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介護の終わりに

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介護の終わりに(10)

父が死んでから何度か、私が「父親」からもらえるはずだったもののことを考えた。

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介護の終わりに(9)

父親は、危篤状態の人らしくしていた。具合が悪いというアピールを入念にしていた。私は全く相手にしなかった。
父「あちこち、痛い」
私「そうなんだ。そりゃきついね」。
父が何を言ってもこの一文を繰り返す。

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介護の終わりに(8)

危篤の、今にも死にそうと母から父のことを聞いた時、私は前頭葉でしか考えてなかった。理性的に、娘であれば父親の危篤の際にこのようにものを言い、このように行動するのだ、ということをそのまま実行した。

そうしたかったのではない。もちろん違う。だけど、自分の中の名前を付けることのできないでいた(今もつけてない)何かが、「そのようにせよ」と命じていたのだ。

さて、そのなにかは大変無責任なことに、危篤の父

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介護の終わりに;ちょっと休憩

記事を有料にする。その設定を、何回か使ってみた。その感想を書く。

当初、自分の書いたものの有料化は、全く思ったことがなかった。卑下しているわけでもない。自分はライターさんや、作家ではないので、有料にする必要があるのだろうか、と思った。

父親との関係について、あれこれ思い起こして書いているうちに、自分の真っ黒な父への思いだけがいよいよ書かれ始めた。

「これをだれに読んでほしいのか」
自分に問い

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介護の終わりに(7)

これまでの人生でよくあったことだが、結局自分が何をしたいのかわからなくなることが多い。
例えば、外来の担当の日。たくさんの人の話を聞いていると、自分が一体何をしているのか、わからなくなる。何をしたいのか、何のために自分はこんなにたくさんの人の話を聞いているのか。

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介護の終わりに(6)

おそらく、だけれども、最近のコロナウイルスのことを私の家族で一番怖がるのは、父だろう。生きていたら、の話だけれども。

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介護の終わりに(5)

介護の終わりに(5)

今日、職場から正社員化=常勤化は待ってくれ、と言われた。といっても、10月からの予定だったのを、来年4月にしてくれ、というものだった。

このような話は、これで3回目だ。確実に、そう。

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介護の終わりに(4)

おそらく誰でも、びっくりすると思う。危篤と言われた本人から携帯電話で着信があったのだ。父からだ。

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介護の終わりに(3)

介護についてまとめる人は多いのだろうか?この本を読んで、一言の感想を、と求められれば、その疑問だろう。

最後の章に「介護を終えたら、あなたの介護の物語を書き上げるべきだ」というような文章がある。

読み終わって、3か月くらいその文章が気になっていた。介護の物語っていったってなあ…。大した物語もないんだよなあ…。

それで突如こうしてnoteで介護について書こうと思った。理由があると、格好いいと思

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介護の終わりに(2)

介護の終わりに(2)

noteの下書きをした。

それを読んでいるうちに、いやになった。父親にどれだけのひどい仕打ちを受けたのか、散々書き尽くしたと思っていたのに、まだあったのか、と思うと、暗澹たる気持ちになる。いつになるとこれは終わるのか。

今日、父親の遺品のPCから自分のデータを消去した。新しいものを買ったから、引き取ってもらうのだ。父の遺品は父が作った、自作PCというものだ。この正面にあるポート。これを見てUS

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介護の終わりに

2年前の3月に父親が死んだ。同じ年の7月に義母が亡くなった。去年の12月に飼い犬が死んでしまった。

同じ事柄を言っているのに、表現を変えている。日本語は便利だ。自分がその程度までには日本語を使いこなせているということなんだろう。

父親の死んだその時には、まったく後悔はなかった。むしろ、家まで走って帰りたいほど突き抜けた、爽快な気持ちだった。「やったー!」「ざまあみろ」というような気持だった。職

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