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谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のおんな』

 今回は谷崎潤一郎の『谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のおんな』を紹介する。この小説は文庫本と字体が異なるが青空文庫にあるのでそのリンクをまずは貼っておく。

 この小説の主たる登場人物は三人、庄造というダメ男と妻の福子、元妻の品子だ。この三人の心情を語り部が代わる代わる語っていく、三人称の神視点、あるいは前に書いたジェラール・ジュネットの用語でいうと『焦点化ゼロの異質物語世界的な語り』いう形式(ジェラール・ジュネットの理論についてはこちらを参照)で話しはすすんでいく。
 ダメ男と書いたがこの庄造という男は本当にのらくらしている。父親が亡くなったので実家荒物屋を継いだのだが一向に商売にみをいれず、猫を可愛がること、ビリヤードをすること、盆栽をいじくることと、カフェの女店員をからかいに行くことで日々暮らしてきた。その商売も前妻の品子と結婚するころにあがったりになり、二年近くたまった地代がとても庄造には払えないので、品子が縫い物をして払ってきたのだ。その品子と母親のおりんは初めからそりが合わず、おりんはその伯父、福子の父親と結託して品子を追い出してしまう。物語は追い出された品子の復讐の手紙から始まる。
引用は手紙の途中。新潮文庫6ページ

私あなたの家庭から唯一つだけ頂きたいものがあるのです。と云うたからとて、勿論貴女のあの人を返せと云うのではありません。実はもっともっと下らないもの、つまらないもの、………リリーちゃんがほしいのです。塚本さんの話では、あの人はリリーなんぞくれてやってもよいのだけれど、福子さんが離すのいやや云うてなさると云うのです、ねえ福子さん、それ本当でしょうか? たつた一つの私の望み、貴女が邪魔してらっしゃるのでしょうか。福子さんどうぞ考えて下さい私は自分の命よりも大切な人を、………いいえ、そればかりか、あの人と作っていた楽しい家庭のすべてのものを、残らず貴女にお譲りしたのです。茶碗のかけ一つも持ち出した物はなく、輿入の時に持って行った自分の荷物さえ満足に返しては貰いません。でも、悲しい思い出の種になるようなものない方がよいかも知れませんけれど、せめてリリーちゃん譲って下すってもよくはありません?

 品子は猫のリリーをくれという。なるほど無理もないお願いに思えるが、この申し出の裏には策略がある。その策略の詳細は読んでもらうとして、庄造はとにかく猫のリリーを溺愛しているから、猫を引き渡すというのは庄造にとって一大事だ。庄造がどのくらいリリーが好きか手紙に続く、庄造が猫のリリーとじゃれあっている初めの方の情景でよくわかる。
引用は新潮文庫9ページから

福子はこの手紙の一字一句を胸に置いて、庄造とリリーのすることにそれとなく眼をつけているのだが、小鰺(こあじ)の二杯酢を肴(さかな)にしてチビリチビリ傾けている庄造は、一と口飲んでは猪口(ちょく)を置くと、
「リリー」
と云って、鰺の一つを箸で高々と摘まみ上げる。リリーは後脚で立ち上って小判型のチャブ台の縁に前脚をかけ、皿の上の肴をじっと睨まえている恰好は、バアのお客がカウンターに倚りかかっているようでもあり、ノートルダムの怪獣のようでもあるのだが、いよいよ餌が摘まみ上げられると、急に鼻をヒクヒクさせ、大きな、悧巧そうな眼を、まるで人間がびっくりした時のようにまん円く開いて、下から見上げる。だが庄造はそう易々とは投げてやらない。
「そうれ!と、鼻の先まで持って行ってから、逆に自分の口の中へ入れる。そして魚に滲みている酢をスッパスッパ吸い取ってやり、堅そうな骨は噛み砕いてやってから、又もう一遍摘まみ上げて、遠くしたり、近くしたり、高くしたり、低くしたり、いろいろにして見せびらかす。それにつられてリリーは前脚をチャブ台から離し、幽霊の手のように胸の両側へ上げて、よちよち歩き出しながら追いかける。すると獲物をリリーの頭の真上へ持って行って静止させるので、今度はそれに狙いを定めて、一生懸命に跳び着こうとし、跳び着く拍子に素早く前脚で目的物を掴もうとするが、アワヤと云う所で失敗しては又跳び上る。こうしてようよう一匹の鰺をせしめる迄に五分や十分はかかるのである。
この同じことを庄造は何度も繰り返しているのだった。一匹やっては一杯飲んで、
「リリー」
と呼びながら次の一匹を摘まみ上げる。皿の上には約二寸程の長さの小鰺が十二三匹は載っていた筈だが、恐らく自分が満足に食べたのは三匹か四匹に過ぎまい、あとはスッパスッパ二杯酢の汁をしゃぶるだけで、身はみんなくれてやってしまう。
「あ、あ、あ痛! 痛いやないか、こら!」
やがて庄造は頓興な声を出した。リリーがいきなり肩の上へ跳び上って、爪を立てたからなのである。
「こら! 降り! 降りんかいな!」
残暑もそろそろ衰えかけた九月の半ば過ぎだったけれど、太った人にはお定まりの、暑がりやで汗ッ掻きの庄造は、この間の出水で泥だらけになった裏の縁鼻へチャブ台を持ち出して、半袖のシャツの上に毛糸の腹巻をし、麻の半股引を穿いた姿のまま胡坐をかいているのだが、その円々と膨らんだ、丘のような肩の肉の上へ跳び着いたリリーは、つるつる滑り落ちそうになるのを防ぐために、勢い爪を立てる。と、たった一枚のちぢみのシャツを透して、爪が肉に喰い込むので、
「あ痛! 痛!」
と、悲鳴を挙げながら、
「ええい、降りんかいな!」
と、肩を揺す振ったり一方へ傾けたりするけれども、そうすると猶(なお)落ちまいとして爪を立てるので、しまいにはシャツにポタポタ血がにじんで来る。でも庄造は、
「無茶しよる。」
とボヤキながらも決して腹は立てないのである。リリーはそれをすっかり呑み込んでいるらしく、頬ぺたへ顔を擦りつけてお世辞を使いながら、彼が魚を啣(ふく)んだと見ると、自分の口を大胆に主人の口の端へ持って行く。そして庄造が口をもぐもぐさせながら、舌で魚を押し出してやると、ヒョイとそいつへ咬み着くのだが、一度に喰ひちぎって来ることもあれば、ちぎったついでに主人の口の周りを嬉しそうに舐め廻すこともあり、主人と猫とが両端を咬(くわ)えて引っ張り合っていることもある。その間庄造は「うツ」とか、「ペツ、ペツ」とか、「ま、待ちいな!」とか合の手を入れて、顔をしかめたり唾液を吐いたりするけれども、実はリリーと同じ程度に嬉しそうに見える。

 毎度のことながら長くなった。しっかしなんて生き生きとした猫と人間がじゃれあう描写だろう。最初の方にあるこの場面はしかし、この小説中で一番いいところだ。いやもうひとつ甲乙つけがたい場面がある。リリーは結局品子のところにくるのだが全く品子に懐かず、あるとき品子の部屋から姿を消してしまう。それから三日たってすっかり品子が諦めたころ、雨がふりだした外の方から物音がする。
引用は新潮文庫84ページから

その時、しぐれがまた屋根の上をパラパラと通って行った後から、窓のガラス障子に、何かがばたんと打つかるような音がした。風が出たな、ああ、イヤなことだ、と、そう思っているうちに、風にしては少し重みのあるようなものが、つづいて二度ばかり、ばたん、ばたんと、ガラスを叩いたようであったが、かすかに、
「ニャア」
と云う声が、何処かに聞えた。まさか今時分、そんなことが、………と、ぎくッとしながら、気のせいかも知れぬと耳を澄ますと、矢張、
「ニャア」
と啼いているのである。そしてそのあとから、あのばたんと云う音が聞えて来るのである。彼女は慌てて跳ね起きて、窓のカーテンを開けてみた。と、今度はハッキリ、
「ニャア」
と云うのがガラス戸の向うで聞えて、ばたん、………と云う音と同時に、黒い物の影がさっと掠めた。そうか、やっぱりそうだったのか、―――彼女はさすがに、その声には覚えがあった。この間ここの二階にいた時は、とうとう一度も啼かなかったが、それは確かに、蘆屋時代に聞き馴れた声に違いなかった。
急いで挿し込みのネジを抜いて、窓から半身を乗り出しながら、室内から射す電燈のあかりをたよりに暗い屋根の上を透かしたけれども、一瞬間、何も見えなかった。想像するに、その窓の外に手すりの附いた張り出しがあるので、リリーは多分そこへ上って、啼きながら窓を叩いていたのに違いなく、あのばたんと云う音とたった今見えた黒い影とは正しくそれだったと思えるのであるが、内側からガラス戸を開けた途端に、何処かへ逃げて行ったのであろうか。
「リリーや、………」
と、階下の夫婦を起さないように気がねしながら、彼女は闇に声を投げた。瓦が濡れて光っているので、さっきのあれが時雨だったことは疑う余地がないけれども、それがまるで嘘だったように、空には星がきらきらしている。眼の前を蔽(おお)う摩耶山の、幅広な、真つ黒な肩にも、ケーブルカアのあかりは消えてしまっているが、頂上のホテルに灯の燈っているのが見える。彼女は張り出しへ片膝をかけて、屋根の上へノメリ出しながら、もう一度、
「リリーや」
と、呼んだ。すると、
「ニャア」
と云う返辞をして、瓦の上を此方へ歩いて来るらしく、燐色に光る二つの眼の玉がだんだん近寄って来るのである。
「リリーや」
「ニャア」
「リリーや」
「ニャア」
何度も何度も、彼女が頻繁に呼び続けると、その度毎にリリーは返辞をするのであったが、こんなことは、ついぞ今迄にないことだった自分を可愛がってくれる人と、内心嫌っている人とをよく知っていて、庄造が呼べば答えるけれども、品子が呼ぶと知らん顔をしていたものだのに、今夜は幾度でも億劫がらずに答えるばかりでなく、次第に媚びを含んだような、何とも云えない優しい声を出すのである。そして、あの青く光る瞳を挙げて、体に波を打たせながら手すりの下まで寄って来ては、又すうっと向うへ行くのである。大方猫にしてみれば、自分が無愛想にしていた人に、今日から可愛がって貰おうと思って、いくらか今迄の無礼を詑びる心持も籠めて、あんな声を出しているのであろう。すっかり態度を改めて、庇護を仰ぐ気になったことを、何とかして分って貰おうと、一生懸命なのであろう。品子は初めてこの獣からそんな優しい返辞をされたのが、子供のように嬉しくって、何度でも呼んでみるのであったが、抱こうとしてもなかなか掴まえられないので、暫くの間、わざと窓際を離れてみると、やがてリリーは身を躍らして、ヒラリと部屋へ飛び込んで来た。それから、全く思いがけないことには、寝床の上にすわっている品子の方へ一直線に歩いて来て、その膝に前脚をかけた。
これはまあ一体どうしたことか、―――彼女が呆れてゐるうちに、リリーはあの、哀愁に充ちた眼差でじっと彼女を見上げながら、もう胸のあたりへ靠(もた)れかかって来て、綿フランネルの寝間着の襟へ、額をぐいぐいと押し付けるので、此方からも頬ずりをしてやると、頤だの、耳だの、口の周りだの、鼻の頭だのを、やたらに舐め廻すのであった。そう云えば、猫は二人きりになると接吻をしたり、顔をすり寄せたり、全く人間と同じような仕方で愛情を示すものだと聞いていたのは、これだったのか、いつも人の見ていない所で夫がこつそりリリーを相手に楽しんでいたのは、これをされていたのだったか。―――彼女は猫に特有な日向臭い毛皮の匂を嗅がされ、ザラザラと皮膚に引つかかるような、痛痒い舌ざわりを顔じゅうに感じた。そして、突然、たまらなく可愛くなって来て、
「リリーや」
と云いながら、夢中でぎゅッと抱きすくめると、何か、毛皮のところどころに、冷めたく光るものがあるので、さては今の雨に濡れたんだなと、初めて合点が行ったのであった。

 またちょう長くなった。とってもいい場面。ここもまた猫の描写が素晴らしいし、またそれまで猫に冷たかった品子が惹きつけられていく様が説得力がある形で描かれている。
 小説はその後もいろいろに物語があるのだけれど、それは読んでみてください。で、もう終わりという感じだけど、もう少し書くと、結局のところ庄造は品子のことも、品子と別れて好きで一緒になったという福子のことも、そして猫のことも本当には大切に思っていない。策略があったとはいえ品子とは別れてしまうし、福子が嫌いだと言うのに『小鰺(こあじ)の二杯酢』を福子に作らせ、それで揉める。さらにはあれほど溺愛していたにも関わらず、いろいろあったにせよ結局は猫を手放してしまう。庄造という男は自分中心で自由きままな猫のようなところのある奴なのだ。
 小説にはまず、そんな庄造に二人のおんなが振り回されるという構図がある。さらにその庄造もやっぱり最後には猫には敵わないという力のバランスで成り立っている。もっとも弱いはずの動物が人間より強いというわけだが、猫にしても庄造のところにずっといられれば良いのだが、品子のところにいったりして、人間の都合で移動させられて大変なのだ。だからやっぱり猫がもっとも弱いことは間違いない。だから最弱のはずものが時に最強になるという、言わばトランプの大富豪で革命が起こったとき、最弱のカードが最強のカードになるような関係が、この小説では描かれているということになると思う。こういうこと人間関係でもあるよね。

ということでまた次回!

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