海外と日本の自己啓発というコトバの違い
「自己啓発」というコトバに対して感じる違和感、もやもや。この正体がなんであるのかわかったので、今回はその話をします。しかも、かなり辛口でガンガンいきます。
英語と日本語の「自己啓発」の言葉の違い
自己啓発にあたるコトバは英語でself helpとかself-improvementといいます。あるいはpersonal development。
これを日本語に訳すとそれぞれ「セルフヘルプ」「自己改善」「自己開発」になります。
日本語の印象でいうと、
こんなところではないでしょうか。
では英語ではどうなのか。
という感じになります。
つまり、
という図式。
これに関しては、全く逆のことをいう人もいますが、多くの人の認識はこの形です。
気づいた方もいらっしゃるかと思いますが、日本語はそれぞれ独立しているというか、離れている印象なんですよね。
例えば、ダイエット。これは海外ではself-improvementあるいはself helpの一貫として捉えられることも多いです。つまり、精神、健康、経済、社会などのいろいろな分野で自分をより成長させるという全ての行為が「自己啓発」なのです。でも日本では全く別分野の取り扱いです。
この違和感をはっきり感じたのがこちらの記事。
この会社は自己啓発セミナーなどを行っているようですが、それを別に批判するつもりもありません。ただ、この記事に日本でいう「自己啓発」の意味が凝縮されているように感じました。
といいつつ、効果的な方法として、
といっているのです。
つまり究極的に、「自己啓発本を読んでセミナーに行くのが良い」といっているわけです。
ここで個人的には違和感バリバリです。
さらに、
とあります。うん、これは確かに正しいと思います。でも、何か抜けていませんか?
そう、「自分を見つめて受け入れる」という行為です。断言します。これなしでは自己成長はあり得ません。
そして最後は、
という言葉で締めくくられています。
これも個人的には違和感があります。
現在の自分の状態や、その原因がどこにあるのかに対して考えるといったことがスポッと抜けているんですね。
これがおそらく私が「自己啓発」というコトバに対する違和感の最大の理由だと思います。
とはいえ、このnoteは「自己啓発について書く」ということを謳っています。
ただ、私の思う「自己啓発」と一般的な「自己啓発」の感覚が違うことが、このもやもや感を生み出していたんでしょう。
自己啓発というコトバを使い続けるのであれば、「地味系自己啓発」にでもするしかないのかなとか、「パーソナルディベロプメント」「セルフインプルーブメント」といった英語をカタカナにしたものにした方がいいのか悩むところです。「セルフヘルプ」だと日本語と意味が違ってしまうので、これは使えないかな。
次のようなコトバは要注意
「お金は出せば入って来る」
セミナーへお金を出せば、上向きマインドになって自信もついて、成功するという意味でしょうけど…
…いやいや、自己投資は大事ですが慎重に。入ってくるようなきちんとした計画や努力なしではムダです。さらに高額な商品をほかの人に売らせたり買わせる行為が裏に透けて見えます。
「お金のブロックを外す」
お金のブロックってなんですか!?確かに、日本人は「お金をもらうことに躊躇する」という気持ちが多い人が多いです。「知識やスキルを提供する対価として正当な料金をもらう」そういう意味では正しいですが、裏に怪しいスピリチャル系の匂いがプンプンするものが多いです。
「信用がお金になる」
信用は確かにお金になると思います。でも、信用だけでそんなに簡単にお金を稼げるでしょうか?つまりは「ファン化しよう」ということだと思いますし、海外でもこのマーケティング手法は主流です。ただし、その「信用される」までのプロセスまでに時間も手間もかかります。しかも必ずしもお金になるとは限りません。こういったことをきちんと説明してないものは怪しいです。
「何を買うかより、誰から買うかの時代」
これは似たようなものですね。でも、そもそも何かを買うのって、それが必要だから買うんですよ。そこが抜けていては「この人だから買いたい」という感情だけならば、宗教で壺買うのと同じです。
「迷ったらワクワクする方を選ぼう」
そんなことしてたらみんな路頭に迷いますよ。ワクワクするものはたくさんありますし、会社で毎日朝から遅くまで働いている人も、家事・育児に追われている主婦も、そりゃあ楽しいことをしたい。でも家族や社会に対する責任があるから勝手なことはできないんです。
どちらの道を選んでも、社会的な責任を果たせる場合は別です。その時は自分やよりワクワクして楽しいことを選ぶべきです。でも、いわゆる自己啓発セミナー勧誘に使われるこの言葉は意味合いが違うと思います。いかにも成功している自分のようになれることを錯覚させています。しかもその成功の元はセミナーに参加してくれる人たちが出したお金ですよね💦
「批判は嫉妬の表れ」
「批判=嫉妬」とはなんと短絡的な!
批判を全て嫉妬と思ったら、他人の意見に耳を貸さない痛い人です。批判と誹謗中傷は別物です。批判に耳を傾けて、それが正当なものであるかの判断をすることは大事。自己成長には批判を受け入れ、正当なものは取り入れて自分を改善していかないと、本当の意味での成長はありえません。
「先に教えてしまうと効果がなくなるから、詳しくは言えない」
これはひどいですね😂本当にこんなのに騙されないでください!言えない内容だから公にできないんです。きちんとしたセミナーや講座は、内容や得られる結果について納得できる説明がされています。
「するか、しないか、迷ったらやる!」
はい、これはその通り。行動しないとその先に結果はないので、大切なことです。
でも、これがセミナーの勧誘の一貫なら話は別です。迷う理由は人によってさまざまです。金銭的なことが一番の理由で、「このまま流されていいのかな?」という気持ちもあると思います。自分がやりたい!と思ったことはやらなくて後悔しないためにもやった方がいいですが、セミナーに参加するかどうかならいったん考えましょう。
「過去の自分にサヨナラして、新しい自分になろう」
今の自分を作っているのは過去も含めた自分です。この文言で感じるのは「過去の自分への否定」です。絶対に過去の自分を否定はしないでください。否定するのではなく、受け入れてください。自分を労って許してあげてください。嫌だ、あるいは恥ずかしいと思っている過去の自分を受け入れることで、その時は見えなかったことが見えてきます。
そうすることで、自分がそこから学んだことは何か、今すべきことは何か、自分はどうしたいのかがわかります。どんな自分も受け入れて理解することで、そういった怪しいセミナーに惑わされることもなくなります。
今日はもやもや気分の吐き出し、かなり辛口になりましたが、今後も「怪しくない自己啓発」「地味系自己啓発」を発信していくにあたって、私の考えを知っていただくことも必要だと思いました。いろいろな意見もあると思いますので、気分を害されたらすみません。
が、自分の立場は変えるつもりもありません。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
次回からは普通の「地味系自己啓発」の話に戻ります。
さて、最後はいつも通りジャーナルお題。
<今日のジャーナルお題>
ジャーナリングは自分を見つめ、成長していく上で欠かせないもの。
モーニングページのように、ただただ頭に浮かんだことを書いていくのもいいですが、
習慣になるまで「面倒」「書くことがない」という人もいると思います。
毎回記事の最後は記事テーマに関連するジャーナルお題を載せています。
今日のお題は、
普段ジャーナリングをしない人も、数行やリスト的な感じでもいいので
ぜひ書いてみてくださいね。
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