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ぼくらの「アメリカ論」

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ぼくらのどこかに、いつも「アメリカ」がある。 高知、神戸、東吉野。文学者、建築家、歴史家。居住地も職業も違う3人が、互いの言葉に刺激されながら自分にとっての「アメリカ」を語る、こ…
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#アメリカ

18 終わらない会話のために 光嶋裕介

アメリカ・ニュージャージー州に住んでいた少年時代、夏休みになると、家族で父の運転するダットソンに乗ってどこまでも続く広いハイウェイをよくドライブした。 行き先は、週末に行くマンハッタンと違って、ボストンやフィラデルフィアなど少し遠方の街。どこに行っても、必ずその街の美術館に連れていかれたのが、私にとって最も古い記憶のひとつである。 映画《ロッキー》で有名になった《フィラデルフィア美術館》のあの大きな階段(通称ロッキー・ステップ)も、兄と走り回った。当時小学生低学年だった僕に

17 原爆、安保、沖縄 青木真兵

『はだしのゲン』の衝撃たぶん小学3年生か4年生のころだったと思う。道徳の時間に観た『はだしのゲン』のビデオで、原爆は僕の中で完全にトラウマになってしまった。 アニメーション映画『はだしのゲン』は太平洋戦争末期の1945年8月6日、広島に原爆が投下された後の数年間にわたる主人公、中岡ゲンとその家族・友人たちの生活を描いた漫画作品が原作である。観たことのある人は知っていると思うが、まず冒頭のシーンが衝撃的なのだ。 「観ない」という選択をした同級生もいたから、担任の先生は事前に注

16 同じ筏のうえで――あなたはわたしになったあなたを殺せない 白岩英樹

本リレーエッセイの初回「「生き直し」のヒントを探す旅へ」がWeb上で公開されたのは、およそ7カ月前、昨年の10月9日(月)であった。編集者への原稿送付期日はその5日前、10月4日(水)に設定されていたと記憶している。 ガザでのジェノサイドが公然と開始されたのは、その狭間だった。国連の報告によれば、パレスチナ自治区ガザ地区の犠牲者総数はすでに3万5000人を超えた。その7割以上を女性と子どもが占め、1万人以上がいまだ瓦礫のしたに埋まったままである。 きわめて非対称かつ圧倒的な

15 沈黙と光を愛した遅咲きの建築家 光嶋裕介

海外に行く際の入国審査などの書類には、必ず職業(occupation)欄がある。私は、建築を勉強し始めてまもない頃から、そこに「Architect」と書いている。大学で建築を専攻して以来、建築家への志は変わることがなかったし、夢が叶った今も、建築家であることに誇りを持って仕事をしている。生業の中心は、建築設計と現場監理だが、ドローイングを描いたり、文章を書いたり、大学で教えたりすることも、すべて「建築家」としてやっていることである。 ちょっとキザな言い方になってしまうが、建築

14 「ちょうどよく」とどめる精神で 青木真兵

幼い頃から「戦争」というものに関心があった。 一口に戦争といっても、さまざまな側面がある。兵器か軍隊か。国内政治か銃後の生活か。国際政治や戦地での日常について……こう列挙してみると僕の関心が見えてくる。 やはり軍人として戦地に赴くこと。そして日常のルールが一気に変わってしまうことに興味があったのだと思う。それは自らの意志が尊重されず、半ば強制的に戦いに駆り出されることを意味するからだ。 沖縄戦の衝撃印象に残っているのが、明石家さんまが主演していたドラマだ。調べてみると『さと

13 自然と対峙した完全芸術家のまなざし 光嶋裕介

作品集のページがボロボロになるまで見ていた建築を、実際に体験したときの感動は大きい。 鬱蒼とした森の中に垂直に立ち上がる石積みの壁と、水平に広がる上品なクリーム色のテラスのコントラストが、ひときわ端正な輝きを放つ。その圧倒的な浮遊感は、水平に連続する赤枠のガラスの広がりからよりも、川のせせらぎや風で揺れる木々の音からより強く感じられた。鳥のさえずりも心地よく響き、まわりの自然を五感で受け止めて、パッと同化する一体感が《落水荘》にはあった。 ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外の

12 モグラの手つきで——抵抗と連帯の詩学へ 白岩英樹

期せずして迎えた5巡目。来週は卒業式だ。いつもこの時期になるとシャーウッド・アンダーソンを読み返すことにしている。わたしがアメリカ文学を読み始める端緒を開いてくれた作家である。会社経営と創作と家庭のはざまで深い葛藤を抱えながら、4度の結婚と3度の離婚を経験し、アメリカの陰影をひとりで背負い込んだような人物を生涯描き続けた。 アンダーソンはもともと詩人への憧れが強かった。生前には2冊の詩集が刊行されている。しかし、発行部数から察するに、当時もいまも、それらをひもとく読者はごく

11 食糧から見る、アメリカの現在地 青木真兵

前回の白岩さんの論考を受け、〈征服者/強者〉〈非征服者/弱者〉の関係を考えようとして気づいたのは、私たちが二項対立の枠組みのなかに固定化されがちだということだ。 支配と被支配、帝国と植民地、勝者と敗者……。これらの図式は、確かにある特定の場面には適応できるのだが、そもそも完全なる強者、完全なる敗者というものが存在するのかと考えると、疑わしくなってくる。 なにも言葉遊びをしようとか、概念を捏ねくりまわそうというのではない。例えば時間軸を伸ばすことで、「あのときの負け」が今の自分

10 What Are You Standing On? 白岩英樹

ゼミ生の卒論を読んでいる。どれも本当におもしろい。しかし、指導教員の立場上、おもしろい、おもしろいと連呼しながら読むだけでは済まず、添削と称して朱字で加筆を促したり、修正案を提示したりせねばならない。全員の文字数を合わせれば優に書籍化できるくらいのボリュームがあるから、膨大な時間と労力を要する。それでも、誰が何のために読んでいるのかわからない書類を作ることに比べれば、大学教員としての冥利を感じる学務である。 わたしがおもしろいと感じる卒論は、総じて以下の2種類である。 (

9 フラーから考える建築家の倫理 光嶋裕介

「建築家は家屋の海原の中にたとえば聖堂をつくる。ヨコのひろがりの内に、タテの力が働く場をつくり出そうとする」(『ヨコとタテの建築論』慶應大学出版会、2023、p.128)とは、建築史家の青井哲人の言葉である。 青井はまた、「新しい制作のきっかけは、いつも所与の豊穣な世界にある。素材もそこから集められ、集まったものが交雑する。ところがそこに世界からの超越が兆す。接続しない自律はありえない。ヨコのないタテはありない」(同上、p.34)とも述べている。 ヨコに展開するのは、白岩さ

8 アメリカの「自由と民主主義」が抱えるもの 青木真兵

何度も繰り返すが、このリレーエッセイにおいて僕は自分の中にある「アメリカ」を見つめ言葉にし、現代社会とどうにか折り合いをつけられるようになりたいと考えている。なぜなら、自分の中にある「アメリカ」と現実のアメリカとのあまりにも矛盾した状態に、正直なところ大きく失望しているからだ。それは一言でいうと、「自由と民主主義」の問題である。 「自由と民主主義」のアメリカはどこへ行ったのか僕が幼少・青年期を送った1980、90年代にアメリカの存在感の大きさを疑う者はいなかっただろう。ベル

7 戦争と分断に抗って「線路」を延ばす 白岩英樹

元旦に迎える3巡目。戦争と分断の時代にリレーエッセイを書きつなぐ意義をつらつら考えている。 その場にふたりしかおらず、相手の話に慎重に耳を傾けようとすると、どうしても顔を見つめあうことになる。すると、お互いの面持ちか、その背後に延びる線上の空間しか視界に入ってこない。次第に両者の距離は近づき、対話の密度が高まっていく。呼吸が浅くなり、言葉のラリーは緊張感を増す一方である。 そのように関係性が閉ざされていくなか、ラリーに必要な距離を保つには第3者の存在が欠かせない。たとえば

6 オフィスビルという欲望の建築の終焉 光嶋裕介

人間の生活と建築は常に密接な関係にあり、社会が大きく変化するたびに新しい建築が生まれてきた。 白岩さんの言うように、アメリカ先住民族は「大建築」を遺さなかった。だが、世界が高度に近代化した20世紀は、人間が集まって生活することを選択した時代となり、都市化が進んだ現代はまさに「大建築」の時代となった。生活の大きな部分を働くことが占め、資本を生み出す労働の場は工場からオフィスビルへと変わっていった。労働力は賃金となって分配され、モノやコトをお金で交換する経済活動が世界を覆い尽くし

5 「アメリカ」をどこから見るべきか 青木真兵

アメリカの重層性僕にとってこのリレーエッセイは、光嶋さんとは違う形だけれども自分のなかに潜む「アメリカ」を探求する旅となる。パンやコーンフレーク、ハンバーガーとともに育った僕は、これらを「アメリカのもの」だと強く意識していたわけではないし、『ジュラシックパーク』や『インディ・ジョーンズ』だって面白い映画だと思って観ていたけれど、「アメリカの映画」としてフランス映画やロシア映画と比較していたわけではなかった。 埼玉県浦和市で育った僕の生活や社会にはアメリカ由来のものが溢れていた