土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から 21 「帰属意識が持てない」
誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。
この相談室では、あなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、司書・青木海青子さんとキュレーター・青木真兵さんが処方してくれます。さて、今回のお悩みは……?
◉処方箋その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書
帰属意識ってなんだろう
「マジョリティにもマイノリティにも帰属意識が持てず、自分の立ち位置がわからない」という鴉沢さんには、まずこの絵本をご紹介したいと思います。
これは、日本からアメリカに移住し、その後日本に戻ったおじいさんの軌跡を、孫の視点でたどる物語です。おじいさんは若い頃アメリカに渡り、カリフォルニアに暮らしました。娘の誕生を機に故郷に戻るのですが、日本に移り住む中で、カリフォルニアの山や川が思い出され、揺れ動きます。
「ぼくたちはどこにいようと、他のどこかが恋しい。誰といようと、他の誰かが恋しい」--本書を読むと、帰属意識ってなんだろう、実はどこかにしっかり根を張って、完全な帰属意識を持つ人のほうが少ないのではないかという気がしてきます。一方に立っているときにはもう一方を思い、もう一方に移ると、さっきまでいたほうに心を寄せるというのは、普遍的な心の動きなのでしょう。
私たち自身、「彼岸」にいれば「此岸」を思い、「此岸」にいれば「彼岸」を必要としている。それときっと同じなのです。
鴉沢さんが、マイノリティ側にもマジョリティ側にも違和感を覚えるのなら、この絵本のように、その揺れ動く心をそのまま文章にしてみてはいかがでしょう。取り組んでいらっしゃるエッセイのテーマはわかりません。でも私は、このお便り自体が『おじいさんの旅』だなと感じたのです。
◉処方箋その2 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書
個人の物語をそれ自体として綴る
漫画の舞台は、フランス・パリ。高級レストランで副料理長を務めることになった気弱な主人公・ジルベールが、職場の同僚や引っ越し先のアパルトマンの住人たちとの交流を通じて、シェフとして、人間として成長していく様子を描いたヒューマンドラマです。
「Artiste」とはアーティスト、芸術家のことです。ジルベールの住むアパルトマンには、お金のない芸術家たちが暮らしています。ジルベールがここに住むことになったのは、大家さんがジルベールの料理を広義の芸術と認めてくれたからです。
この7巻には、住人でSF小説家のシモンがスランプに陥っているとき、ジルベールと話し込む場面が描かれています。ジルベールが「どうしてSF作家になったの?」と聞くと、シモンは子どもの頃、アストロバイオロジー(宇宙生物学)に没頭したことを語り、「家の中で僕は地球外生命だったから。僕が男しか愛せないってわかった時からずっとね」と答えます。
性的マイノリティではないものの、家族の中で居場所が見出せなかった過去を持つジルベールは、「僕も宇宙に逃げられたら良かった」とつぶやき、「シモンの書く物語に逃げたい子供たちがいるんじゃないかな…」と声をかけます。このジルベールの言葉がきっかけとなり、シモンはスランプを抜け出していきます。
この作品には、他にも社会の中で居場所が見つけられなかった人々が登場します。「LGBTQ+や発達障害がテーマ」というのではなく、それぞれの話があくまでその人個人の人生に寄り添って語られていくのです。
鴉沢さんのお便りには「マイノリティ」「マジョリティ」という強い言葉が前面に出ている印象があります。
ぜひ一度、ジルベールたちのように、鴉沢さんご自身の物語をそのまま綴ってみてはどうでしょうか。
シモンが自らの来し方を語るうちにスランプから脱したように、鴉沢さんもご自身のことを語ることで、何か見えてくるものがあるかもしれません。
◉処方箋その3 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター
些細な日常に潜む本質を捉える
ジョージ・オーウェルといえば、『1984年』『動物農場』といった、現代社会への批評を背景としたSF・ファンタジー作品で知られるイギリスの作家・ジャーナリストです。
彼はおもしろい経歴の持ち主です。イギリスの植民地時代のインドに生まれ育ち、学校を卒業後、インド帝国警察官任官試験に合格、ビルマ(現・ミャンマー)に赴任します。5年間の勤務ののちに警察官をやめ、パリとロンドンで放浪生活を送って、その後、ジャーナリストとしてスペイン内戦に参加しますが、そこでファシズムとの戦いに共感して義勇兵になります。
本書には、そんな多様な立場で多様な経験をしてきたオーウェルが日々何を見て、どう感じたかが非常に繊細に描かれていて、鴉沢さんにも大いに参考になるのではないかと思います。
例えば、若きオーウェルがイギリスという支配側の警察官として植民地であるビルマに赴任したときのことです。
飼っていた象が暴れ出し、村人を踏み潰したとの一報を受けたオーウェルは、現場を収めるため、銃を携えて駆けつけます。しかし到着したときにはすでに象は落ち着いていた。帰ろうとしたオーウェルは、そこで気がついてしまいます。仲間が犠牲になって興奮状態の村人たちが、統治側のオーウェルが象を殺してくれるものと期待ではちきれそうになっていることに。
象を殺したくはない素の自分と、帝国主義者としての振る舞いが期待されている警察官としての自分。このギャップにオーウェルは強烈な違和感を抱きます。
もう1つ、絞首刑に立ち会ったときのエピソードも印象的です。
絞首刑場に向かう死刑囚と現地警察の執行人に付き添うことになった、統治側の警察官・オーウェル。一行は道すがら、野良犬に吠えられるのですが、死を目前にした死刑囚はびくともしません。しかしその後、地面にあった水たまりを死刑囚が無意識のうちに避けるのを見たとき、オーウェルは衝撃を受けます。
いずれも大きな事件ではありません。日々の些細な出来事を通して、帝国主義の欺瞞やおかしさに気づいていく。小さなエピソードから伝わってくる強烈な印象と余韻に、唸ってしまいます。
オーウェルはスペイン内戦にも参加し、そこで目撃したことはルポルタージュ『カタロニア讃歌』にまとめられています。
スペイン内戦は、アメリカの作家ヘミングウェイなど世界各国から義勇兵や共産主義者が集まった共和国側と、フランコ将軍率いるファシズム政権との戦い、つまり自由VS全体主義の戦いでした。オーウェルも自由のために共和国側に参加するのですが、実際に入ってみると、共和国側もいくつもの派閥に分かれていて、ちっとも一致団結していない。
しかも、共和国側にいたソ連のトロキストたちは、スペイン内戦がファシズム側の勝利で終結を迎え、帰国するとスターリン政権によって粛清されてしまいます。
ディストピア小説の傑作『1984年』は、そうした社会の矛盾を目の当たりにした彼自身の経験から生まれたのです。
オーウェル自身、スペイン内戦では自由派にアイデンティティを感じていましたが、内部に入ってみたらまったくそうではなかった。
結局、重要なのはどこかの集団に帰属することではなく、自分が生活の中で何を見てどう感じるかなのです。文章を書く方なら、なおさらでしょう。ぜひ本書を読んで、オーウェルのまなざしを感じてみてください。
◉ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。
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◉ルチャ・リブロのことがよくわかる以下の書籍もぜひ。『本が語ること、語らせること』『彼岸の図書館』をお求めの方には「夕書房通信」が、『山學ノオト』『山學ノオト2』『山學ノオト3』には青木真兵さんの連載が掲載された「H.A.Bノ冊子」が無料でついてきますよ!