土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から 17 「評価は嫌だけど対価は得たい」
誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。
この相談室では、あなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、司書・青木海青子さんとキュレーター・青木真兵さんが処方してくれます。さて、今月のお悩みは……?
◉処方箋その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書
『送別の餃子—中国・都市と農村肖像画』
井口淳子著 灯光舎
「縁」に委ねてみよう
本書は、民族音楽のフィールド調査を続ける著者による、中国滞在記です。研究で訪れた都市や農村で出会う人々との思い出を綴ったエッセイには、厳しさの中で生き生きと暮らし、働くかれらの姿と思いが、鮮やかに描き出されています。
農村の「民族音楽学」というのはニッチな分野で、著者の井口淳子さんはパイオニアともいえる存在なのですが、彼女の筆致にはそうした気負いがありません。中国をフィールドワークの場に選んだのも、今も現地の方たちと交流しているのも、すべては人の縁がきっかけだったようなのです。自分にコントロールできる範囲の外側への敬意や純粋な好奇心が感じられる——それが本書の大きな魅力になっています。
「ご縁があったから行こうか」と大きく構えて中国を旅する著者と同様、彼女と出会う都市や農村の人々も、縁や巡り合わせをみんなで一緒に受け止めながら、おおらかに、力強く生きています。
Nさんは今、ご自分でコントロールできる範囲の中でだけ考えすぎて、身動きが取れなくなっているのではないでしょうか。それぞれの選択肢の未来を想定し、思い巡らせることはもちろん大切ですが、ときには本書の著者や農村の人々のように、「縁」に委ねてみてはいかがでしょう。
自分の状況を周囲に打ち明け、仕事を探していることを伝えれば、身近な誰かがヒントをくれるかもしれません。あるいはハローワークなどで紹介された仕事についても、紹介してくれたことを一つの縁と捉え、飛び込んでみる。「縁」を中心にすることで、もっと自由に自らの可能性を拓くことができるのではないかと思います。
本書には、あるすてきな言葉が出てきます。フィールドワーク中、各地を巡業して暮らしを立てている旅芸人さんに出会った井口さんは、一見気ままに見えるかれらの暮らしが実は非常に過酷であることに驚き、ねぎらいの言葉をかけます。すると旅芸人の男性はさらっと一言、「哪行都辛苦(ナーハントウシンク:どんな仕事もつらいものだよ)」と言うのです。はるばる日本から中国に来たあなたも、大変だったでしょう、と。
誰よりも厳しく不自由な生活を送っていながら、気ままな旅人である井口さんに向かってそうした言葉を発することのできた彼に、井口さんはある種の心の安寧や悟りの境地を見出します。それ以来、つらいときには彼の言った「哪行都辛苦」を思い出すようになったといいます。
Nさんもぜひ何かの折にはこの言葉を思い出し、「自分」から解放される時間を持ってみてください。
◉処方箋その2 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター
『ミミズによる腐植土の形成』
ダーウィン著 渡辺政隆訳 光文社古典新訳文庫
ミミズの評価に学ぶ
お便りを読む限り、Nさんの言う「仕事」とは、いわゆる資本主義体制下における「労働」だと思います。資本主義体制下の労働とは、評価されて対価をもらう、つまり自分の労働力を商品として差し出すことを意味します。でもNさんは「評価されたくない」とも思っている。評価はされたくないのだけれど、仕事はしたい。実はこの2点は、資本主義体制下ではまったく矛盾してしまうんです。
資本主義体制以前の労働、マルクスの言う「本来の労働」は、資本主義に基づく人間社会のシステムには組み込まれないものです。たとえば森で木を切り、それを使って机を作り、自分の暮らしのために使うことを指します。
机を商品として流通させ始めると、これは資本主義体制下の労働になり、自分のためではなく「商品を作るための労働」になってしまいます。つまり、「自分自身のために働く」ことこそ、「本来の労働」であるというのが、マルクスの主張です。
そして、それを実践しているのが、ミミズなんです!(笑)
本書は、『種の起源』で有名なダーウィンによる「自宅の裏庭につづく牧草地に石灰を撒き、家族の協力を得ながら土を掘り返しての観察と実験を重ねること40年。ミミズの働きと習性について生涯をかけて研究したダーウィン最後の著作」です。
土の中で暮らすミミズは、自分のためにご飯を食べ、ウンチを出しているだけです。しかしその営みは土を非常に豊かにしています。そのことを突き止めたのが、ダーウィンでした。
本書が著されるまで、ミミズというのは芝生を荒らす害虫であり、釣りや鶏の餌ぐらいにしかならないと考えられていたのですが、ダーウィンの40年に及ぶ研究の結果、ミミズが実は生態系のエンジニアであり、植生に多大なる影響を与えていることが知られるようになったのです。
ミミズは別に土壌を肥沃にしようと思って生きているわけではありません。ただ自分のためにご飯を食べて排泄をしている。それが結果として自分の評価につながった(長い間誤解されてはいましたが)、というわけです。
Nさんが「本来の労働」をしたいと願うのなら、他人からの評価がすぐに得られると考えてはいけません。反対に、対価という評価を得たいのなら、資本主義体制下の労働に携わるべきです。
そもそも資本主義体制下でしか暮らしたことのない僕たちは、対価=お金と思いがちですが、そうではない対価もあり得るのです。
対価の捉え方は人によっても異なるはずなのですが、資本主義体制下での発想が染みついているために、どうしても2つの労働がごっちゃになってしまうのでしょうね。
本書を読んで、「本当の労働」とは何かを考えてみてください。ミミズのようにコツコツ自分の営みに勤しんでいたら、思いもかけない評価が、いつかやってくるかもしれません。
◉処方箋その3 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書
『しゃべれども、しゃべれども』
佐藤多佳子著 新潮文庫
思いがけないところから人生は拓ける
本書の主人公は、落語が大好きで噺家になった、二ツ目の噺家、今昔亭三つ葉。まだ半人前な彼のところに、「落語を教えてほしい」と訳ありの人々が訪ねてきます。
好きな人にふられた元アマチュア女優の十河、関西弁が原因でクラスになじめない村林、仕事のトラブルから対人恐怖症が出て、どもるようになったテニスコーチの良くん、解説が下手すぎる元野球選手の湯河原さん……「人生がかかっているんだから」と十河が言うくらい、みんな切羽詰まっています。三つ葉自身がまだ噺家として成長中なのに、彼に教わる訳ありの彼らの人生が、果たして快方に向かうのか……というお話です。
私が本書ですごくいいなと思ったのが、コミュニケーションの問題を抱えた面々が、カウンセリングでも話し方教室でもなく、落語を習いに来た、というところです。落語が上手になったからといって、日常会話に活かせるものだろうかと心配になりますよね。
でも発表会に向けて一生懸命話を覚え、頑張る中で、それぞれの人生は思いがけない方向に好転していくのです。その様子がとてもさわやかで、すてきです。
Nさんは、趣味やボランティアを自らの選択肢から除外しておられるようです。
でもこの面々のように、一見直接は問題解決と関係のなさそうな、「これは自分の求めているものとは違うだろう」と除外しているものに飛び込んでみると、人生が思わぬ方向に転がり始めるかもしれません。
そんな可能性を信じてみたくなる一冊です。ぜひ読んでみてください。
◉ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。
◉奈良県大和郡山市の書店「とほん」とのコラボ企画「ルチャとほん往復書簡—手紙のお返事を、3冊の本で。」も実施中。あなたからのお手紙へのお返事として、ルチャ・リブロが選んだ本3冊が届きます。ぜひご利用ください。
◉ルチャ・リブロのことがよくわかる以下の書籍もぜひ。『本が語ること、語らせること』『彼岸の図書館』をお求めの方には、青木海青子さんが図書館利用のコツを語ったインタビューを収録した「夕書房通信5」が、『山學ノオト』『山學ノオト2』『山學ノオト3』には青木真兵さんの連載が掲載された「H.A.Bノ冊子」が無料でついてきますよ!