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ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』その1

 もう四回目。ちょっとハイペース過ぎるし、文章量も多すぎる。が、一週間くらいはこの毎日投稿ペースでやって、それからは三日に一回とかそんな感じにしようかと。よろしくお願いします。

 さて今回はヴァージニア・ウルフ! 僕は全集をもっている作家は二人だけで、それはヴァージニア・ウルフとアントン・チェーホフ(ヴァージニア・ウルフの方は『船出』とか『オーランド』とか『歳月』が入っていない著作集で、全集ではないんだけど)。そのくらい好き。一時期はヴァージニア・ウルフしか読めなかったくらい。

 ヴァージニア・ウルフは前回取り上げたマルセル・プルーストを崇拝(といっていいと思う)していて、上記の著作集の一巻、『ある作家の日記』

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でも、ときどきその気持ちを吐露している。今回取り上げる『ダロウェイ夫人』を書いているときにも、ちょうど読んでいて、『ダロウェイ夫人』を書き上げた頃、1925年4月8日に以下のように書いている。

 さいきん数ヵ月書いていらい、ジャック・ラヴェラが亡くなった。彼は死にたがっていた。そして『ダロウェイ夫人』について手紙をくれたが、それは私の一生で最もしあわせな日の一つを与えてくれたものだった。今度こそ私は何かをなしとげたのだろうか? でもプルーストとくらべたらとるに足らないと思う。今私はプルーストに埋没しているのだけれど、プルーストの特徴というのは、極度の感受性が極度の根気づよさに結びついているところにある。彼はこれらの移り行く色あいの最後の一点まで追求する。彼はカットガット(羊などの腸でこしらえら糸で、弦楽器、ラケット、手術の縫合などに用いる)と同じくらいタフで蝶の若ざかりぐらいうつろいやすい。そして彼はたぶん私に影響を与えると同時に、私自身のあらゆるセンテンスに対して腹を立たせるだろう。

 長くなった。でも何か気分わかるな。崇拝しながら目標にし、そして自己嫌悪に陥る。急に天才ヴァージニア・ウルフに親近感がわいてくる。そして、ウルフが「プルーストとくらべたらとるに足らない」といった『ダロウェイ夫人』が今回取り上げる小説。ウルフはこんなこといってるけど、これはとんでもない小説だ。四の五の言わずに、集英社文庫、丹後愛訳の246ページの引用から、どうぞ!

 一陣の風(暑さにもかかわらず風は強かった)が吹いて太陽を薄い黒いヴェールで覆い、ストランドを翳らせた。人びとの顔の色があせた。バスは突然その光沢を失った。雲は白銀の山のようで、斧で堅い破片を削りとれそうにさえ見えた。その山腹には幅広い黄金の斜面が天国の遊園地の芝生のように広がっている。天上の神々の会議の席として集められた恒久的住居という外観を呈しながら、雲間には絶えず動きが見られる。雲と雲のあいだで信号が交わされたと見るうちに、あらかじめ打ち合わせてあったなにかの計画を実行するかのように、いま山の頂がくずれ、いま不動の位置をたもっていたピラミッド大の山容全体が中央に進み、あるいは重々しく行列を率いて新しい停泊地へとむかう。雲たちはそれぞれの部署でじっと動かず、完全な合意のもとで憩っていると見えながら、その白銀の表面あるいは金色に輝く表面ほど新鮮で、自由で、敏感なものはほかにない。たちどころに変化し、立ち去り、その厳粛な集合体を解体することは可能で、その重々しい安定性、幾層にも重なった頑丈な堅さにもかかわらず、群がる雲たちは、地上に光を送るかと思えば、また今度は影を送る。

 はい、雲の描写でした。ここはエリザベス・ダロウェイという、この小説の中心人物である、クラリッサ・ダロウェイの一人娘がバスを待っている場面です。エリザベスが空を見上げているとみることもできるし、語り手の方で空を描写しているだけともいえると思う。このあとエリザベスがバスに乗り込んだことを報告する段落があり、そのあと小説はこう続く。

 壁を灰色にしたかと思うと、バナナを明るい黄色に変え、ストランドを灰色にしたかと思うと、バスを明るい黄色に変えるその光と影は、セプティマス・ウォレン・スミスには、行き来しながら手招いたり、合図を送っているように見えた。

 セプティマス・ウォレン・スミスというのはクラリッサ・ダロウェイと並ぶ、この小説のもう一人の中心人物。二人は小説内で顔を合わせることはないんだけど、並走するもう一つの物語が彼を中心に語られる。ここでは、クラリッサの物語から、離れた場所にいるセプティマスの物語へと雲の描写を通じて、空繋がりで続けている。ウルフという人はこういうことをする。

 物語の内容にはこれ以上踏み込まない。雲の描写をみていこう。まずストランドというのはイギリスにある大通りの名前。太陽が翳って人やバスが明るさを失う描写があり、空を見上げると山のような雲がある、と。ふわふわ柔らかそうなやつでなく、めっちゃ堅そうな、すごく物質的というか、とても水蒸気でできているようには見えない雲なんだね。で、その雲の表面を目で追っていく。天国とか神々という比喩からは、この小説のキリスト教的な側面をみることも可能かもしれない。そこは追わない。次に雲の動きの描写がくるんだけど、それを軍隊の進軍のような比喩を使って表現している。山の頂はくずれるんだけど、部分部分が連携し合って、全体がスライドしていくような感じがする、と。10分から15分くらいの時間の経過を描いた文章ととらえた場合、これほど素晴らしいものはそんなにないと思う。

 しっかし本当にいらない解説というか、文章だったね。もっと書こうと思う(書かないと引用とみなされず著作権にひっかかる)んだけど、だんだん書く気が失せてくるというか、もう引用を繰り返し読んでくれよって気分になってくるんだよね。まあ、しょうがない。

 ではまた!

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関澤鉄兵
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