[書評]アカデミアを離れてみたら--博士、道なき道を行く
本書は博士号を取得した後、大学の学術界を離れた方々が今何を感じ、どう生きているのか、その21人の人生の道のりを共有させていただく書である。
本書に登場する人物は例えば、
・ポスドク生活11年を経た後、38歳という若くはない年齢で民間企業に転職をした方
・大阪大学の准教授という恵まれた地位を離れて、アメリカの大手半導体製造装置会社に転職をし方
・東京大学大学院で博士号を取得後、食品会社で商品開発職を経て、現在は日本の最果て・対馬で島おこしに携わっている方
が挙げられ、他にも官僚や報道記者、指揮者に至るまで多様性に富んでいる。
一部、Preferred Networksのシニアアドバイザーに就かれている丸山宏さんや元滋賀県知事の嘉田由紀子さん等の著名人も登場するが、本書の良い点は一般的な博士号取得者(東大・京大出身の高学歴者が大半であるが)の人生における選択とその時の心境を垣間見ることが出来る点だ。
もちろん結果として現在納得のいく道を歩まれている方が登場するため「生存バイアス」と言える部分もあるかもしれないが、それでもアカデミアの中も外も経験された登場人物ならではの俯瞰的な視点と辛いとされる博士号を取得された方の志の高さは、自分の魂をも揺さぶるモノであった。
日本の科学技術力、博士課程進学者の現状
上記が科学技術の主要な指標における日本の立ち位置を示したものである。米国、中国が1番2番手に位置しており、日本はそれに続くものが多い。私の大学院での同専攻の教授も「中国の学生は本当に勤勉だから日本の学生ももっと頑張らないとやばいぞ」と警鐘を鳴らしていた。
また上図からも分かるように博士課程入学者数も女性はピーク時から4%減であるのに対し、男性はピーク時から24%も減少している。これは一般的に男性の方が経済力を求められる傾向にあるため、将来の見通しが立ちにくい博士課程を敬遠する人が増加したものと思われる。
博士課程に進む人を増やすには?
研究者の証明である博士号を目指す人が減ることは、日本全体の研究力・イノベーション力衰退に繋がるため、長期的な産業力低下に直結する。
ではどうすれば博士課程に進む方を増やせるのか、ここでは簡単に3つに分けて記述する。
①金銭面
結局お金が最大の要因であると思われる。まず周りを見ていると博士課程を目指す人は大半が優秀であるため、修士卒のまま民間就職をした場合、一流メーカーの研究職でも1,2年目で年収600万。金融専門職や商社であれば20代のうちに年収1000万に到達することも可能である。
一方で博士課程に進学した場合、日本学術振興会特別研究員DC1に採択されれば毎月20万円の研究奨励金と最大年額150万円の研究費が支給される。しかし、これは博士課程に進学する優秀な人の中でも6人に1人しか通らない厳しいものであり、さらに学費や入学金は結局自分で払う必要がある。(奨学金免除という方法はあるが)
周りが結婚・同棲・昇進といったライフイベントを充実させていく中、いまだに学生という身分で、お金も多くはもらえない環境の中で研究を続けていく選択は、いくら研究が好きでも躊躇ってしまうのではないだろうか。
②社会人博士の拡充
博士人材はその深い専門知識、さらには論文執筆による論理的思考力・課題発見力を持ち合わせているため、何が正解になるか分からないVUCAな世界でリーダーシップをとっていく為に必要不可欠な存在である。しかし、それは裏を返せば20代前半という、まだ社会にも出たことない1学生が興味だけでどの道で食っていくかを決めるようなものであり、相応の覚悟が必要になる。
その解決策として社会人博士の拡充が挙げられる。一度企業に就職してからの挑戦となるため、安定的な収入と博士課程中退時のセーフティネットの機能が期待でき、働きながらやりたいことを模索することもできる。また受け入れる大学側も「実社会で何が求められているのか」、研究と実業を有機的に結びつけられるという利点がある。
例えば島津製作所では2024年度から社員による博士後期課程進学と通常業務の両立を後押しする制度を開始し、学費も企業が負担することで進学者が研究に打ち込める環境づくりを行っている。
また他にも日立製作所や富士通なども入社後の博士号取得支援策を打ち出している。
③社会や世間全体での理解
一部の大企業では上記のような博士人材を求め、適切な対策を打ち出している一方で、現在のマクロな日本の社会システムでは博士号を取得することによるインセンティブが少ないと言わざるを得ない。
「学部卒の5年目の基本給と博士課程修了者の初任給が等しい」「ジョブローテーションによる専門性が活かせない部署への配属」ということが当たり前に存在し、博士人材のモチベーションを低下させている。
また前時代的な「博士人材は扱いにくい」「博士課程に進学すると就職できない」といった価値観が親世代・上司世代から伝わり、どうしてもネガティブなイメージが先行してしまう。
そうではなく、社会全体が博士号の価値を改めて考え、逆に博士人材も世間に対して何をやっているのか、実社会の何に繋がるのかアピールする場をつくる、そういった相互理解が非常に重要になると考える。現状では米国や英国と比較して日本では博士人材に対するリスペクトが少ない、、。
哀れみではなく尊敬の眼差しを向け(傲慢に聞こえるかもしれないが)、子供たちのなりたい職業ランキングの上位に食い込んでくるようになれば、日本の将来も少しは明るくなるのではないだろうか。
感想
現在、国立の大学院修士課程2年に在籍している身としては大変興味深く読める内容であった。本書には21人の物語が登場するがいずれの人にも共通して、
・職業作家と言われても違和感がないほどの文章力
・未知のものに対する知的好奇心、探求力
・他人ではなく、自分の心の声に正直に従う主体性
があると感じた。
皆さん世代が近いためか、2011年の東日本大震災をきっかけに自分のやりたいことに対して新たな一歩を踏み出す方も多く、
という本書中の言葉は私の胸の奥にも突き刺さる覚悟を感じた。
このように自分の心の声を本当に大切にできることは、世間体や同調圧力を考える日本人には意外に難しいのではないだろうか。しかし、自分の勝手な思い込みや先入観で将来の可能性を狭めてしまうことがどれだけ悲しく、意味のないことなのか改めて考えさせる書籍であった。
上記の馬渕俊介さんの祝辞が私は非常に好きで、よく聞いてモチベーションを高めているのだが、まさに一度きりの人生なので他人の人生ではなく、
自分にしか歩めない自分だけの最高の人生を歩んでいきたい。