世界史の現場探訪/英国駐在@えのもと

はじめまして、お越しくださりありがとうございます! 欧州を中心に世界史の現場を訪れてい…

世界史の現場探訪/英国駐在@えのもと

はじめまして、お越しくださりありがとうございます! 欧州を中心に世界史の現場を訪れています。高校時代に世界史が大好きだった自分のような学生さんや、元学生さんがロマンを感じる記事を書きたいと思っています。

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【自己紹介】世界史の現場探訪/英国駐在@えのもと

はじめまして、えのもとと申します。英国駐在中の会社員です。欧州を「中心に世界史の現場を訪れています。 高校時代に世界史が大好きだった自分のような学生さんや学生さんだった方がロマンを感じる記事を書くのが目標です。現場を訪れたからこそわかったことや考えたことを盛り込みます。 どうかよろしくお願いします! これまでの記事一覧を、国別にご紹介します。↓↓↓ 【イギリス】 【フランス】 【ハンガリー】 【ギリシャ】 【ポルトガル】 【オランダ】 【ベルギー】 【ソ

    • アブダビ旅)UAEの首都・イスラムと石油と未来都市の高度な共存

      前回のドバイに続いて、同じアラブ首長国連邦(UAE)の首都があるアブダビを訪れました。イスラム教とオイルマネー、未来都市が高度に共存している姿を感じることができました。 UAEの首都アブダビは大統領も輩出アブダビという言葉はドバイよりも聞き馴染みはないかもしれません。それでもこの地域におけるアブダビの力は大きいです。 例えばアブダビを支配しているハリーファ家。ドバイで有名な高層タワー「ブルジュ・ハリファ」のハリファはこのハリーファ家から来ています。リーマン・ショック後にド

      • ドバイ旅②未来都市とイスラム教の奇妙な融合と努力

        前回の記事では、ドバイの都市化が始まったのがわずか200年前と歴史は浅く、あらに主要産業であった海賊も天然真珠の漁業も消失したことを書きました。ここから現在の未来都市に向けて、どのような発展がなされるのでしょうか? ドバイの大型浚渫工事 ドバイで1960年ごろから始められたのが、ドバイの入江の浚渫工事でした。クウェートからの借入によって資金を手に入れて、大型船が泊まれるような貿易の拠点としての整備を進めました。 そして石油資源を手に入れる! そしてなんといってもドバイ

        • ドバイ旅)真珠のミキモトの罪、海の民と歴史なき未来都市

          アラブ首長国連邦(UAE)のドバイを訪れています。これでもか!という未来都市の姿に思わず興奮がとまりません。もっとも歴史をひもとくと、海の民に支えられたドバイの都市としての成り立ちが非常に若いこと、さらに真珠のミキモトが実はドバイの産業を壊滅させたという日本との関わりがあります。 まるで画像生成AIが作成したかのような街並み 冒頭の写真は、ドバイのシンボル「ブルジュ・ハリファ」から撮影したものです。高層タワーに大型の立体交差に、、まるで画像生成AIが作成したかのような街並

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        • イギリス旅・世界史現場探訪
          15本
        • フランス旅・世界史現場探訪
          4本
        • ハンガリー旅・世界史現場探訪
          5本

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          イギリス旅)グリニッジ④こうしてグリニッジは本初子午線の街になった

          前回の記事では、航海の海上で自船の東西の位置(=経度)を見つけるために、グリニッジで正確な時計が開発されたことをお伝えしました。それでは、どうしてグリニッジが経度0度が通る本初子午線の街になったのでしょうか? 1884年のワシントン会議 グリニッジが経度0度が通る本初子午線の街となったのが、1884年にアメリカのワシントンで開かれた会議です。選ばれたのは2つの理由からです。 ひとつは、これまでの記事でお話ししたように、グリニッジが海上の位置を把握するために天体観測や時計

          イギリス旅)グリニッジ④こうしてグリニッジは本初子午線の街になった

          イギリス旅)グリニッジ③海上でも正確に動く時計を発明して経度を割り出そう!

          世界の経度0度を示す本初子午線の存在で有名なグリニッジを訪れています。前回の記事では、航海の海上では自船の東西の位置(=経度)を見つけるのが困難で、グリニッジの天体観測で見つけようという試みが挫折したことをお伝えしました。ここでもう一つの試みがなされます。 時計の博物館となっているグリニッジ天文台 グリニッジ天文台を訪れると、時計の博物館となっているのがわかります。冒頭の写真は天文台の中庭にある日時計で、2頭のイルカの尾ひれの影が現在の時刻を示しています。なぜこの天文台に

          イギリス旅)グリニッジ③海上でも正確に動く時計を発明して経度を割り出そう!

          イギリス旅)グリニッジ②天体観測で経度を割りだせるのか(割りだせない)

          世界の経度0度を示す本初子午線の存在で有名なグリニッジを訪れています。前回の記事では、航海の海上では自船の東西の位置(=経度)を見つけるのが困難なこと、グリニッジの天体観測でそれを見つけようという試みが始まったことをお伝えしました。さてその試みは成功するのでしょうか(成功しない) 王宮の街、グリニッジ そもそもグリニッジは王室とゆかりのある地でした。テューダー朝のヘンリ8世、その2番目の妻との子であるエリザベス1世が生まれたのもグリニッジです。 冒頭の画像の真ん中にある

          イギリス旅)グリニッジ②天体観測で経度を割りだせるのか(割りだせない)

          イギリス旅)グリニッジ)なぜ天文台と本初子午線の街になったのか?

          ロンドンの街、グリニッジを訪れています。グリニッジ天文台と、世界の経度0度を示す本初子午線の存在で有名な街です。なぜグリニッジはこうした街になったのか、街を歩きながら探訪しました。 本初子午線の街グリニッジ! グリニッジを訪れてまずやりたいことは、本初子午線の上で写真をとることですよね。タイトルの写真がまさに本初子午線です。右に一歩踏み出せば東経、左に一歩踏み出せば西経、そして両足を開いて踏ん張れば、世界の東と西を股にかけることができる・・、楽しいです。 実際の本初子午

          イギリス旅)グリニッジ)なぜ天文台と本初子午線の街になったのか?

          ドイツ旅)フランクフルト⑤第二次世界大戦で歴史的建造物を失った街

          前回までの記事では、いかにフランクフルトが神聖ローマ帝国とゆかりが深く、ゲーテをはじめとした近代ドイツ語を生み出した街かということを書きました。ただ多くの歴史的建造物は第二次世界大戦で破壊され、東京のように近代的建造物がいまは並んでいます。 まるで東京のような街 フランクフルトを歩いた印象は、実は「東京と似ている」というようなものです。冒頭の写真は欧州中央銀行(ECB)本部です。フランクフルトにあり金融都市の存在感を示しますが、建物はガラス張りの近代的なビルです。 街を

          ドイツ旅)フランクフルト⑤第二次世界大戦で歴史的建造物を失った街

          ドイツ旅)フランクフルト④近代ドイツ語の父ゲーテ

          前回からフランクフルトのゲーテの家「ゲーテハウス」を訪れています。ゲーテはどうして近代ドイツ語の父と言われるのか、その歴史についてひもといていきます。 若きウェルテルの悩み 前回の記事で紹介したように、ぐんぐんと教養を身につけたゲーテが20代半ばで書いたのが小説「若きウェルテルの悩み」です。自らの恋愛と友人の自殺経験に基づいてドイツ語で書かれたこの小説はたちまちベストセラーとなりフランス語、英語、イタリア語にまで翻訳されます。 ドイツ文学界はこうした悩みを抱える若者を主

          ドイツ旅)フランクフルト④近代ドイツ語の父ゲーテ

          ドイツ旅)フランクフルト③ゲーテが住んだ家とその少年時代

          フランクフルト出身の有名なドイツ人といえばゲーテです。ゲーテが住んだ家を訪れて、その少年時代に思いをはせました。 日本人にも人気な「ゲーテハウス」 ゲーテが住んだ家は「ゲーテハウス」として、当時の住まいが保存されており、解説付きの博物館となっています。中には日本人向けの日本語パンフレットもありました。こういったことはヨーロッパではなかなか珍しいです。観光客の何人かも日本人でした。日本での人気の高さがうかがえます。 14歳で神聖ローマ皇帝の戴冠式を目撃 フランクフルトは

          ドイツ旅)フランクフルト③ゲーテが住んだ家とその少年時代

          ドイツ旅)フランクフルト②国民議会設立で「ドイツ国民」を育んだ街

          フランクフルトを訪れています。前回は、神聖ローマ帝国とともに歩み、皇帝の選挙と戴冠の地として紹介しました。国民議会を初めとしたドイツ国民を育んだ街としての顔について巡っていきます。 ナポレオンの衝撃 神聖ローマ帝国は、そもそもが分権的な「国家」でした。ウエストファリア条約で各国の主権が認められ、ナポレオンのドイツ占領と圧迫の下で帝国の消滅が宣言されました。 一方でナポレオンの衝撃はかえって、ドイツ人のナショナリズムを育てて統一国家を建設しようとの機運が生まれます。解放戦

          ドイツ旅)フランクフルト②国民議会設立で「ドイツ国民」を育んだ街

          ドイツ旅)フランクフルト)神聖ローマ帝国とともに歩んだ街

          ドイツ南部のフランクフルトを訪れました。神聖ローマ帝国の起源、フランク王国の宮廷があり、皇帝の選挙と戴冠式の地であり、ドイツ国民のナショナリズムが結実した国民議会の地であります。帝国とともに歩んだ街の現場を巡りました。 神聖ローマ帝国の「聖地」 フランクフルトは神聖ローマ帝国の聖地といってもよい場所です。 そもそもフランクフルトが歴史に現れるのは749年のフランク王国カール大帝の文書です。かつてローマ人がマイン川沿いに防衛拠点を築き、やがて大帝の宮廷が置かれます。 カ

          ドイツ旅)フランクフルト)神聖ローマ帝国とともに歩んだ街

          イギリス旅)ブレナヴォン②産業革命を 支えた製鉄の跡

          ウェールズ南部の産業革命遺産の街、ブレナヴォンを訪れました。前回は炭鉱跡を巡りましたが、今回は製鉄所。イギリスの鉄道の時代を生み出した舞台装置を間近に見ることができました。 ダービー父子によるコークス製鉄法 産業革命の製鉄法の一つの革新は、燃料を木炭から石炭に変えたことです。木炭はかねて製鉄に使われていました。しかしあまりにも大量に消費せざるを得ないのでイギリスの森林は切り倒され、木炭は枯渇するという事態になりました。 ここで石炭を燃料として使うことを発明したのがダービ

          イギリス旅)ブレナヴォン②産業革命を 支えた製鉄の跡

          イギリス旅)ブレナヴォン)ラピュタのモデルの産業革命遺産と炭鉱のカナリア

          英ウェールズ南部の町、ブレナヴォンを訪れました。ラピュタのモデルとなった廃炭鉱があり、危機を察知する比喩として使われる「炭鉱のカナリア」の存在を間近に感じることができました。 産業革命遺産の町、ブレナヴォン ブレナヴォンは、18~19世紀の産業革命を代表する史跡として、地域一帯が世界遺産として登録されている町です。かつては石炭を採掘する炭鉱と製鉄所で栄えました。 1980年の廃坑で町は活気を失いましたが、跡地には「ウェールズ国立石炭博物館」が開かれました。かつて使われた

          イギリス旅)ブレナヴォン)ラピュタのモデルの産業革命遺産と炭鉱のカナリア

          イギリス旅)ブリストル②鉄製吊り橋に鉄道に、産業革命が生んだ天才ブルネルを辿る

          イングランド西部の街、ブリストルを訪れました。19世紀の「イーロン・マスク」と呼ばれる起業家、ブルネルが生み出した鉄製吊り橋や鉄道といった足跡を辿ることができました。 現存する世界最古の鉄製吊り橋「クリフトン」 ブリストルの街のシンボルとなっているのが、現存する最古の鉄製吊り橋「クリフトン・サスペンションブリッジ」です。この吊り橋を設計したのは、またもやブルネルです。 橋の下にの深い谷底にはエイボン川が流れ、荒れた山肌が見える断崖絶壁となっています。 ここに鉄製の橋を

          イギリス旅)ブリストル②鉄製吊り橋に鉄道に、産業革命が生んだ天才ブルネルを辿る