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毎日読書#243 『酸っぱいブドウ/はりねずみ』(ザカリーヤー・ターミル)

著者のザカリーヤー・ターミルは、シリア人の作家。

シリア! 読んだこと無いです。

なかなか読む機会はないですよね、でも、これは一度読んでみてほしいです。そして、想像をはるかに超える異文化っぷりにあてられて、世界の広さを、分かり合う事の難しさを、そのための努力とはなにかを考えてみてほしいなと思いましたよ。

読んでいると、脳みその、今まで使った事のない箇所に血が集まっていくのがわかりますよ。面白いなぁ。

著者の生まれたシリアは、トルコやレバノン、イスラエルと国境を接しているということで、おそらく、有史以来ずっと大変だったろうな、という国。

現在も、社会主義国家であり、ロシアの強い影響をうけるイスラム教の国だ。おそらく、宗教対立とイデオロギー対立が同時進行しているであろうし、内戦もある。言論の自由も制限されている。

小説を発表する作家はもちろん居るのだけど、殆どが高学歴のエリートという中で、本書のザカリーヤー・ターミルは生きるために13歳で学校をドロップアウトした労働者だった。彼は、仕事をしながら、図書館での濫読で自分の世界を作り上げ、やがて作家活動を始める事になる。

そういった経歴が影響しているのかはわからないけど、社会や体制への風刺のきいた短編作品を次々と発表する。それらの作品は人気を呼び、国際的な名声も得るようになる。

ただ、目立ってしまったことでシリア国内での創作活動及び発表が難しくなり、1981年にイギリスへ移住。移住後はオックスフォードに住みながら、アラビア語の作品を執筆し続けている。作品は短編集が多いのだけど、それ以外にも児童書やジャーナリズムと、手広く活躍している。

本書に掲載されている『酸っぱいブドウ』と『はりねずみ』とにかく、表現が面白いというか、変わっている。文化の違いをひしひしと感じる。

価値観も全く違う。一体何が大事で、何が大事ではないのか、読んでいるだけでは、よくわからない。話に出てくる人物達の、行動や言動の元になる動機が全然わからないので、いったいどこで何を感じたら良いのかわからず、戸惑いながら読んでいると、アッという間に話が終わってしまう。

直接的な表現を避けるため、色々なことを暗に含め、寓話的に書いていることはわかるのだけど、どこからが寓話なのか、どこからが現実的なのかもわからない。ユーモラスであると紹介されるが、どこからユーモアで、どこからマジなのかわからなくなるときもある。遠い世界で置いてけぼりにされるような読書感。

最初に読んだときは、どう消化してアウトプットしたらよいか悩み、ひとまず保留にしていた。

しかし、いざnoteに書こうと思い、改めて読み返してみて…… やはりピンと来ない!

でも、途中から、作者は西洋文化に生きるひとが、どうやってこれを読むのか分かっていて書いているのだろう、と、読む態度を改めてみたら、ちょっと違う情景がみえてきた気がする。

と、なんとも不思議な読書体験だったのだけど、一つよくわかったのは、シリアでも、男性は女性の考えていることがわからないし、女性は、男性が考えることになんて意味がない事に気が付いている。

これは世界共通なのか。

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