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[書評] ナチスは「良いこと」もしたのか? 著:小野寺拓也、田野大輔


はじめに

本書は悪の権化とされるアドルフ・ヒトラー率いるナチスについて、実行した政策について着目すれば、実は「良いこと」もしていたのではないか?という現代に生きる人々が持つ疑問に回答する書籍である。

↑実際、本書の著者である田野さんが旧Twitterで投稿した上記のツイートには賛否両論が巻き起こっている。

ここで最も重要になってくるのがある問題に対して
「事実」「解釈」「意見」の三層構造で捉えることの重要性である。

確かにヒトラーが行った政策として
①アウトバーン建設による雇用創出・失業対策等を行った経済政策
②歓喜力行団による労働者への余暇活動の提供等を行った労働政策
③母親への精神面・物質面の両方で称賛した家族政策
④自然保護や動物保護、有機農法を推進した環境政策
⑤禁酒・禁煙運動、がん撲滅の試みを行った健康政策
は歴史的事実として認められるものではある。

しかしこの事実から早急に「ナチスには良いこともしていただろ!」という意見を表明することは、本書で「トンネル視線」と表現されるような短絡的な表明でしかない。

これらの政策について
(ア)政策がナチスのオリジナルな政策だったのか(本当にヒトラー率いるナチスは先進性を持つカリスマだったのか)
(イ)政策がナチ体制においてどのような目的をもっていたのか(本当に国民のためを思っての政策実行だったのか)
(ウ)政策が「肯定的な」結果を生んだのか(本当にその政策が良かったとされるだけの結果を残しているか)
という3視点から本書は検討を行い、ナチス政権の本質を追求している。

(ア)政策がナチスのオリジナルな政策だったのか

結論としてこれら政策のすべてがナチスの前政権であるヴァイマール政権時代からの引継ぎ策、もしくは世界・欧州の時代の流れの中で出された政策であり、ナチス自身に先進的、革新的な要素があったわけではないことが明言されている。つまりナチスのプロパガンダ(新聞、映画、ラジオ等の全情報伝達手段による宣伝)によって当時の人々にヒトラーを神格化、英雄視するように人々が出現したのである。

(*)ただし本書では実際にドイツ人が熱狂的にナチスを支持していたのかについても述べているが、ナチ体制の政策にドイツ市民が「乗っかる」ことで政治的目標とは切り離された個人的な利益を得ていたことが挙げられる。
それにより熱狂的な支持とまでは行かずとも、ドイツ人がナチスを容認していた原因になったと推測される。

(イ)政策がナチ体制においてどのような目的をもっていたのか


そしてこれら政策実行の背景としては一貫して、
健康で生産性の高いドイツ人による民族共同体の形成」
を目指すことで、戦争を有利に進める目的があったと述べられている。
そのため、上記で挙げた①から⑤の政策についても、

「経済政策」:アウトバーン建設も軍事目的ではなく、ドイツ民族が一つの絆で繋がるという格好のシンボル
「労働政策」:労働者の管理・統制による政治体制の安定化、労働を美徳とすることによる生産性の向上
「家族政策」:国民の生活に配慮しているという姿勢を見せ、戦争協力を引き出す。将来の兵士や労働力の確保
「環境政策」:人々の意識の中に「公益>私益」を刷り込ませ、日常のあらゆる場面で民族全体のことを考えさせる精神的な側面
「健康政策」:ドイツ人の生殖質、静止への悪影響の防止と健康体の維持

のように、民族共同体としての意識を強め、戦争可能な国家にすることが一貫した目標として浮かび上がる。

(ウ)政策が「肯定的な」結果を生んだのか


そしてそれぞれの政策が結局効果を生んだのかについてだが、結論としては本書では女性の肺ガン疾患率の低下のみナチスの政策では良い面があったと挙げている(良いこととみなせるかどうかはさておき)。他の項目についても詳しく見ていく。

「経済政策」:アウトバーン建設による雇用創出効果は限定的。失業者低下の要因は若者の労働力の供給を減らしたことや、徴兵制によるもの。さらにいうと「メフォ手形」による擬似公債の発行するほどの軍需の盛り上がりによるものである。
「労働政策」:聴衆に夢のフォルクスワーゲン車を与えるためのドイツ人の積立金を軍事目的に流用。数週間の海外旅行というパッケージ旅行もなく、大半は日帰りの小旅行
「家族政策」:世界恐慌によって結婚を先延ばしにしていたカップルが景気回復によって結婚に踏み切ったが、家族当たりの子どもを増やす出産奨励策は失敗に終わった(財政悪化のため十分な支援額が与えられなかった)
「環境政策」:自然保護区は増加したが、同時に軍需生産による森林伐採も行われるなど、戦争遂行が第一優先である中の環境保護政策であった。
「健康政策」:財政悪化の中でアルコールやたばこによる収入はドル箱であったため、絶対的な禁酒、禁煙は求められていなかった。しかし「家父長的干渉主義」のあったドイツでは女性の喫煙は望ましくなく、肺ガン患者の数に関しては他国より少なかった。

そしてこれら政策が実行される裏で、ユダヤ人や政治的敵対者、障がい者といった反社会的分子は徹底的に退けられ、時には安楽死という非人道的行為が為されたことを忘れてはいけない。健康体であるドイツ人による民族共同体を形成し、異常な速さで無理して進められた軍備拡張ももはや戦争によって得た占領地、外国人労働者からの供給無くして成り立つものではない綱渡り状態であった。

結局

「ドイツ人は最初は借金で生活し、次には他人の勘定でくらした」

デートレフ・ポイカート

に集約されるのである。

感想


私自身本書を読んで、30年以上ナチスについて研究されてきた専門家の意見は自分の視野にない解釈を通じたものが多く、物事を一面的に見てすぐにレッテルを張ることがいかに危険か、生半可な知識で知った気になることの怖さを理解した。また個人として人生を生きている以上無意識的にも何らかの政治性を帯びてくる可能性があるため、常に批判的に物事を見る勇気を持つことと他者の持つ意見に耳を傾けるときはどのような解釈を経てその意見に辿り着いたのか、傾聴できる耳を養っていきたい。

またヒトラーに優れていた部分があるとしたら、当時の政治・経済的状況を利用しつくして大衆心理を的確に理解、掌握した点であり、これは米中摩擦、ロシアウクライナ戦争、パレスチナ問題など緊迫した国際状況にある現代においてもナチスと同様の危険因子が存在する可能性を常にはらんでいると言える。

最後に本書はナチスの政策に焦点を当てた本であったため、機会があればヒトラーがなぜこのようなドイツ人至上主義に傾倒していったのか、ヒトラーの生い立ちに焦点を当てた本や、なぜユダヤ人がそれほどまでに迫害されるに至り、ホロコーストが生じたのか。またアウシュビッツでの非人道的な行為の現実等、この機会に以下のような書籍でしっかり歴史を勉強して紐解いていきたい。


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