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『やさしいせかい』製作背景と今


 いつもご覧いただきありがとうございます。
 
初の書き下ろし本『やさしいせかい』が、オンラインショップからもご購入いただけるようになりました。

 現在お取り扱いいただいている吉祥寺の「百年」さんや横浜の「生活綴方」さん、鎌倉の「海と本」さんをはじめ、関東近郊の書店さんなどでも順次お取り扱い開始予定ですが、遠方の方などでお求めの際はぜひご利用いただけたらうれしいです。どうぞよろしくお願いします。

 今日は、本ができあがって十日が経ち、すこしづつ本がみなさんの手元に届くようになり、書店店主さんたちとお話させていただくなかであらためて感じていることをまとめる意味でも、『やさしいせかい』の製作背景をすこしお話してみたいです。



『やさしいせかい』を書こうとおもったのは

 本として綴じられたものを今いちど読み返してみてあらためて、ことばにできないことの多さと大きさに気づかされました。同時に、とても濃い霧のなかをさまよいながらもどうにか歩みすすめて、やっとはれた場所にでたときのようにことばといううつわにしずかに落ちていったものたちのことは、しっかり歓迎したいという気持ちを思いだしました。

 なんでも片端からことばという形を与えることがいいということはないと思っているし、けれどことばにしてうまれて初めてとどく場所というのもたしかにある。ことばにしてしまうことの覚悟や後悔、ことばにできないままのことができないままあることへの思慮をわすれないこと、そういうものらとともにことばのあるせかいと、ことばなどいらないせかいを行き来しながら、ずっといきていきていこうと思い、書こうと決めました。

 そのようにいきていくには、この先もずっとじぶんなりの修行がいりますが、ことばを外にだすということはやはり、なにかを生み育てることでありたいです。けっして吐いて捨てておわることではない。これは極端なことだと思いますが、以前どこかで、ことばを話すことを排便にたとえた人がいました。それははっきりいってまちがいだと、そのときのわたしはつよく抗議したかったです。そう思う人がいるのはいいけれども、わたしはまったくべつの意見を持ちます。その人のいうようなせかいにいきていては、人はみな深いかなしみの鎖につながれたまま、ほんとうに自由ではいられないと思うからです。

 わたしはずいぶん、やさしくないことばを話してきた人だと思います。だからこそ、人からのそういう言葉にもとても敏感でした。そして、それは応酬になってしまう。受け取りすぎてしまうし、そのぶん伝えすぎてしまうし、そういった感じすぎてしまうきらいのあるじぶんの感受性を、ほんとうに憎く、厄介に思って、せかいと関わりたくないと背中をむけていた時間が多かったです。

 でも、これは次の章でふれる表紙の絵についての内容でも書きますが、せかいがやさしくないからやさしさをあきらめるであるとか、やさしくできないからじぶんはやさしい人間ではないとかはうまく成立しないとも、ずっと思っていました。ほんとうはシンプルななにかがまちがいでこんがらがっているだけだと、ほんとうのせかいの姿はなによりもじぶんがしっているのに、それが表の面にでてこないだけだと、そういうもどかしさとずっと闘っていたように思います。

 それが、突破口のようなものがみつかったのです。どこが光かともがきつづけた時間のつみ重ねもありますが、それは日記でした。日記を書くことです。せかいといわれるものは、わたし自身や人々のまなざしでできている(にすぎない)し、またできているということは、それらによってこわれもするものだと、そういうなまものに近い、あまり実態のないものだと思うようになりました。そして肩の荷が降りたのです。どんなせかいをいきたいかは、これからはじぶんが決めると。

 やさしいことばを口にしたいです。それは単なる、角のないことばとか、ひかえめにいうとか、そういうような消極的なところからくるものではなく、時につよいことばをふくむかもしれないが、そのことばによってなにかを生み育てることのできるもの。希望とはいいがたいかもしれないけれど、そういうところの界隈にちゃんと根のあるもの。

 希望とはいったいなにかということになるけれど、ひとつ私が好きなことばをあげてみます。ミヒャエル・エンデのいったことばです。

「希望とは、ものごとがそうであるから持つものではなく、そうであるにもかかわらず持つ、精神なのです」

 にもかかわらず、という感覚を、お腹に据えていきていきたいと思っています。◯◯にもかかわらず、わたしたちは、どうすることもできるのだと、信じていたいです。どんなまなざしでせかいをみつめるか、見たい見方でせかいを見つめていくことは、◯◯にもかかわらず、可能なのだと。◯◯には、いろんなことがあてはまります、少なくとも、わたしの場合はいくつかあります。それでも、です。

 目にみえるものではなく、心と心のやりとりにもどることのできる、人と人の力がいい形でめぐりあう、そしてなにか次のものがうまれていく、そういうことばを話す人になりたいし、ありたいです。やさしさとはなにか、これからも考えつづけていきます。だれも傷つかないことばなんてきっとないからこそ、だからなにも口にしないのではなく、覚悟も後悔もすべて引き受けてことばにすることを、そしてほんとうにそれが必要なときには黙ることを、していきたいと思っています。


mochida ancoroさんと表紙、挿絵のこと

 表紙と挿絵を描いてくださったのは、福岡にすんでいるmochida ancoroさん。もちださん、とお呼びすることにします。もちださんの絵には、ここnoteで出会いました。どんなにしあわせなときでも決してなくならない生きていく切なさや、いのちあることのよるべのなさというようなものをあたたかさで包んで描いているような、素朴でかざらない絵を好きでした。

 表紙の「少年」という絵について、はじめはまったく違う絵を候補に考えていました。ちいさなお皿のうえに食べかけの、さいごのひとくちのケーキがのっていて、お皿の縁に二本のフォークが添えてあります。ふたりでたべていること、どちらがさいごのカットをたべるのか、ふたりでそれを半分こするのか、そんな想像がふくらみます。色どりもきれいで、ぱっと目をひく赤が特徴の絵です。

 もうひとつ、淡いピンク色が貴重の、お菓子の絵も候補でした。ひとくちだけかじってある、銀紙に包まれた洋菓子。なぜたべものの絵なのかじぶんでも理由はなかったですが、やさしくてやわらかい雰囲気で、惹かれていました。でもなぜだか、しばらくしたら第三、四候補くらいであった白と黒の線で描かれた一見地味な少年の絵が、「やさしいせかい」という作品にはぴったりなのではないかという気がしてきました。このときもまだ、理由はわかりません。すこし時間をおいてあらためて考えても、少年の絵がいいと思い、これでとお願いしました。

 今こうして本という形になって、この少年が「やさしいせかい」の表紙にいてくれる意味のようなものが、分かりかけてきました。この本には「せかいはそこにくらす人びとの見方でできているし、またこわれもする」ということをじぶんなりの経験をとおして書いたつもりです。そして、だから、できるだけやさしい「まなざし」をもっていたい、と、つよく思います。

 少年のまなざしは、目の前のせかいをどんなふうにみているだろう。みていくだろう。その見方ひとつで、せかいはまったくべつものになる。そういうことを、うすうすは気づいていて、もしも今は気づいていなくても、きっとこの先どこかでわかる。そんなふうにふるえる瞳にみえてきて、この本の内容をしずかに引き受けてくれているような気がしました。

 挿絵も一枚、ここにいれたいという場所に、もちださんの絵でいれています。とてもすきな絵です。ぜひお手にとってみていただけたらうれしいです。



松井印刷さんのこと

 印刷・製本をお願いしたのは、くらしている鎌倉のちいさな印刷所、松井印刷さんです。自宅から歩いていける距離にあり、活版印刷所として1965年に開業されています。当時は江ノ電腰越駅前にお店があったそうです。そこから現在の西鎌倉に移って、住宅街にあるちいさな工房でしごとをされています。はじめて訪ねたとき、馴染みのないインクのツン、とした匂いに、これから本をつくるんだ、と背筋がほんの少しのびました。

 ふらりとおとずれた本づくりの初めてなわたしに、とても真摯に対応してくださいました。お忙しいなかで、なんどもやりとりをさせていただき、色見本や試し刷りのたびにわざわざ自宅まで届けて説明してくださったり、顔がみえる印刷所ならではのこまやかな心配りをしていただき、安心してお任せすることができました。

 納品の日、わたしのことを検索してくださったらしく、誕生日が一日ちがいでした、と言ってくださったのもうれしかった。わたしは誕生日フリークです。名前や顔は思い出せない人でも、誕生日を聞いていればぜったいにおぼえています。ひとりひとりに与えられた、単なる数字ですが、それを超えた表現をもつものが数字でもあると思い、なんだか好きなのです。しかも、松井さんは、同い年のでした。とてもご縁を感じました。

 さいごまでよくしていただき、注文数よりも多く刷れたからぜひ使ってくださいと余剰分までいただき、ほんとうにたすかりました。ネットプリントの会社も沢山あって便利ですが、はじめての本をくらす街、鎌倉の印刷屋さんにお願いすることができて、とても良かったです。



さいごに

 もちださんの表紙絵を気に入ってくださって買ってくださった人がいたり、書店さんに持っていっても、まず表紙がなんだかいいですよね、と言っていただくことが多いです。わたしひとりではけっしてできなかったです。今年の九月、今書かなくてはいけないと机に向かいつづけてできあがり、一冊の本に綴じられたものがとうにわたしを超えたものになっていて、とてもうれしく思っています。『やさしいせかい』が書店のみなさまをとおして読んでくださる人の手に渡り、この先もよい旅をしてくれることを、願っています。
 置いてくださっている書店さんはどこも素敵なところなので、ぜひ店頭でお手にとっていただけたらうれしいですが、遠方のかたや、足を運ぶことができない方はぜひオンラインショップからもお求めいただけたらと思います。どうぞよろしくお願いします。


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Megumi Sekine 関根 愛
お読みいただきありがとうございました。 日記やエッセイの内容をまとめて書籍化する予定です。 サポートいただいた金額はそのための費用にさせていただきます。