生き方
生きるのが苦しい時、
寂しい時、どうやって生きる?
自分は何のために生きているのだろう
何のために産まれてきたのだろう
誰も私のことなんて必要としていない
自分の存在価値が今の私には分からない
生きていても苦しいだけ
苦しむのももう疲れちゃった
何も楽しくない
笑っているのは、全部取り繕いの社交辞令
何のために笑ってるのかも分からなくなる
何も楽しくない
だけど、今はきっと“そういう時期”
“そう考えてしまう時期”
だから寂しさから乗り越えられる時もきっと来る
だから今は時の流れに身をまかせて、
ゆっくり安全を守るしか自分にできることはない
“無事に安全に”が私たちのモットー
解離してしまうこともあるけど、できる限り体を守れるように努めたい
倒れる心配があるなら、まずどこにもいかないetc.
でも大きな心配に囲まれすぎると、
その時の自分にできることが何もなくなる
無気力は無価値感にも繋がる
何もできてない自分、何もしていない自分、
そんな自分に悲しくなる
だけど、今の私にはそんな自分を許す作業が必要
休むことも頑張っていると言いたい
でもそんなことを頑張りと言っていいのだろうか
それでも、結論として、今の私は休むことも勇気のいる大事な作業だと思ってる
生きることはこんなにも大変で苦しい
死にたくなって飛び降りたくなって、飛び降りた過去が羨ましくて、思い出してしまうこともあるけど、その過去に私はもう戻るつもりはない
私はこれから先自分で死ぬことなく生きていきたい
でも、それって壮絶 過酷 悲惨 絶望……
それだけ生きることは大変な作業
こんなに大変なことはこの世にないよ……
そんな人生を捨てずに生きるって、本当にすごいこと。そんなことで褒めるな…と他人から言われてしまったら、落ち込むし悲しくなるし 言い返せる言葉もないけど、、、私はそう思いたい。
壮絶 過酷 悲惨 絶望的な人生を捨てずに生きようと思えるのは、人との出会いがあったから。
親に自分の意思すら頼って生きてきた私だったけど、今回の長期入院で親のためじゃなく、自分のために生きていいことを知った。
親以外の大人が自分の周りにいたことを知った。
医療関係者だけでなく、他にもたくさんの出会いがあった。人との繋がりを大事にしたいと思った。
助けてくれた人には生きて恩を返したい。
死なないと決めた今、未来に向けてやりたいことはたくさんある。楽しみもある。
だからこそ生きる理由が分からなくなってしまった時は、“明けない夜はない”と信じて待つことが必要だと思ってる。
気分の波、体調の波は毎日激しいけど……
激しいということは、上がる時もある。
上がると言っても普通の人がプラスに行くところ、私はやっと高くて±0くらいだと思う。
それでも良い。
生きていればいつかもっと生きやすくなると思う。
ここまで来たら焦る理由もない。
(本当は焦る気持ちもあるけど、抑えたい)
だから今は光がさすのをゆっくり待ちたい。