今を生ききるということ 金森穣×田中辰幸 『闘う舞踊団』をめぐる対話①
田中 まずは、出版おめでとうございます。これが著書第一作というのは意外な気がします。
金森 ありがとうございます。実は10年ほど前に一度、色々なところに書いた文章をまとめて出版する話が大手出版社からあったけれど、原稿を送ったきり連絡が途絶え、そのまま闇に消えていた。だから自分は出版には縁がないのだと思っていたら、昨年、夕書房・高松さんとの出会いがあって。そこから一気に進んだので、物事って進むときには進むんだな、と驚いたよ。
田中 穣さんのこれまでを総括した、自叙伝のような本ですね。
金森 高松さんが俺のことを知らなかったので、生い立ちから順を追って喋ったからね。毎週月曜日の夕方に1時間、合計15回。本に収録された内容の3倍は喋ったけれど、削って削って、この形になった。
誰もができる闘いであることを、本を通じて伝えたい
田中 劇場専属舞踊団という環境を未来の人たちに託したいから、すべてを詳かにしたというのが印象的でした。本書を著されたのは、Noismの経験を残すためだったのですか?
金森 貴重なアーカイブとして残したいというのはもちろんあった。本とはそういうものだと思うし。それに加え、そもそも舞台芸術とは消えてなくなるものであり、我々がやっていることもいつまで維持できるかわからない中で、現場のリアルな声を残したいという思いもあった。
出版してみると、劇場関係者や文化政策研究者から大きな反響があった。業界人や専門家の間ですら、新潟のNoismは奇跡的な成功例と認識されていたんだよね。本を通してその内実、これだけのことを積み重ねて維持されてきたと知り、驚いたとか共感した、応援したいといった声をすごくたくさんいただいた。出してよかったなと思うと同時に、こういう形で発信していかなければ、Noismは単なる「恵まれたケース」として劇場関係者にとっても他人事になってしまうんだとも強く感じた。
この本は、変革を望んでいる現場の人たちへの具体的なヒント、アドバイスになると思うし、我々はもっとこの本を活用して劇場専属舞踊団の可能性を伝えていく必要がある。
設立から18年が経っても日本に劇場専属舞踊団がNoismしか存在していないのは、全国の劇場の人たちがみんな「あれは新潟だから、金森穣だからできたことであり、自分たちの日常とは関係がない」と切り離して見てきたからなんじゃないか。この本をきっかけに、そうじゃない、これは誰もができる闘いなんだともっと訴えていきたいな、と。
田中 金森さんじゃなくてもできる、と。一方で、舞踊家・金森穣にできることを他の舞踊家にも求められるのか、という葛藤もあるのでは。
金森 どんな身体表現でも、優れた選手や舞踊家、芸術家がそのノウハウをそのまますべて他者に伝授できるわけではない。その一方で、他者と共有可能なものとして残していける部分についても考えなければ、すべてが「金森穣だからだよね」で終わってしまうよね。
外部への回路をひらく
田中 そうですよね。本書では、舞踊家の質に加え、観客の質についても指摘されていました。見巧者の数と舞踊家の質は連動していくように思いますが、新潟で20年近く活動されてきて、そのあたりはどうですか。
金森 2004年の設立以来、Noismの公演ではアフタートークを行なっているけど、設立当初は「どこでご飯食べているんですか」「好物は何ですか」といった質問しか出なかったのが、公演を重ねるうちに見る目がどんどん成熟していき、批評的な回路が生まれて、こちらが刺激されるような嬉しい質問がバンバン出てくるようになった。
やっぱり積み重ねが大事なんだよ。舞踊に触れた経験がなければ、見方がわからないのは当然だし、演劇と違って言葉がないから、最初は何を表現しようとしているのかさえわからないかもしれない。
ただ見ているだけでも感じられるものはあるはずだけど、どうしてもそこで疑ってしまうんだよね。「自分はこう感じたけど、これ合っているのかな」と。そして不安が高じて、「自分にはわからないな」となってしまう。
でも繰り返し観ていると、「何度観ても自分にはここがグッとくるな。自分の感性が惹かれるのはこういうところなんだ」と自己を刷新していくことができる。時間はかかるけれど、そうやって時間と経験を積み重ねることで、明らかに変わっていくことはある。
もう1つ大事なのは、芸術家と観客の間に言論があるかどうか。批評家の不在が問題視されて久しいのは舞踊分野に限ったことではないけれど、舞踊の批評のほとんどは、舞踊好きの人か舞踊経験のある人によるもので、そうした言説は舞踊ファンの間でしか流通しない。つまり、もともと舞踊に興味のない人が批評を読んで参考にする機会はほぼない。舞踊の観客を増やすには、まったく別の分野の人たちによる言説が、もっともっと必要なのだと思う。
田中 舞踊をめぐる言論がインナーサークルの間だけで流通していて、外部への回路が閉ざされている、と。
金森 そう。新聞の文化欄も、どんどん縮小しているでしょう? Noismの公演についても、批評家や記者が公演評を載せてくれる機会がここ数年、激減している。今はネット記事もあるけれど、どうしても業界内で完結してしまう。
もっと広い角度から、我々がやっていることを批評する方、その価値を立証してくれるような方たちと接点を持たなければいけないな、と、(井関)佐和子とも最近よく話している。
田中 批評はどの分野でも先細りが激しいし、せっかく書かれても読まれないという問題もある。そのせいで、批評を書きたい人の居場所がなくなってきている。悪循環ですよね。もっと違う方法を考えるべきなのかもしれません。
金森 こういう話せる場があることも、大事だよね。とにかく地道に発言を続けていくしかない。引っかかってくれる人は必ずいると思うので。
(②に続く)
写真(本文中):高橋トオル 協力:MOYORe: