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綿帽子 第五十二話

「どうした?お袋」

「いや、なんか疲れたし、一日分キャンセルして早めに帰って来たわ」

「なんだ、少しはゆっくりして来たら良かったのに」

住む場所も決まったので、家の方がゆっくり休めるという理由から早く帰って来たらしい。

契約書に目を通さなければ。

保証会社の保証料が年間で1万ちょっと、それを6年分の前払いをすると安くなるらしい。

その間ずっとここに居るかどうかも分からないのに、契約させられてしまうところだった。

お袋に何件見て回ったのかと尋ねてみた。

3件のうちの1件が気に入ったので決めたと言っている。

場所と外観を眺めながらあることに気がついた。

ここは一度見に来たことがある。

丁度一年前のある日、体調絶不調の中家を探しに京都にやって来た。
その時自分でネット検索をして現地に赴き、建物の周りを一周して見て回った記憶がある。

その後に良い環境だなと思いつつ、川沿いを歩いた。

この時にはもう自分の体がおかしくなりかけていることに気づいていて、なんてことのない道なのにバランスを崩して川に転落しそうになった。

それでも俺は歩みを止めず川沿いを歩き続けた。

やがて前方から1組のカップルが歩いてくるのが見えた。
すれ違いざまに二人の顔を見ると、二人共が笑顔だ。

「ああ、俺もこの場所に住んでこうやって毎日歩くことができたら、あの子達みたいに人生をもう一度やり直せるかもしれないのに。だけどそれまで生きていられるかな?」

そんなことを考えたと思う。

その時の強い想いが、もしかしたら神様に届いたのかもしれない。
そして、もう一度頑張ってみろと言ってくれているのかもしれない。

再度周囲の環境に目を通す。

川が近くにあるので犬の散歩にはもってこいだ。

2匹のうち1匹は糖尿病を煩いインシュリンをずっと打たなければならない。
おそらくもう、そんなに長くは生きられないだろう。

それなのに、俺はこいつにも優しく接してやることができないのだ。

老化が進み糖尿が進んだせいもあってか酷く匂う。

一緒にサングラスをかけて写真を撮ったこともある。
噛み癖があって思いっきり殴りつけたこともある。
鬱陶しさに冷たく当たったこともある。

しかし、それでもすり寄って来るこいつに愛着が湧かないはずがない。

トイプードルのくせして規格外に大きくて、頭もバランスが悪いくらいに大きく感じるこいつが可愛くないわけがないのだ。

あの頃の俺はこいつともう1匹、そして風と空と雲、それにせいぜい小鳥や虫たちぐらいしか話せる相手がいなかったのだから。

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