11 食糧から見る、アメリカの現在地 青木真兵
前回の白岩さんの論考を受け、〈征服者/強者〉〈非征服者/弱者〉の関係を考えようとして気づいたのは、私たちが二項対立の枠組みのなかに固定化されがちだということだ。
支配と被支配、帝国と植民地、勝者と敗者……。これらの図式は、確かにある特定の場面には適応できるのだが、そもそも完全なる強者、完全なる敗者というものが存在するのかと考えると、疑わしくなってくる。
なにも言葉遊びをしようとか、概念を捏ねくりまわそうというのではない。例えば時間軸を伸ばすことで、「あのときの負け」が今の自分につながっていると考える人がいてもいい、そう思うのだ。
「あのときの負け」は、いっときの負けであり、完全な負けにはなり得ない。そう考えて生き直せるのが、人間らしさであり、人間に備わった強さだ。
この種の「リフレーミング」は、もちろん他者に強要することはできない。被害の経験を「完全な負け」としか思えない時間は、個々の人生において間違いなく存在するからだ。
しかし同時に、そのような経験をしたからといって、一生を敗者として過ごさなければならないというわけでもない。経験の本質は本人にしかわからないし、本人の中でも日によって、時期によって変わる可能性がある。
国家の立ち位置、それはかくも複雑なもの
私がこんなふうに考えるようになったのは、カルタゴという古代都市国家の研究を通じてであった。
カルタゴは紀元前9世紀頃、海洋民族フェニキア人によって北アフリカの現在のチュニジアあたりに建設された植民都市だ。古代地中海貿易で重要な役割を果たし、西地中海域を中心に繁栄を極めた。海上貿易はもちろん、農業でも大きく発展したことが知られている。
カルタゴの名を最も知らしめたのは、ローマとの間に3度勃発した「ポエニ戦争」ではないだろうか。
「ポエニ」とは、ローマ人がカルタゴ人のことを「ポエニ人」と呼んだことに由来する。つまりポエニ戦争というネーミング自体が、「ローマ側からの視点」によるもの。私たちは知らず知らずのうちに、勝者の視点から語られる歴史に触れている。
地中海の覇権を巡るこの争いで、カルタゴは完膚なきまでに破壊され、その土地はローマの属州となった。紀元前146年のことである(正確には、カルタゴの旧領域が属州化したのは戦争から約100年後。カルタゴがローマの都市として再建されるのは、紀元前27年に始まる初代ローマ皇帝アウグストゥスの時代である)。
こうした経緯を見ると、カルタゴはローマによって滅ぼされた「敗者」と結論づけられるだろう。しかし、カルタゴの歴史をより詳しく見ていくと、それは一面的な理解であることに気づく。前述のとおり、カルタゴは農業が盛んで、小麦、大麦、オリーブ、ブドウなどの地中海貿易が経済基盤の1つだった。そしてそれらの穀物を栽培していたのは、シチリア、サルデーニャ、北アフリカの一部といった植民地だった。カルタゴの経済的繁栄は植民地によって支えられており、カルタゴは帝国主義の拡張に深く寄与していたのである。
この点に着目すると、ローマとカルタゴが同じ「帝国」であったことがわかる。確かに帝国との戦いにおいて、カルタゴは敗者であった。しかし、帝国と植民地という関係で考えたとき、カルタゴは果たして「完全な敗者」といえるだろうか。
といいつつ、帝国と植民地という関係自体を「勝者と敗者という図式」に当てはめること自体、適切でないかもしれない。なぜなら植民地側も、帝国の権威や軍事力を利用して隣接する地域社会との競争を有利に進めるなど、帝国の力を利用していたからだ。だからといって、安易に「どっちもどっち」という相対主義に陥ってはいけない。大国に挟まれた小国に住む市井の人びとが犠牲者であることは、確かなのだから。
「食糧援助プログラム」の二枚舌
カルタゴはもとより古代ローマ帝国の支配の要も、食糧生産、つまり農業にあった。
ローマ帝国はその食糧供給を帝国内の穀物生産地に依存しており、特に帝国の「穀物庫」と見なされたエジプトを、皇帝直轄属州として特別な管理下に置いていた。また、ローマ帝国では市民への穀物の無料配布(アノナ制度)が行われていたことが知られている。これは皇帝が市民の「福祉」に責任を負うことを示す象徴的な行為であり、皇帝の求心力を高める役割も果たしていた。
このように帝国主義において重要な意味を持つ「食糧制度」は、現代アメリカではどうなっているのだろう。
アメリカは現在、世界最大の食糧生産国である。農産物の輸出は重要な経済基盤であり、外交ツールとしても食糧を使ってきた。「食糧援助プログラム」を通じた他国との関係強化や、影響力の拡大は、よく知られているところである。
戦後日本の学校給食にパンが登場したのも、このプログラムの影響である。太平洋戦争でアメリカに敗れ、極度の食糧不足に直面していた日本で飢餓が広がるのを防ぐためというのが表向きの理由だったが、実はこの食糧援助プログラムには、1948-52年の「ヨーロッパ復興計画」こと「マーシャルプラン」と同様の目論見があった。一言でいうと、この食糧援助にはアメリカ製品の市場を確保し、共産主義化を防ぐ目的があったということだ。特に日本に対しては、これは占領政策の一環として行なわれた。
アメリカで始まった食の工業化
このように、食糧にはアメリカを考える上で重要な点が多い。中でも最も重要な起点だと私が認識しているのが、19世紀後半から20世紀初頭に起こった第二次産業革命である。
電力と内燃機関の利用拡大、新しい製造技術の導入、交通網と通信網の改善といったテクノロジーの発達によって工業化が急激に進んだ結果、人口は農村から都市へと流入し、都市では貧困層が生まれた。劣悪な環境に置かれた貧困層の人びとは、不衛生な条件で加工・保存され、有害な添加物を使った安価な加工食品を食べざるを得なかった。
この時代には、たくさんの食の起業家が誕生している。私の好きな「ザ・フード アメリカ巨大食品メーカー」(2019年公開)は、第二次産業革命によって変化する社会に登場してきたさまざまな起業家を取り上げるドキュメンタリー番組だ。トマトケチャップの「ハインツ」やコーンフレークの「ケロッグ」、「コカコーラ」など、取り上げる企業も多様なら、社会環境を改善しようとする人、一攫千金を夢見る人、権力欲を具現化しようとする人など、起業家自身もさまざまだ。
彼らの会社が共通して行うのは、「食の工業化」である。これによって貧困層の衛生環境は格段に改善し、安全な食生活が安価で得られるようになった。1906年には食品の偽装や不純物の混入を防ぐ「ピュアフード・アンド・ドラッグ法(純粋食品および薬物法)」が制定され、食品と薬の安全性に関する規制も強化されている。
帝国主義者と「スピード・サービス・システム」の親和性
全3回の「ザ・フード」season 1 が最終回で扱うのが、世界で最も有名なハンバーガーレストラン、「マクドナルド」である。よく知られていることだが、マクドナルドは、創業期と拡大期を担った人物が異なる。
マクドナルドは1940年、リチャードとモーリスのマクドナルド兄弟によって、バーベキューレストランとしてスタートした。現在のファストフード形態に変化したのは、1948年。メニューを大幅に簡素化し、効率的な「スピード・サービス・システム」が導入された。ヘンリー・フォードが導入した自動車の組み立てライン方式を応用したこのシステムのポイントは、作業の細分化と作業工程の標準化にあった。各作業員が単一のタスクに専念することで、生産効率を大幅に向上させるこのシステムによって、近代的ファストフードの歴史は始まったのだ。
この「スピード・サービス・システム」に魅入られたのが、レイ・クロックという「帝国主義者」である。1954年、マクドナルドのフランチャイズ権を獲得したクロックは、マクドナルド兄弟の意に反して次々と店舗を増やしていく。
1961年、クロックはマクドナルド兄弟からレストランの事業権を買収し、「マクドナルドブランド」の完全な支配権を手に入れる。買収後も、兄弟が運営するオリジナルのマクドナルドはその名前を維持していたが、クロックはそのすぐ近くに新店舗を開店し、兄弟のレストランを廃業に追い込んだのであった。
第9回で光嶋さんはリチャード・バックミンスター・フラーに触れ、1929年に彼が「安価で環境効率のいい工場量産化住宅《ダイマキシオン・ハウス》をデザインして、アメリカ建築界に登場した」と述べている。そしてそれは「フォード社が工場で高度に品質管理されたベルトコンベアによってT型フォード車を大量生産したように、住宅においても現場で職人がつくるのではなく、工場で組み立て(プレファブリケーション)、現地まで運ぶというアイディアを考案し、アメリカの住宅難に一石を投じたのである」と。
フラーの意図は「この美しい地球を持続可能なものにするためには、最小限のエネルギーで効率を最大限まで上げる必要がある。そのために、自然との関係性を探究する知性が不可欠」というところにあったが、ほぼ同時代に活動し、フォードシステムからインスピレーションを得たレイ・クロックに、果たしてそのような倫理観はあったのだろうか。
ファストフード依存はなぜ生まれたか
クロックはこの「スピード・サービス・システム」を有したハンバーガー店を「マクドナルド」と名づけ、全米に展開した。アメリカ国内にとどまらず、1971年には日本でも銀座に1号店がつくられた。周知の通り、現在では全世界に拡大している。
その後ファストフードレストランの種類が増えると競争が激化し、より多くの顧客を獲得することのみに終始した結果、さまざまな問題が生じてしまっている。
その問題の1つを扱ったのが、2008年公開のドキュメンタリー映画、『フード・インク』である。この映画は、消費者が普段目にしている食品がどのように生産されており、その生産プロセスが環境、健康、そして経済にどのような影響を与えているのかを明らかにしている。
なかでも焦点が当てられたのが、ハンバーガーの安さを可能にする「工場式畜産」の問題だ。合理性を追求するこのシステムでは、動物たちは極めて狭いスペースに押し込められ、抗生物質や成長ホルモンによってできる限り速く育成される。これは動物福祉の観点から問題なのはもちろん、抗生物質耐性菌の発生リスクが高まる意味でも、深刻だという。
合理性追求の事例として、もう1つ挙げられていたのが、トウモロコシである。
牛は自然界において草を食べて暮らしている。しかし草のカロリーは低く、草だけを食べていては、牛はすぐには成長できない。ハンバーガーをより安価に作るには、牛の成長スピードを上げる必要がある。そこで用いられたのが、栄養価の高いトウモロコシであった。草の代わりにトウモロコシを与え続ければ、「工場式畜産」はさらに高いコストパフォーマンスを達成することができる。
こうした極めて工業的発想を畜産に適用した結果、牛の体内には本来存在しなかった大腸菌ウイルスO-157が発生し、牛肉に混入することになる。1993年、O-157に感染した牛の肉でできたハンバーグを食べた少年が亡くなるという、痛ましい事件が起きている。
トウモロコシにはさらに大きな論点がある。高フルクトース・コーンシロップである。
これはぶどう糖と果糖の混合液で、トウモロコシなどのでん粉を酵素処理して作られる。アメリカには1970年代に導入され、食品の生産コストを下げ、加工食品やファストフードの普及を促進する一因となった。甘味が高く、安価なため、砂糖の代替品として加工食品や飲料に広く使用されている。
さらなる問題は、トウモロコシを含む特定の作物にアメリカ政府が補助金を提供していることだ。その結果、トウモロコシの生産コストはさらに低下し、市場に大量に供給されることになった。これでもファストフードに依存してしまう低所得者層を「自己責任だ」と一蹴できるだろうか。
米国産トウモロコシが移民問題を生んだ
トウモロコシの悪影響は、アメリカ国内にとどまらない。
メキシコにおいて、トウモロコシは古くから重要な食糧作物であった。しかし1994年の北米自由貿易協定(NAFTA)制定後、アメリカ政府の補助金を受けて生産された安価な米国産トウモロコシがメキシコ市場に流入し始めると、メキシコの小規模農家はトウモロコシの価格競争で圧倒的不利を被り、多くの農家が廃業してしまう。
困窮したメキシコの農家や農村労働者は、生計を立てるため、やむなくアメリカへの移住を選択する。こうしてアメリカへの不法移民は経済的理由によって増加、移民問題が社会的・政治的課題として浮上し始めたのである。
この不法移民に対して、強硬な姿勢を鮮明にしたのがトランプ前大統領であった。
トランプは2015年の大統領選挙運動のスタート時から、不法移民や麻薬の密売、犯罪の流入を防ぐため、メキシコとの国境に壁を建設する必要性を訴えていた。壁の建設は費用の問題からもすぐには進まなかったが、トランプ政権は不法移民に対する一連の厳しい対策を実施した。
当然ながらこの政策は、大きな分断を生み出す人道問題として、アメリカ内外から大きな批判を浴びた。にもかかわらず、2023年10月、バイデン政権は政策を転換、壁の建設が再開されている。
2つの帝国の先例から何を学ぶか
アメリカの帝国主義を「食」という視点から眺めてみると、自由経済を維持するために、いかに卑劣な政策が行われてきたかが見えてくる。
貧困層をファストフードに依存させる構造をつくったり、メキシコの農家を廃業に追い込んだり……いずれのケースでも、利益を得るのは国民国家がなくなっても困らない一握りの富裕層であり、犠牲になるのは本来国家の支援を必要とする国内の貧困層や国外の農家である。
冒頭で書いたように、古代ローマ帝国において、市民は無料の穀物配布を受けることができた。もちろん、ローマ市民は特権階級であり(市民権は時代を経るごとに拡大した)、帝国内には奴隷や非市民権者も多数存在していた。しかし公式に保護されていた市民と市民権のない奴隷や外国人が、現在のアメリカ社会のように自己責任に基づく格差社会に生きていたかというとそうではなかっただろう。
ローマ帝国では、クリエンテラ関係と呼ばれる「保護-被保護の関係」によって、非公式的な形での共同体が存在していたし、ローマ市民は多くの権利を持つ代わりに、税負担、軍務・公共事業への参加など、帝国や地域に多くの義務を負っていた。
前近代の帝国には人権という概念は存在せず、悲惨な拷問や天候不順などにより、人は日々、大量に死んでいた。その一方で、テクノロジーを前提とした個人主義に向かいすぎた現代社会では、社会や共同体で孤立する人が増えている。人間は、むき出しの権力関係のなかでは、極めて脆弱な存在である。この弱さを踏まえ、これからどんな社会をつくっていくことが求められているのだろうか。
はっきり言って、過去にユートピアは存在しない。しかし先例として参照しながら、「マシな未来」をつくっていくことはできる(と信じたい)。そのためにはどのような思想、アクションが必要なのか。
このような「問いの立て方」こそ、きっとアメリカ的なのだろう。そういう意味でも、やっぱり「ぼくら」はアメリカから眼が離せないのだ。
〈参考文献〉
◉この連載は、白岩英樹さん(アメリカ文学者)、光嶋裕介さん(建築家)、青木真兵さん(歴史家・人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター)によるリレー企画です。次のバトンが誰に渡るのか、どうぞお楽しみに!
◉お3方が出会うきっかけとなったこちらの本も、ぜひあわせてお読みください。
◉アメリカ開拓時代からの歴史や人々の暮らしの実際がもっと知りたい方は、こちらもぜひ!