女性だから、男性だから、なんて枠を飛び出す勇気がほしい
セクシュアリティについて、考えることがある。
女性だから、男性だから、と性別によって当たり前のように区分されたり、あたかも常識であるかのように決めつけられたりする風習が、いつからか苦手になった。
たぶん、発端は小学6年生の誕生日。クラスの友だちが誕生日プレゼントとして「ディズニープリンセスのジャスミン」のピンバッジを贈ってくれたときから、違和感は始まっていた。
小学生のわたしは、「ありがとう」と受け取りながら、首を傾げた。どうしてジャスミンのピンバッジをプレゼントしてくれたのだろう、と。
わたしは特別ディズニーキャラクターが好きなわけではなかった。嫌いなわけでもないけれど、ディズニーよりも「こげぱん」とか「リラックマ」 とか、ほんわかしたキャラクターの方が好みだった。
家族でディズニーランドに行くことはしばしばあっても、グッズを身につける機会はほとんどなかったし、プレゼントに選んでもらうほどディズニーが好きだと友だちに話したこともなかったはずだ。
「ピンバッジありがとう!あの、なんでジャスミンをプレゼントしてくれたの?」
「なんとなく!ディズニー好きそうだったから」
「え、そう?好きそう?」
「うん、雰囲気的に好きそうだな〜って」
雰囲気的に好きって、どういうこと?
見た目とか、服装とか、話し方とか、行動とか、目で見える何らかの情報から「好きそう」って判断したってこと?
本人が「好きかどうか」を確認したわけでもなく、なんとなくディズニーが好きそうだって決めつけたってこと……?
「そうなんだ、ありがと」
「うん!誕生日おめでとー!」
友だちに悪気がないことは、分かってる。むしろ、何が好きなのか想像して考えてくれた結果のプレゼントだ。その気持ちはとても嬉しい。
でも、だけど、なんだろう。このモヤモヤは。
自分が全く関心を寄せていなかったものを、他人が勝手に関心があると決めつけて、押し付けてくることがあるのか……。
友だちは決して悪くない。悪くないのだけれど、そのピンバッジを大切にすることは、できなかった。
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高校生になると、グループ行動を求められるようになった。女子特有のグループ活動だ。はじめに仲良くなったメンバーで必ず休み時間を共に過ごし、一緒にお昼を食べ、一緒にトイレに行く。
わたしは、それがどうも苦手だった。
友だちといるのは楽しい。けれど、たまには一人で休み時間を過ごしたいし、他の子とも仲良くなりたい。大体、トイレには一人で行くことができる。
なのに、"当たり前"を乱すと途端に、奇異な目で見られてしまうのだ。
どうして、自由が許されないのだろう。
暗黙の了解によって蔓延る"当たり前"のルールが、3年間ずっと苦手で苦手で、仕方がなかった。
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社会人になると、いわゆる"女性だから"というレッテルによるパワハラを受けることが度々あった。
「女はいいよね。仕事を頑張らなくったって、どうせ結婚するんだから」
どうして女性は、仕事を頑張らなくてもいいのか。
どうして結婚することが当たり前なのか。
どうして結婚したら、仕事を辞める前提なのか。
面と向かって言ってきた先輩社員に対して、わたしは何を言われているのか分からなくて、言葉を返すことができなかった。
それに女性は、仕事上の容姿も気にしなければならなかった。
「せめて2〜3cmヒールの靴を履いてきてもらえる?あ、でも高すぎるピンヒールはちょっと……。ミュールサンダルも禁止ね」
どうして女性は、ヒールのあるパンプスやアンクルストラップの付いたサンダルを履かないといけないのだろう。
歩きやすいスニーカーが好きなわたしにとって、会社ではパンプスを履かなければならないルールが、よく分からなかった。規則で決められているわけでもないのに(決められていたらなお、窮屈だけれど)、先輩社員がつくった文化を踏襲しなければならない空気がよく分からなかった。
社会人は、足元さえも、女性らしさを体現しないといけないのだろうか。
「ねえ、化粧してる?」
「してるよ!ファンデとリップ」
「いや、ほぼスッピンじゃん……」
どうして女性は、化粧をしなくちゃいけないんだろう。コスメにほとほと興味のないわたしにとって、毎日メイクして出勤しなければならないのが、面倒くさくて仕方がなかった。
周囲から変な目で見られないためだけに、ファンデとリップだけ適当に塗って過ごす日々。しかし、それでも化粧の有無を聞かれることが多々あって、その度に「女性のマナー=化粧」という方程式に首を傾げるばかりだった。
容姿への気遣いは、まだまだ止まらない。女性は、夏になるととくに身体の清潔さを求められるようになった。
「毛の処理してよ……」
「あ、忘れてた。ごめん」
どうして女性は、体の毛の処理をしなければならないのだろう。たしかに不潔な状態になってしまうのは、見ていて気持ち良くない、とは思う。男性だって髭を整える方は多いし、そのおかげでスマートな印象に見えたり、ダンディな印象に見えて、魅力がグーンとUPする方も多いと思う。
女性も脇を筆頭に、素肌が見えやすい腕や足を綺麗に整える方は多い。わたしも、お金をかけて全身脱毛をしたくらいだ。日々の手入れが面倒だから、という気持ちで通っていたけれど、でも「毛が生えている=汚い」では、ないよな〜と思う。
事実、高校1年生の頃、友だちに「え、腕の毛剃ってないんだ……」とドン引きされるまでは、毛を処理するなんて発想を微塵も持っていなかった。
そんな風に、大人になるにつれて、社会に蔓延る"当たり前"や"普通"というレッテルの上に成り立つ"決めつけ"に、窮屈さを感じることが増えていった。
なかでもセクシュアリティをより考えるきっかけになったことが、「結婚」「出産」に関するテーマだ。
女性は、ウェディングドレスを着たいもの。華やかな結婚式を挙げたいもの。子どもが好きで、子どもを産みたいと願っているものであるーーという固定観念に悩まされた。
「結婚式は挙げない」 と言うと、悲しがる家族や友人がいた。結婚式を挙げないなんて、あり得ない、どうして、と異端者を見るように感情をぶつけられた。
「子どもは欲しいか分からない」と言うと、そんな女の人いるんだ、と心無い言葉を無意識で放ってくる友人もいた。
あれ、わたしっておかしいのかな。この気持ちは、常識から逸脱したものなのかな。
何かを言われる度に考えて、けれど具体的な結論は出ないまま、不安はふわっと宙に浮いて溜まり続けた。
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そんな日々を過ごすなか、転職した先で、パートナーと暮らす先輩と出逢った。
「パートナーと一緒に住んでるんだ〜」と教えてくれたその先輩に、わたしは「そうなんだ〜」と言葉を返した。
わたしはその先輩と仕事をする機会が多くて、かなり面倒を見てもらったし、仲良くさせてもらっていた。わたしは先輩のことが人として、とても好きだったし、尊敬もしていた。
けれど、たまに他の社員から、先輩の志向について聞かれることがあった。
「ねえ、あの先輩って、そっち系なの?」
そっち系って、なに……?
「今度、ラグジュアリーの取材があるんだけどさ、あの先輩も来てくれないかな〜」
「どうして?」
「ほら、新しい視点で商品を紹介できると良さそうじゃん」
新しい視点って、なに……?
先輩を取り巻く環境には、わたしが経験する以上に、そしてわたしの想像が及ばない範囲でも、たくさんの固定観念があるのかもしれない、と感じた。
けれど、それらの海に投げ出されながらも、先輩は何の気もしていないように、ゆらりゆらりと波を漂う。のらりくらりと言葉を躱して進んでいく。そんな先輩に、わたしは何をすることもできなかった。
もしかしたら何も望んでいなかったのかもしれないけれど、それを聞いてみることさえ、わたしにはできなかった。
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社会に蔓延る固定観念は、無意識の間に、誰かを苦しめたり、傷つけたりしているのかもしれない。
「知っていないと」、自分でも知らないうちに言葉のナイフを振るってしまうかもしれない。
「知っていないと」、どうたち振る舞えば良いのか分からず、大切な人を守りたいときに動けなくなってしまう。
「知らないといけない」、と強く思った。自分を守るため、大切な人を守るため、そして自由に生きていくために、知らないといけないんだ。
それに、きっとわたしにだって、自分では気づけていない固定観念があるに違いない。そして無知な故に、誰かを傷つけてしまっていることもあるかもしれない。
「知らない」、は怖い。
今見えていないものを見えるようになりたいーー。
そう思いを募らせるなか、ふとInstagramを眺めていたときに出合ったメディアがある。
それは、ダイバーシティやジェンダー平等などに関するコンテンツを配信するマンガメディア「PALETTALK(パレットトーク)」だ。
すでにInstagramの投稿数は400を越え、フォロワーは8万人目前。そんなインスタメディアを運営するのは、設立4年目を迎えた株式会社TIEWA(タイワ)。
株式会社TIEWAは2019年設立以来、PR企画や広告制作・SNS運用など、オウンド事業をメインに社会課題と企業にある課題をクリエイティブの力で解決している総合コンサルティング会社だ。
そして「自分らしく生きたい」と考える人のために、新しい選択肢を紡いだり、"らしさ"が尊重される社会を実現したりするために、あらゆる対話を通して、チャレンジを続けている会社でもある。
そのなかでも、Instagramを主軸に展開するパレットトークでは、ジェンダーやセクシュアリティなどについてのコンテンツが実体験に基づくマンガやニュースとなって、定期的に配信されている。
柔らかい優しいタッチの絵柄、人肌を感じる、分かりやすく信念のこもった文章。なかなか私生活を送っているだけでは得られなかった知識や人の感情、価値観を知ることができる素晴らしいメディアだ。
パレットトークを見るようになってから、これまで自分が違和感を抱いていた感情が「おかしいものではないんだ」と腹落ちさせることができた。
社会にある「女性ならば、こうあるべき」「男性ならば、こうあるべき」 に合わせて生きていかなくてもいい。自分の心にある本当の気持ちを大切にしていいんだ、と安心することもできた。
それにパレットトークを見ていると、自身が知らなかった事柄を知って、日々情報と感情をアップデートさせていくことができて、とても嬉しい。
・レズビアンの恋愛観の話
・セルフパートナーの話
・親に自分のことを話せなかったゲイの話
・カミングアウトした話
・LGBTQ+当事者ではない人の戦い方の話
・子どもを育てていない人の話
・生理が止まってしまった話
・恋愛じゃない出会いがしたい話
など……パレットトークには、さまざま人たちの想いや経験が詰まっている。もちろん上記にあげたテーマだけではない。あらゆる視点のテーマがたくさん光を浴びていて、学び、そして背中を押されるような気持ちにさせられる。
何が良くて、何が悪いのか。何が正しくて、何が正しくないのか。ひとつ検索すれば答えが得られる世の中であるはずなのに、情報の海に溺れながら知識に飢えていたわたしにパレットトークは浮き輪をポンッと渡してくれた。
そのままパレットトークが導く船の後をついていってみると、いつの間にか、生きた知識たちがたくさん周囲を漂いはじめる。
それらを眺め、ときには手に取り、一緒に泳ぎ、わたしは今日もアップデートしていく。
パレットトークに出会えたおかげで、わたしは息をしやすくなったし、たくさんの「知らない」に出会いやすくなった。
もちろん今もまだ、すべてを理解できたわけではないし、学ばないとならないこともたくさんある。けれど、それでも、わたしは幾分も楽しく生きられる日々に変わったと思う。家族や友人とシェアして、ポジティブに対話できる機会も少しずつ増えてきた。
パレットトークは見る手であるわたしたちに、知識だけでなく、アクションを起こすためのきっかけも与えてくれるのだ。
だからわたしはパレットトークを生み出している株式会社TIEWAと、その運営やコンテンツ制作に関わるみなさまを、めいいっぱいの愛とともに推していきたいと思う。そして心からの感謝と応援をずっとずっとしていきたいと思う。
素敵なメディアを生み出し、育て、世の中にあるあらゆる価値観にスポットライトを当ててくれて、本当にありがとうございます。
これからもたくさんの光が人々の心に灯って、柔軟性のある社会へ育っていきますように。
その一助となれるよう、わたしも日々を歩いていこう。
●株式会社TIEWA https://tiewa.co.jp/
●パレットトーク Instagram(@palettalk_)
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●パレットトーク note