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ベルギー旅)ワーテルロー)ナポレオン巡る2つの歴史館
ナポレオン最後の戦いが、ワーテルローの戦いです。エルバ島を脱出したナポレオンが再起をかけて、イギリス・プロイセンなどの連合軍と対決しました。
現場を訪れると、親ナポレオンと反ナポレオンの2つの歴史博物館があり、いまだにナポレオンを巡る対立を感じることができました。
ブリュッセルからバスで1時間のワーテルロー
ベルギーの首都からバスで1時間でワーテルローがあります。ライオンの丘という小高い場所から、かつての古戦場を一望できます。
自分がウェリントン将軍率いる連合軍のつもりで、向こうから迫るナポレオン率いるフランス軍に対峙する気持ちを味わえます。
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ベルギーは小麦の栽培が広がる畑作地帯が広がります。山がちで大軍を運用できる戦場が限られる日本とは異なり、大陸欧州のこのあたりの地域では大軍の移動が容易で、地形の制約に縛られにくいのではと感じます。
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フラマン語とワロン語の境界線が存在
興味深いのは、ブリュッセルを超えてワーテルローに向かうまで、フラマン語とワロン語の境界線があることです。
フラマン語はオランダ語系、ワロン語はフランス語系。東部にわずかに存在するドイツ語圏も含めて、ベルギーはこうした3言語の地位が集まった共同体です。
フラマン語を話すフランダース人のベルギー独立がささやかれるほど、またベルギー人がベルギーを意識するのはワールドカップの時だけだという冗談があるほど、ベルギーの文化分裂は大きなものです。
このワーテルローの地域は極めてフランスに近く、歴史的にもフランスとのつながりがあります。
超ナポレオン推し歴史博物館!
このフランスとのつながりを感じられるのが、ワーテルローにある超ナポレオン推しの歴史博物館です。ナポレオンの活躍をシアターやジオラマで堪能できる、かなりモダンな空間です。
Domaine de la bataille de Waterloo 1815 - Site officiel
私はこの博物館に既視感がありました。それは関ヶ原の岐阜関ヶ原古戦場記念館です。こちらもかなり新しい記念館で、関ヶ原の戦いをシアターやジオラマで体感し、戦場を一望できるものです。
調べてみると、関ヶ原とワーテルローは天下を分けた古戦場つながりで姉妹都市を結んでいるとのこと(おそらく関ヶ原側から申し込んでいるのでしょうが)。
ワーテルローを参考にした博物館づくりをしたのではと私はにらんでいます。
【公式】岐阜関ケ原古戦場記念館|関ケ原の戦いを五感で体験|岐阜県 (gifu.lg.jp)
お土産コーナーではナポレオングッズやボードゲームでいっぱいです。
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連合軍押しの歴史博物館も!
面白いのが、ワーテルローの戦いに関する歴史博物館はもうひとつあることです。連合軍を率いたイギリスのウェリントン将軍の名前を冠した「ウェリントンミュージアム」です。
これはワーテルローからやや北、よりフラマン語地域に近いところにあります。
Wellington Museum | Waterloo Tourisme (waterloo-tourisme.com)
ナポレオンは改革者か侵略者か
ナポレオンは改革者なのか侵略者なのか、現在でも評価は割れています。この考え方の違いの一端を、ワーテルローの現地を訪れることでさらに感じることができました。