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ドラマ『いちばん好きな花』と『フェルマーの料理』の最終回にふと感じた共通点
どんどん秋ドラマが最終回を迎えてしまい、来月までの淋しい時間の始まりです。しばらくは今クールのドラマの感想記事が増えそうな予感がしています(笑)。
『いちばん好きな花』と『フェルマーの料理』の最終回を立て続けに観て、この二つのドラマの共通点みたいなものをふと感じました。
“男女の間に友情は成立するのか?”が大きなテーマだった『いちばん好きな花』。それぞれに″二人組″を作ることが苦手だった四人の男女が偶然出逢い、そこから四人ならではの絆を育んでいく愛しい時間が静かに流れた、唯一無二の世界観でした。
生方美久氏の台詞は時に心にグサッと刺さり、時に心に優しく響き、”生きづらさ”を抱えた現代社会を生きる私たちに確かなメッセージを与えてくれました。
「価値観は人それぞれ」。その互いに異なる価値観を肯定するでも否定するでもなく、ただ純粋に理解しようとしてくれるような人たちと出逢えた四人は本当に幸せ者だと感じました。
価値観と言えば、夜々ちゃんのこの台詞も納得でした。
でも好きな人たちに自分が何を嫌いなのか知ってもらったら、すっごい生きやすくなった。
人間は確かに好きなものについては誰かと共有し合おうとするけれど、嫌いなものについてはあまりそうしないものかもしれません。
私たち夫婦のケースで言えば、この”嫌いなもの”の価値観が一致していることでお互いに無理なくいられると感じることが多々あります。「これこれこーだから嫌なんだよね」と説明しなくても、あ・うんの呼吸で理解し合えるのが楽でありがたいという感覚ですかね。
「ねぇ、男女の友情ってさ。成立するの?しないの?」
「どっちでもいいんじゃない?」
「だよね。どっちでもいいよね」
「人それぞれだからね」
「だよねー。人それぞれだよねー」
美鳥ちゃんとゆくえのこの会話こそ、このドラマのメッセージを端的に表現していたと思います。結局のところ“男女の間に友情は成立するのか?”というテーマに関しては”答え”が出たような出ていないような曖昧な感じでもありますが、それこそが”答え”ということですよね。「どっちでもいいんじゃない?」です。少しだけズルいような、でもそれが自然な気がしています。
夜々ちゃんは椿に、紅葉くんはゆくえに恋心を抱き、それぞれの恋があっけなく終了してからも四人の関係性が大きく壊れることなく継続できたのは、やっぱりこの”四人組”が居心地がいいから。この四人でいる時間は一番自分らしくいられて、何にも代えがたい”かけがえのない”ものだから。
いろんな世の中の価値観に心を乱されることなく、自分の価値観を信じて生きていけばいいと背中を押してもらえた気がします。
一方『フェルマーの料理』。”料理の真理の扉”を開こうと”孤高”になって一人奮闘していた岳は、そのために仲間を失い、店を失い、結局”孤独”になってしまった…。でも海と二人でもう一度その高みを目指したいと、海の師匠・渋谷への闘いを挑みました。
海の料理に対して、決して「美味しかった」と渋谷は言わないと海は言いました。でも二人で作る料理がもしも”料理の真理の扉”を開くものでなければ、海は料理を二度とすることができなくなる…。
「K」の仲間たちもかけつけて、最高のフルコースを渋谷に提供したつもりだった海と岳。でも食べ終わった渋谷は自ら調理場に立ち、ハンバーグを作り始めました。それを食べた岳は愕然としました。自分たちが”料理の真理の扉”を開いたつもりだった料理が、その域にはまだ達していないことが分かったので…。
でもここからの渋谷との会話で、”料理の真理の扉”を開くこととは?の″答え″が明かされたような気がしました。
「僕たちは真理の扉を開くことも、神を超えることもできないんですね」
「限界があったんだなぁ。この身体じゃ…」
「いや、そうじゃない。限界なんていうものは、この世に存在しない。料理にも限界はないし、正解とか、真理なんていうものも存在しない。お前たちが作ったハンバーグは、良かった。そして今俺がとっさに作ったそれも、良かったはずだ。それでいいんじゃないか?パリにいた頃一度だけ真理の扉が開いた…そう感じた瞬間があった。でもその扉の先には、まだ続きがあった。扉の先にはまた新たな扉があったんだ。そうやって無限に広がっていく」
「今君の心の中にあるものはなんだ?」
「今食べたこれを上回るものを、どうやって作ったらいいかと…」
「そう…それだよ。もし仮に料理の世界に真理というものが存在するなら、それは、いつまでもどこまでも究極のレシピを追い求める料理人の姿そのものを指すんだろうな。俺は、そういう永遠に続く道が見えたから、プレイヤーから降りた。その先は、海、お前が歩んでくれると信じたからだ。お前は病気になってもなお、料理の世界に戻ってきた。その時点でお前はもう、俺を超えてるんだよ。俺を神と言ってくれるなら、お前は神を超えた」
「北田岳、海のことを頼むぞ。海、頑張れよ。俺はお前の料理が大好きだ。人生最高の一皿だった。美味しかった」
つまりは、”料理の真理の扉”を開くこととは?の”答え”は明確にあるものではなく、これからもそれを追い求めて永遠に続いていくもの…ということになるのではないでしょうか?岳と海の二人が最後に出した完璧な”答え”は「僕らは一人じゃない」でしたが…。
このどちらのドラマも”クエスチョン”のような大きなテーマがあったけれど、それぞれの”答え”は「どっちでもいいんじゃない?」「それでいいんじゃないか?」ここに何となく二つのドラマの共通点みたいなものをふと感じたわけです。
それこそ人間は何か”クエスチョン”があると完璧な”答え”をどうしても期待してしまいたくなるけれど、それこそそれは「人それぞれ」の”答え”でいいのではないかと感じたんですよね。
たまたま二つのドラマの最終回を続けて観たのでこういう受け止め方になったような気もしますが、この”答え”でいいと納得できた自分がいました。
『いちばん好きな花』は”四人組”、『フェルマーの料理』は”二人組”。それぞれの絆がこれから先も永遠に紡がれていくことを願いたくなりました。
長い文章最後まで読んでくださり、ありがとうございました。