが進行するにつれ、あまりにも二人のシーンがいいから増やしたらしいです。
私は、純子は渚が自分の娘であることも、9年後の自分の運命のことも薄々は勘づいていたと思うんですよね。
最終回でも渚に「渚さんのお母さんは?どんな人?」と分かっててあえて尋ねたような気もしたし…。
二人が「すきゃんだる」でナポリタンを食べていたとき、会話の中で自然に「渚が」と名前を呼び捨てにして励ましたり…。
渚の口横についたケチャップや涙を純子がハンカチで拭いてあげたのも、すべて分かっていたからじゃないかと…。
令和という未来を見てから、ムッチ先輩からのプロポーズも「世界は広くて、いろいろな生き方があることを知ってしまった」からと断り、大学受験を頑張っていたのは自分の運命を変えられるかもしれないという期待もあったのかも…?と思っていました。
でも最終回を観て(もし渚が自分の娘ということを純子が気づいていたとすれば)、自分の未来を変えてしまったら渚はこの世に生まれることはないし、渚と出逢ってしまったからこそ渚のために自分の運命を変えようと抗うことはしないで生きる覚悟を決めたのではないかと想像してみました。
純子の未来を知ってしまった市郎がどうしたらいいか悩みながらも純子にそのことを告げなかったのは、何も知らないまま生きる方が純子にとって幸せだと信じようとしたからで、昭和に渚を連れて行ってじっくり二人で過ごす時間を作ったことが父として娘にしてあげられる最善だと思ったからではないかと…。あえてタバコを外に吸いに出た市郎のさりげない優しさが沁みました。
でも"タイムトンネル"でいつでも好きな時代に行けるようになったということは、”タイムパラドックス”さえ起こさなければ逢いたいときにはいつでもまた時代を超えて逢えるということになるわけですよね?
そう思うとこのドラマの”無限の可能性”が広がったわけなので、また市郎に逢えるときが必ず来るような予感がします。クドカン、スペシャルでもSeason2でもなんでもいいので待ってます(笑)!
ドラマ『不適切にもほどがある!』は、令和のテレビ業界に一石を投じた衝撃作であったには違いありません。キャストもミュージカルも、とにかく最高の娯楽作でした!素敵なドラマをありがとうございました!
最後に…