続・時代劇レヴュー㊲:麒麟がくる(2020年)、附・桶狭間(2021年)
タイトル:麒麟がくる
放送時期:2020年1月~2021年2月(全四十四回、6月~8月は休止)
放送局など:NHK
主演(役名):長谷川博己(明智光秀)
脚本:池端俊策、岩本真耶、前川洋一、河村瑞貴
NHKの所謂「大河ドラマ」の第五十九作で、明智光秀を主人公に、戦国時代の美濃、および畿内を舞台とした作品であり、物語は光秀の青年時代から始まり、本能寺の変が事実上のラストシーンである(その後の光秀の動向については、ナレーションで簡単に語られるだけで、その死の描写はない)。
1991年の大河ドラマ「太平記」を手掛けたヴェテランの池端俊策をメインライターに据え、ストーリーの骨子は池端によるものであるが、池端の年齢のせいか、彼自身が脚本を担当しているのは全四十四回のうちの三十七回(うち2回は共同脚本)で、残りの7回は岩本真耶、前川洋一、河村瑞貴が脚本を担当している(ただし、岩本は毎回「脚本協力」としてクレジット表記されているため、毎回何らかの形で脚本に関わっていたことがうかがえる)。
放送前の池端のインタビューによると、彼は「太平記」で室町幕府の草創期の物語を書いたため、いつか室町幕府の滅亡を書いてみたいと言う願望があったらしく、その思いが本作にも反映されていて、室町幕府末期と当該期の畿内の政局の描写に、かなり力が入っているのが特徴である。
そのため足利義輝、義昭が光秀に影響を与える重要人物として登場し、また従来ほとんどドラマに登場することのなかった三淵藤英や摂津晴門ら義昭の近臣や、三好長慶、松永久秀なども物語の主要人物として登場している。
個人的には、台詞はほとんどないとは言え、足利義栄と三好三人衆それぞれがちゃんと配役付きで登場した点はちょっと驚いたし、おそらく彼らがキャスティングされたドラマと言うのは、これまでほとんどなかったのではないだろうか。
他にも細川晴元や、朝倉家重臣の山崎吉家など、マニアックな人物も登場しているが、このうち細川晴元はせっかく著名俳優である国広富之をキャスティングした割にほとんど登場シーンがなかったのは、個人的にいささか残念であった。
この池端の関心が反映されたせいか、光秀が主人公であるにもかかわらず、物語は義昭追放までがメインであるかのような印象があり、義昭追放から本能寺の変まではわずか7話しかなく、やたらと駆け足で話が進む(光秀が関わった丹波攻めはほぼカットであった)。
この他、脚本の特徴としては、これも放送前に池端が語っていたように、比較的近年の研究を反映した描写が多い点が挙げられよう。
とりわけ、斎藤道三周辺についてはそれが顕著で、斎藤道三(序盤は「利政」)の所謂「国盗り」を父子二代とする説で描いたのは、管見の限り映像作品では本作が初と思われる。
また、斎藤義龍についても、義龍は彼が一色氏に改姓した際に名乗ったものであることを踏まえて、終始「高政」と称している(ただし、高政は道三を討った後に名乗ったもので、より厳密には名乗りは「利尚」とすべきであろうが)。
他にも、土岐頼芸を現在では主流の「よりのり」読みを採用したり、濃姫(作中では終始「帰蝶」と称す。なお、帰蝶もまた濃姫と同様に後世に創作された名前であるため、織田信長夫人となったこの女性の本名は不明である)が最初土岐頼充に嫁いで、信長とは二度目の結婚であるとする説を採用するなど、序盤の描写については意欲的なものが目立った。
反面、前述の「高政」の件であったり、斎藤道三が「左近大夫」を称しているはずの時期から「山城守」を称していたりするなど、単純なミスもあった。
女性が座る際に立膝であるのも、当時の風俗を反映したものであり、これを採用したのも、戦国時代を舞台とした大河ドラマでは初めての事例ではないだろうか。
人物の描き方で特に評価したいのが、松永久秀を従来型の悪辣な人物に描かず、また義昭を、これまた従来型の陰謀マニアの暗愚な人物に描かなかったと言う二点であり、久秀役の吉田鋼太郎、義昭役の滝藤賢一の好演もあって、両者は非常に奥行きのある人物像になっており、このあたりはヴェテラン・池端俊策の面目躍如であろう。
池端の当初の狙いのせいか、追放後の義昭の影響力についてもちゃんと描かれており(池端の言う「室町幕府の滅亡」を描くと言うのには、あるいは所謂「鞆幕府」を描くと言うことも含まれているのかも知れないが)、義昭の台詞で語られるだけとは言え、毛利氏が麾下の国衆に対して支配力を行使するために義昭の権威を利用したと言うことが描かれていたのも良かったと思う。
一方で、織田信長の描き方については、池端は従来とは異なる信長像を打ち出すと予告していたものの、こちらは序盤はともかく、中盤以降は「いつも通り」の信長になってしまった印象があり(確かに承認欲求の強い信長は従来にない人物像かも知れないが、神仏を信じないとか、大筋ではステレオタイプのキャラクタだった感が否めない)、演じる染谷将太が意欲的なキャスティングだっただけに、その点は個人的にはやや不満が残った。
これは全くの個人的な願望になってしまうが、一度くらい保守的で常識人の信長を見たいものである(「時代劇レヴュー⑰」で取り上げた1992年の大河ドラマ「信長」の信長像が、それにやや近いものであったが)。
また、本能寺の変の原因が、(時代考証が小和田哲男の時点で予想出来たとは言え)「信長非道阻止説」だったのも物足りないが、これについては光秀が主人公であるため、野望説では視聴者の共感を得られないと言う点を考慮すれば仕方ないだろうか。
ただ、「非道」の一つとして登場した正親町天皇に譲位を迫ったと言う描写は、現在の研究ではむしろ譲位したがっていたのは正親町天皇の方であることが明らかになっているので(中世においては、むしろ天皇が譲位しない方が異常であった)、それ以外の部分では近年の研究を反映しているだけに、「非道阻止説」に持っていくための強引な解釈と言う感があって、この点もいささか残念であった。
と言うか、これも個人的な好みかも知れないが、結果的にあまり本筋に意味をなさなかった朝廷の描写に時間とキャストを割くくらいなら、丹波攻めに時間を割いて欲しかったようにも思う。
話しついでに、もう少しだけ脚本の問題点を書けば、周囲の人間が叙任後も光秀のことを終始仮名の「十兵衛」で読んでいるのはいささか違和感があったし、光秀が主人公なのであるから、彼が「惟任日向守」を称したことについて一言くらい触れても良かったのではないだろうか(「明智日向守」と呼ばれたことは一度だけあったが)。
信長が光秀を「十兵衛」と呼ぶのは、秀吉に対して「猿」と呼びかけるのと一緒で、一種の親しみの表現と言えなくもないが、他の人物(特に目下の者)が叙任後に「十兵衛」呼びを続けるのは却って失礼であろう。
逆に、放送終了前からSNSなどで視聴者から上がっていた、後半の展開がやたらと早いことへの不満については、私自身は事前に池端の意図(前述の「室町幕府の滅亡」を描きたいと言うもの)を理解していたので特に違和感は感じなかった(穿った見方をすれば、ひょっとしたら池端は義昭追放後の話にはあまり興味なかったりして 笑)。
また、同じくSNSなどで上がっていた架空の人物の出番がやたら多いと言う不満も、確かにその通りではあるが、これは当初の予定と撮影の事情が異なってしまったであろうことと(本作は2020年3月以降の「新型コロナウイルス」蔓延の影響を受けて、撮影の一時休止を余儀なくされており、再開後も撮影に大幅な制限が生じてしまったと思われる)、前述の「太平記」でも原作に登場しない架空の人物を結構登場させているように、池端自身が架空の人物を使いたがる傾向にあると思われるから、この点はある種の「ないものねだり」であろう。
むしろ私自身は、「太平記」に比べると途中で置き去りにされた架空の人物がほとんどいなかったから、その点は一貫性がある(?)ように感じた。
キャストについては言えば、主演の長谷川博己は文句ない好演で、有能で思慮深い光秀を完全にものにしていたと思う。
主人公だからと言ってスーパーマンになってしまうのではなく、必要以上に光秀が目立ち過ぎない所も個人的には好印象であったし、脚本の描き方とともに長谷川の演技力も、こうした光秀像を印象づけるのに大きな効果を果たしていたように思える。
個人的に、本作のキャストベスト3は、前述の吉田鋼太郎、滝藤賢一、そして斎藤道三を熱演してドラマの序盤を大いに盛り上げた本木雅弘で、本木の道三の存在感は他を圧する見事さだったように思う。
いま一人、目を引いたのは光秀の腹心・明智秀満(作中では「明智左馬助」)を演じた間宮祥太朗で、私は彼を本作で初めて知ったのであるが、時代劇映えする風貌で、また時代劇で見てみたいと思える俳優であった。
女優陣で存在感を放っていたのが濃姫役の川口春奈で、当初濃姫役に予定されていた沢尻エリカの逮捕・降板を受けての急な起用であったが、それを感じさせない、終始見る側を魅了する精度の高い演技だったと思う。
もっとも、個人的に女優陣で一番好きだったのは光秀夫人を演じた木村文乃で、理知的で奥ゆかしい雰囲気が光秀夫人にはまっていた(もっとも、史実での夫人のパーソナリティはほとんどわからないのであるが)。
他にも、「太平記」でインパクトのある演技を見せた片岡鶴太郎と陣内孝則が、本作でも起用されているのは、「太平記」ファンとしてはちょっとにやりとする面白いキャスティングである。
細かい部分では不満もあるが、どちらかと言えばそれは些末なことであって、ドラマとしては頗る面白く、2010年以降の大河ドラマの中では文句なくナンバー1の秀作であろう。
個人的な意見であるが、本作の魅力は、明智光秀と言う大河ドラマでは何度となく登場してきた著名な人物を主人公としながら、最末期の幕府と畿内の政局、そして戦国時代の美濃と言う従来取り上げられなかった描写を中心に据えたと言う意欲的な試みにあるように思われ、その点でライトな歴史ファンもマニアックな歴史ファンも、ともに満足出来る仕上がりになっていた。
ところで、本作と似たような題材を扱い、かつほぼ同時期(2021年3月末)に放送されたのが、フジテレビのドラマ「桶狭間〜織田信長 覇王の誕生〜」である。
これは、十一代目市川海老蔵の十三代目市川團十郎白猿襲名を記念して製作された作品で、当初の予定では2020年の夏に放送予定であったので(海老蔵の襲名延期に伴って放送も延期された)、それが実現していればまさに「麒麟がくる」と同時期の放送であった(しかも、海老蔵は「麒麟がくる」ではナレーションを担当していた)。
タイトルの通り、織田信長を主人公に桶狭間の戦いを描いたものであり、信長役を海老蔵が、今川義元を三上博史が演じ、大森寿美男が脚本を担当している。
民放が製作した単発の時代劇としては精度が高く、物語もほぼ史実通りに展開し(登場人物の名前も、織田信行ではなく「信勝」、林通勝ではなく「秀貞」と正確であった)、この手のドラマにありがちな風俗考証のいい加減さもあまりなかったように思う(例えば、登場する武将は概ね戦国期の具足を模した甲冑をつけており、源平合戦のような大鎧をつけるようなミスは見られなかった。ただ、信長の子飼いの軍団的な性格を持つ「津島衆」は、オリジナリティを出したかったのか、ちょっと時代劇離れした風体で描かれている)。
信長の人物像は古典的な「天才」キャラクタであるが、敵対する今川義元はありがちな暗愚なキャラではなく、軍略に長けた切れ者として描いており、その点は好印象であった(かつて大森寿美男が脚本を手掛けた2007年の大河ドラマ「風林火山」でも、義元は比較的格好良く描かれていた)。
桶狭間の今川軍を攻撃するのに際して、信長が軍勢を二手に分ける説を採用していたり、最後は信長と義元が一騎打ちをするなど、ドラマを盛り上げるためと思しい創作(一応、双方向攻撃説を主張する研究者もいるが)はあるものの、合戦の過程は丁寧に描かれていたり(佐々隼人と千秋季忠が功を焦って玉砕する描写など)や、テレビドラマでは珍しく義元が毛利新介の指を噛みちぎる描写もちゃんとあったりして、細部はよく出来ている。
一方で、斎藤道三は一代で美濃を奪取したとする従来説を採用しているなど、情報は古い部分もあったが、堀田道空を道三の家臣ではなく、織田・斎藤に両属しているような津島の土豪として描くなど、見るべき独自設定もあった。
私は「麒麟がくる」を視聴し終わった直後に本作を見たために、どうしてもキャストを比較しながら見てしまったが、こちらはこちらでそれなりにどのキャストもよくはまっていて、特に時代劇初挑戦で濃姫を演じた広瀬すずが、意外にも時代劇映えしていてちょっとびっくりした(笑)。
後、これは作品の質とは直接関係ないが、物語は信長が桶狭間に向けて出陣する所から始まり、合戦が進む合間にそれまでの信長のエピソード(道三との正徳寺の会見であったり、弟・信勝との確執であったり)が濃姫や側近達の回想の形で挟まり、そのために話が行ったり来たりするので、若干のわかりにくさがあったかも知れない(テレビ時代劇では、従来あまりこうした手法が取られることがないので、そう感じたのかも知れないが)。
実は、視聴前は正直たいして期待していなかったのであるが(笑)、良い意味で期待を裏切る作品であったと思う。
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